40 絡み合った糸(意図)
体を動かして仕事をするのは楽しい。
現場の職人さんたちと話すのも楽しい。
あっちでは杏奈は漠然と大学に行くということしか考えていなかったし、その先はもっとぼんやりしていた。
でもどうやら「研究者」というような道より、ゼネコンにでも就職して現場に出る仕事の方が向いていたのかもしれない。
まあ、今となっては向こうでは杏奈は死んじゃってるんだから、考えたって仕方ないけど。
仕事が終わって帰る時、イヴァーシナ卿と一緒にいたフェール公爵がわたしの手まで取って丁寧にお礼を言ってくださったのにはいささかびっくりした。
だってわたし、イヴァーシナ男爵に派遣された技術者って触れ込みだよ?
そんな身分下の人間に、公爵様ってあんな態度を取るものなの?
あれ? そういえば、イヴァーシナ男爵もわたしの名前に「様」を付けてたような‥‥。
なんか‥‥ヘンくない?
* * *
アナスタシアが呑気に構えている頃、その父親であるガルディー・アノスタコビッチは不安と焦燥の中にいた。
今ひとつ情報が集まってこない。
カルーニエットのやつも「残っているカルーネン全部」と言ったのに、「自分にも護衛が必要」と言って訓練不足みたいな連中だけを送ってきやがった。
腕の立つカルーネンは自分の手元に置いているらしい。もっとも、あいつは金を持たずに逃げるように出ていったのだから義務はないといえば義務はないのだが。
グレバの代わりに個人護衛として来ているセンドラも、戻るよう指示があったとガルディーに伝えてきた。
「認めん。」
「そ‥‥そうおっしゃられましても‥‥。我々カルーネンにとっては、主人カルーニエットの命令は絶対でして。」
「契約はどうなる。私は少なくない金を払っているんだぞ?」
「か‥‥代わりの者が参るそうです。」
「なあ、センドラ。やつの言うことなど聞く必要はない。おまえは腕が立つ。やつも自分の身を案じているのだろうが、おまえは私のところにおれ。この件が終わったら‥‥」
ガルディーはセンドラの腹の中まで見通すように目を細めた。
「おまえをやつから奪い取って正式に騎士に取り立ててやろう。奴隷ではない。騎士だ。カルーニエットを裏切れ。裏切ったところで処刑人はやつの手元にはいない。」
センドラが目を泳がせた。
「カルーニエットは商人だ。商人が操ることのできるのは金のみよ。その点、私は政治を操ることができる。政治の暴力というものを、おまえにも見せてやろう。」
* * *
カルーニエットは怯えていた。
グレバが裏切ったのは、ほぼ間違いないだろう。
たとえどこかに貸し出したカルーネンが、その貸出先の主人の命でグレバに挑んだとしても‥‥‥グレバを斃せるようなカルーネンはいない。
一匹狼のような殺し屋が雇われたとしても、そんなものに殺られるようなグレバではない。これまでもグレバは数えきれないほどそういう逸れの殺し屋を屠ってきたのだ。
どう考えても、裏切った以外の結論は出てこなかった。
なぜ裏切った?
何が不満だったのだ?
俺のあとを継がせてやるとさえ言っていたのに‥‥‥。
そんな時、間諜として放ってあったカルーネンの1人が恐ろしいウワサを街で拾ってきた。
「なんだと? フェール公爵家にグレバらしい男が入っていくのを見たやつがいる——だと?」
カルーニエットは青ざめながらも頭を高速で回転させる。
それはつまり、どのようにしてかフェール公爵がグレバを引き抜いた——ということか?
グレバのやつに、俺を裏切ってもいい——とさえ思わせるほどの好条件を示したということか?
金ではないな。
とカルーニエットは思う。
金ならば、俺のあとを継げれば下手な貴族なんかより潤沢に手に入る。
‥‥‥‥‥‥
すると‥‥、身分か。
グレバは若い頃、奴隷の身分から市民の身分になることを望んでいた。
あとを継がせる、と言ってもその望みに確たる返事をしてやらなかったことが裏切りの原因か?
フェールは公爵家だ。王の親族にあたる。
なんとなれば、市民どころか「騎士の身分に取り立てる」ということもできるだろう。
ノブルス・フェール公爵。
あの忠義一辺倒の真面目男が、そこまでしてアノスタコビッチと宮廷戦争を始めるつもりなのか? そんなことが‥‥‥。
これは‥‥‥。
とカルーニエットは考える。
勝つ方につかなければならない。
負ける方についたら、身の破滅になりかねない。
今勢いがあるのは、間違いなくアノスタコビッチだ。王でさえ遠慮するほどに‥‥。
しかし、権威ならば間違いなくフェール。そのフェールにあのグレバがついた? 誰も止められない暗殺者グレバが——。
アノスタコビッチ伯爵とフェール公爵‥‥‥。
勝つのはどっちだ?
「おまえたち、全力で情報を集めろ。特に、フェール公爵が何をしているのか。アノスタコビッチはどう動くのか。」




