60 ドラゴン
留守居は青ざめた。
このカルーネンに剣を取って敵することのできるものなど、今この城には残っていない。
そんな留守居の男に、アリシアはにっこりと笑いかける。
「奪われたことにしてください。そうすればノブルス卿もあなたたちを罪には問わないでしょう? だって、奪っていったのはあのアリシア・カルーネンなんですから。罪はわたしが1人で被ります。」
それからアリシアは留守居の男の目をまっすぐに見た。
その瞳に陰りはない。
「フェール公爵を救いに行かなくては——。」
フェール公爵ではない。
アリシアの中にあるのはアナスタシアお嬢様ただ1人だ。
でも、言ったことは嘘でもない。お嬢様を守れれば、そのままノブルス卿も守ることになる。カルホースが勝ちさえすれば、王はフェール公爵の功を誉められるだろう。
フェール城からドラゴンが1匹舞い上がった。
* * *
「わたくし、後方に下がります。」
アノスタコビッチの本軍が王都に向けて進軍を開始した——という斥候の報告を聞いたとき、アナスタシアはレグルス卿にそう言った。
「それがよろしいでしょう。」
とレグルス卿は優しい目をする。
今は睨み合いの状態とはいっても、最前線にいるのは恐ろしかろう。なんといってもまだ13歳の女の子なのだ。
レグルスが思ったのはそういうことだった。‥‥‥が。そのあとアナスタシアから出てきた言葉にレグルスは息を呑むことになった。
「郊外のカルホース軍の中にわたしの顔があれば、アノスタコビッチの兵たちは弓を引くことを躊躇うと思うのです。」
引き受けようというのか! アノスタコビッチの大軍を‥‥。その前に己れの身ひとつを晒すことで——! このわずか13歳の娘は!
レグルスは今度こそアナスタシアに惚れ込んでしまった。
私の嫁に‥‥いや、将軍に欲しい!
エイドリアンにはもったいない。
そう思ってからレグルスは、その不埒な考えを追い払おうとぶんぶんと頭を振った。
何ということを俺は考えている。この娘は、神がカルホースのために‥‥いや、王国のために遣わされたのではあるまいか。
「どうなされました、レグルス卿?」
そう聞いたアナスタシアに、レグルスは少し頬を赤らめて次のようにだけ答えた。
「いや、何でもありません。アナスタシア様が行かれれば、千人力でありましょう。」
アナスタシアが後方に去ってしばらく後、王城の上空に1匹のドラゴンが現れた。
しかしまだ誰も気づいてはいない。
カルホース軍もガルディー軍も、互いに相手を見て睨み合っているだけで誰も空など見ていないのだ。
最初に気づいたのはノブルス・フェール公爵だった。
「あれは‥‥?」
わが城のドラゴンではないか? 鞍の紋様がそのように見える。
誰が乗っているのだ?
その人影は遠くてはっきりとは見えないが、いかつい戦士のようではない。少年のように華奢で小さい。
「アリシアどのか?」
私を救いにきてくれたのか?
たしかに、外との連絡のためには助かるが‥‥‥。しかし‥‥‥
「まずい!」
ノブルスは自身が乗ってきたドラゴンの方に向かって走り出した。
止めなければ! 上空にいるうちに!
執政権のあるフェール家の当主であればこそ、まだノブルスは許されているが——。奴隷であるカルーネンのアリシアなんかが王城の中にドラゴンを着地させたりしたら! 即座に打首だろう。
止めなければ——!
ノブルスは繋いであった綱を解き、鞍に足をかける。
上空にいたドラゴンが王城めがけて降下を始めた。
ノブルスが両手を大きく振りながら、叫ぶ。
「止まれ! 止まれぇ! アリシア——ッ! 降りるんじゃない!」
だがアリシアはまるで聞こえないかのように一直線に降下してくる。
この頃になるとカルホースの兵もガルディーの兵も、上空から降りてくるドラゴンに気がついた。
皆が一斉に空を見上げる。
その顔の中には、ガルディー・アノスタコビッチの顔もあった。




