45 レグルス・カルホース卿
ドラゴンが飛び去ったあとの空をフェール卿とアリシアはしばらく眺めていたが、やがてアリシアがフェール卿の方に向き直った。
「わたしの体つきでは、グレバのふりをすることにはいささか無理があると思いますが?」
「ほっほ‥‥。さすがカルーネンだけありますな。そこまで読んでおられましたか。なかなかのお嬢さんだ。」
フェール卿は嬉しそうにそう言った。アリシアのようなカルーネンにまで丁寧な言葉遣いをすることに、アリシアは少し驚いた。
「わたしはお嬢さんなどではありません。」
しかしそんなアリシアの困惑にフェール卿は答えず、この先の方針だけを言った。
「アリシアどのほどの力があれば、差し向けられる刺客はことごとく斃せるでしょう? 死体は、自分を倒したのはグレバではなかったとは言いません。それに、謀っておくのはほんの数日か長くても10日ほどでよいのです。」
「?」
「その頃にはカルホースが動き出すでしょう。アリシアどのの存在は、時間を稼ぐためのものなのです。」
何もかもを見通したようなことを言う。
「カルホース卿がフェール公爵にお味方されればよいのですが‥‥。」
「そうならなかった時にはアリシアどの、そなたは遠慮なくここを去ってアナスタシア嬢のところにお向かいなさい。」
* * *
「これは、これは。かわいいお嬢さんだ。」
カルホース伯爵家の当主レグルス・カルホースは、イリスに対面するとそう言って目を細めた。怖がらせないようにと思ったのか、しゃがんで目の高さを6歳のイリスに合わせる。
立派な顎髭を生やし、額が大きく禿げ上がった50がらみの人物だ。
膂力の強そうな体躯をしているわりには威圧感が少なく、包み込むようなオーラを持った人物だった。
傍らにイリスより少し年上くらいの男の子を連れている。
「この子はオプタートといって、今年8つになったばかりだ。君と話が合うかと思ってね。ゆっくりしていくといい。オプタート、あっちでイリスと遊んであげなさい。」
オプタートとイリスがそろって部屋を出ていくのを見届けたあと、レグルス卿はわたしの方を向いた。
「お初にお目にかかります。アナスタシア・アノスタコビッチでございます。エイドリアン卿にはとてもよくしていただいて、感謝しております。」
そう言って優雅にカーテシーを‥‥‥しようと思ったら、手が空間をつかんだ。
しまった!
作業用の乗馬ズボンのままだった‥‥。
はっ! もしかして!? と思って頭に手をやると、麦わら帽子はかぶっていなかった。
レグルス卿がくすくすと笑い出した。
わたしは耳が熱くなる。たぶん今、わたしの顔は真っ赤っかだ‥‥。
エイドリアンが声を立てずに腹を抱えて笑っている。
少しして笑いを収めてから、エイドリアンはレグルス卿にわたしを改めて紹介した。
「お父様。こういう方です。アナスタシア嬢、よろしければ妹のドレスをお貸ししますが‥‥私たちは気にしませんから、アナスタシア嬢さえよければこのままでも。」
「我が家は王国の辺境に位置しますのでな‥‥」
レグルス卿はにこにこ笑ったままでわたしに言った。
「夷狄の侵略とも日常的に戦っております。それゆえ、女といえど中央のように着飾って愚にもつかぬ話をしていたりはしないのです。ときに戦いの場に出なければならぬこともあり、今のアナスタシア嬢のような女性の姿は見慣れております。いやむしろ好感を持っておりますゆえ、お気になさらず。」
レグルス卿はふかふかそうな立派な椅子をわたしに勧めた。
わたしは思わずズボンをあちこち見てしまう。
どろんこ汚れ、付いてないかな?
こんな立派な椅子、汚しちゃわないだろうか?
それを見てレグルス卿がまた、くすくす笑う。
「どうぞ。お気になさらず。戦陣から帰ってすぐ座ることもある椅子です。カバーはすぐ洗えるようになっていますよ。」
「さて‥‥‥」
わたしが椅子にちょこんと腰かけると、レグルス卿は穏やかだが笑っていない目でわたしに訊ねた。
「中央の様子はどんな感じですかな?」




