61 初めてのおつかい‥‥じゃなかった、戦争。。。
わたしはカルホース軍1万2千の中央部にいる。
前衛ではあるが、最前列へ出ることはレグルス卿からこの場を任されたディナトス将軍が許さなかったのだ。
「アナスタシア様にもしもの事があっては、私は自ら首を切らねばなりません。」
えーっと、つまり、切腹みたいなもの?
それは、気の毒だ。
と思ったこともあるが、正直なところは最前列はやっぱり怖いと思ってしまったのだ。‥‥ので、ちょっとホッとしてもいる。開戦となれば真っ先に矢が当たる場所だもんね?
それに、レグルス卿にはあんなふうに言ってきたけど、実際に戦闘態勢で荒野に布陣する1万2千の軍勢を見てしまうと‥‥。
しかも行軍時と違って、皆殺気立っているし。
そして‥‥遠くに見えるアノスタコビッチの大軍のあげる砂塵。カルホース軍の倍近い兵数だと聞いている。
その砂塵がどんどん近づいてくる。
人影が見えるようになり、最前列の兵の顔が見えるようになる。皆一様に眼をギラつかせている。狂っているのかと思うほどだ。
いや‥‥、狂わなければこんな場所には出てこれないだろう。
怖い。
そう思うわたしの心を、わたしは自分で叱咤する。
恐れを見せたら敵は勢いづく。味方の兵が怖気づく。
こんなん、平和な日本にしかいなかったわたしにはやっぱり無理だったかも〜〜〜!
「敵の兵気に迷いが見えますな。」
隣で馬に乗っているディナトス将軍がわたしに話しかけた。
兵気——って、そんなものがあるんだ。‥‥‥てか、見えるの? それ‥‥。
たぶん顔に出た。
ディナトス将軍が軽く笑顔になってわたしに言う。
「アナスタシア様にはおわかりにならないでしょう。戦場に長くいますとわかるようになるものです。敵の将軍は勇猛果敢と言われるゴローニャン将軍ですが、迷っているようですな。」
そんなことがこんな遠くからわかるものなのか——と、わたしは思わず将軍を見上げる。
「前に出ましょうか。行けますか?」
ディナトス将軍がわたしの顔を見る。
「い‥‥行けます!」
何をしようとしているかは、わたしにだってわかる。わたしの顔をゴローニャン将軍に見せようというのだ。
わたしがゴローニャン将軍を見たことがあるのは、父親をはじめ家族のそろった夕食の席のことでしかない。
わたしの位置からは遠いところにいて、ずいぶん体の大きな人だな——という印象しか残っていない。
どんな性格で、どんな戦争をやるのかも全く知らない。
仕方がないよ。こっちの世界のアナスタシアはまだ13歳で、政治も軍事もなんにも興味がなかったんだから。
だけど‥‥、こういう場面で敵将について知らないというのはものすごく危険なことなんだ——と、わたしの中の杏奈が警鐘を鳴らしている。
「ゴローニャン将軍は‥‥‥」
そんなわたしの不安を見てとったのか、ディナトス将軍はわたしと並んで馬を前に進めながら話しかけてきた。
「戦さをさせれば大鉈で大木を叩き割るような苛烈な戦さをする人ですが、政治向きのことは苦手と聞き及びます。アナスタシア様が一方の旗頭にいることを知って、軍をどう動かしていいか決めかねているのでしょう。それが兵気に顕れております。」
ディナトス将軍が言うには、そういう男だからこそガルディー卿は全軍を率いる大将軍に任じているのだという。
政治に聡い知恵のまわる者に軍を任せれば、ガルディーの権力を奪ってしまいかねないと考えているからだろうということだった。
「そういう方ですからね。ガルディー卿は——。」
だから、わたしが直接顔を見せれば彼はいよいよ動けなくなる——とディナトス将軍は言う。
「盾は重くて持てないでしょう?」
将軍に言われるまでもなく、兵士が持つような盾は13歳のアナスタシアの腕力では飛んでくる矢に反応できるとは思えない。
「まあ、ないと思いますが、万が一矢が放たれたら私の盾でアナスタシア様の身体を隠しますのでご安心を。」
「それでは、将軍が無防備になってしまうではありませんか?」
「なに、甲冑も着ておりますし、その程度のことで矢に当たるようでは私の武人としての天命もその程度ということです。その程度の自分ならば、そこで死ぬればいい。」
そんなふうに考えるんだ‥‥‥。ここの人たちは。
自分の命も人生も、あっさりと諦めてしまう。それでいて、そうすることで逆に生き生きと活動するのか‥‥?
たった1回しかない人生を(いや、そういえばわたし2回目だけど‥‥)そんなふうに割り切ってしまえるものなのか?
21世紀の日本から来た杏奈には、すぐには理解できない考え方だ。
あの兵士たちも、矢と刃にその身を晒す兵士たちも、そんなふうに考えているんだろうか。
この場所での戦闘は避けたい。殺し合いになる前に、ゴローニャンを止めたい。
この人たちの命は、もっと他に使える場所があるはずなのだから。
馬を打たせながらそんなふうに思ったら、体の中からふつふつと何かが湧き上がってきた。
恐怖が少しずつ消えてゆく。




