42 こんがらがった糸(意図)
わたしはこの数日、フェール公爵家の現場に泊まり込んでいる。
正確には現場に泊まり込んでいるわけではなく、フェール公爵の別邸にお世話になっているのだが。
公爵家の領土は広く、城も2箇所にある。
普段の居城の方の浄化槽は完成して運用が始まっていて、今は王都に近い方の城の庭に浄化槽を建設し始めているのでそちらの現場の話だ。
「ぜひぜひ、アナスタシア様ご自身の目で工事の監修を——。」
そう言われればわたしも悪い気はしないのだが‥‥。しかし‥‥‥。
実際には、わたしは現場で指示しているよりお茶などしている時間の方が多い。
先回の工事をした人夫たちが続けて工事をしているので、わかっているし慣れているから。
フェール公爵もその別邸にほぼ1日いて、政務の指示などをするとき以外はわたしとお茶などして話していることが多い。
フェール公爵が技術者としてわたしを買ってくれているのは嬉しいけど、さすがにノーテンキなわたしでもこれは面妖しいと気がついてきた。
アリシアが探ってきたところでは、どうやらフェール公爵はわたしではなくアリシアを傍に置いておきたいらしいのだということがわかってきた。
イヴァーシナ男爵がグレバを斃したのがアリシアであることを伝えたらしく、フェール公爵はアリシアの戦闘力が欲しいのではないか——というのがアリシアの推測だった。
「王都では宮廷内の暗闘が始まっているようです。アノスタコビッチの邸宅内でカルーネンが1人お父様に殺されたという話も聞きました。」
「うちの親父が?」
あいつならやりかねないかもしれない。‥‥‥が。
「グレバがいなくなったことで、カルーニエットとの間がギクシャクしているようです。」
ヤバい。
ヤバいじゃん。わたし、こんなところにいたら‥‥‥。
だってフェール公爵はアノスタコビッチの政敵なんでしょ?
「う‥‥うちの親父はわたしがここにいること‥‥‥」
「知りません、まだ——。しかし知られたらもうお城には戻られない方がいいでしょう。」
アリシアは厳しい目でそう言った。
「ご安心ください。どんなことになっても、わたしはお嬢様のお味方です。たとえカルーニエットを裏切ることになったとしても!」
アリシアの目の中に決死の決意が見える。
わたしはエイドリアンに手紙を書いた。
このまま大人たちを信用してていいものかどうか‥‥。
ごぉう!
という音と共にドラゴンがフェール公爵の別邸の庭に舞い降りた。
あたりはすでに暗くなっている。
ドラゴンに乗ってきたのはエイドリアンだった。
「これは、フェール公爵。前触れもなき突然の訪問の無礼、お許しください。」
「これは! エイドリアン卿。それはよろしいが、いかがなされました?」
最初驚いていたフェール公爵もドラゴンに乗ってきたのがエイドリアンだと知ると、いつもの柔和な顔に戻ってそう言った。
ただ、バラバラと集まった屈強そうな護衛が、わたしと公爵を取り囲むようにしてエイドリアンに対峙する。
無理もない。
ドラゴンを使うなどというのは通常の交通手段ではない。緊急事態に限られるのが、暗黙の常識なのだ。
そんなもので前触れもなく他人の領地にやってくるなどというのは尋常なことではない。
「わ‥‥わたしが手紙を書いたから?」
それにしたってドラゴンはいくらなんでも常識を逸脱している。
変人のわたしでさえそう思うのに、英人くんはなぜ?
「アリシアどの。アナスタシア嬢を連れてこちらに来てください。そのあたりの護衛は蹴散らして構わない。」
え? え?
何を言っているの、英人くん?
「これはまた、穏やかでない。」
フェール卿が穏やかな表情のままでエイドリアンに言うと、フェール卿の護衛たちがわたしたち2人を取り囲むように輪を縮めた。
ただ、その向きはエイドリアンに対峙する形でわたしたちを護るような向きになっている。
アリシアが困惑の表情を見せた。
「えいと‥‥リアン卿。どういうことです?」
危うくフェール卿の前で「英人くん」と言っちまうとこだった。あぶねー、あぶねー。
それにしても英人くんは、いったい何を‥‥‥?
「アナスタシア嬢、おわかりになりませんか? あなたはフェール家の人質にされているのですよ? 父上が婚約者を連れ戻してくるように——とドラゴンの使用を許可したのです。さあ、一緒にカルホース家の城に参りましょう。」
「待って! ちょっと待って! わたしはここで フェール卿に頼まれて浄化槽工事の監修をしているのです。それはあなたも知ってるじゃないですか。もちろん父はそんなこと知りませんが、知ったらむしろ‥‥。わたしに人質の価値なんてありませんよ?」
「フェール卿。」
とエイドリアンがにこりともせずに言う。
「何を考えていらっしゃるか知りませんが、わが家は一応アナスタシア嬢を介してアノスタコビッチ家とは 同盟関係にあります。もちろん、今すぐフェール家と対立などするつもりはありませんが、王都での雲行きが怪しくなっている今、婚約者を保護せよというのが父の命なのです。ご無礼の段お許しくださいますように。」
フェール卿は、しかしこのエイドリアンの言葉に穏やかな微笑で応じた。
「エイドリアン卿は本当にアナスタシア嬢を愛しておられるのですね。」
は?
「私もまたアナスタシア嬢をお守りしたいと思っているのですよ。イヴァーシナ卿にも頼まれましたしね。」




