55 王都攻防戦
カルホースの使者がアナスタシア嬢の手紙を持って邸に来たときには、先を読んでいたはずのフェール卿でさえ驚きを隠せなかった。
「アナスタシア嬢が?」
ノブルス・フェールが末娘のイリスを伴わせてアナスタシア嬢をカルホースに行かせたのは、レグルス・カルホース卿を説得してくれるだろうと期待したからだった。
あのお日様のような娘なら、イリスを見てしまえば必ず懸命にレグルス卿を口説いてくれる——と信じたのだ。
だからカルホースが動いたと聞いたときには、アナスタシア嬢が説得に成功したのだろうと信じようとした。
ガルディー・アノスタコビッチからもカルホースに使者が行っていることはわかっていたが‥‥、信じたいと思った。
アノスタコビッチ=カルホース同盟は、他ならぬアナスタシア嬢とエイドリアン卿との婚約によってできあがっている。
そのアナスタシア嬢自身が、自らの父ガルディーの行状を快く思っていないことはノブルスにとって一縷の望みであったのだ。
しかし行軍の間、カルホース卿は何も言ってこなかった。
ただ、進軍を始めると同時にレグルス卿がエイドリアン卿に家督を譲るという、王への申し出の取り継ぎだけをフェール家に依頼してきただけだった。
あのレグルス卿が自由の身になって軍を率いる‥‥?
何をするつもりだろう?
カルホースは本当にフェール家側につく気があるのか?
ノブルスは間諜を多数放って情報を集めたが、レグルス卿の意図は全くわからなかった。
そんな中、ついに王都郊外に着いたカルホース軍の中にアナスタシア嬢がいるとわかったときのノブルスの驚きは生涯に何度あるかというほどのものであった。
ところが、驚きはそれにとどまらない。
そのアナスタシア嬢から「自分がカルホース軍を率いてガルディーに反旗を翻す」と言ってきたのである。
見間違いようのないアナスタシア嬢のやや下手くそな筆跡。直筆の手紙だ。
「フェール公爵におかれては、イリスのためにもお力添えを願いたい」とも書いてあった。
あのお嬢さんは‥‥レグルス卿を説得しただけでなく、自らレグルス卿の軍を率いてガルディーと向き合うというのか!
ノブルスの脳裏にあのお日様みたいなアナスタシア嬢の姿が浮かんだ。
結びつかない‥‥。あの明るくかわいらしい笑顔の下の、どこにこんな胆力と人としての凄みを隠していたのか?
化け物ではないか?
一瞬そう思ってから、いや、そうではない——とノブルスは思い直した。
レグルス・カルホース卿が隠居の立場になったのは、王都の状況を見てどちらにつくか決めようというつもりだったのではないか?
カルホースがフェール家につけばまだいい。
しかしフェールとアノスタコビッチ=カルホース連合の戦いになってしまえば、イリスはどうなる?
だがもし、この戦いがアノスタコビッチ家の内紛という形になるのなら‥‥‥。
アナスタシア嬢はイリスを守ろうとしているのだ。
あのお日様のような少女は‥‥小さなイリスのための陽だまりを作ろうとしている——。
ノブルス・フェールの中で、ようやくアナスタシア嬢の行動とあの麦わら帽子の娘の映像が重なった。
ならば!
このノブルスがやるべきことは‥‥‥
「ドラゴンを用意せよ! 王宮に行く!」
王城内にドラゴンで乗り付けるなどという不敬を働けば、その場で打ち首になってもおかしくない。
しかし今は、一刻を争う。ガルディーより早く動かねばならぬ!
この身などどうなってもよい。一刻も早く国王陛下に進言しなければ!
ガルディーを討つ絶好の機会であると——。
「アリシアどのを領境のわが城に早馬でお送りせよ! アリシアどの。城のドラゴンを1匹お貸ししますから、アノスタコビッチ城へ! アナスタシア様のお母様をここへお連れしてください。」
母親が人質に取られてしまえば、アナスタシア嬢の心が揺らぐだろう。
フェール公爵邸の中庭からドラゴンが1匹、空に舞い上がった。
そして。
北の門からは、馬2頭が疾風のようにフェール公爵領に向かって走り出した。フェール城のドラゴンを、1人のカルーネンに使わせるべく。
アリシアは馬を疾走させながら、その風の中で状況と自分の役割を理解した。
お嬢様は、なんという凄いことをなさっているのだろう。わたしのお慕いするお嬢様は!
わたしは遅れてはならない。
アナスタシアお嬢様が作り出しているこの状況に——!
アリシアの胸の内に、熱い血がたぎってくる。




