38 お日さまみたいなエンジニア
イヴァーシナ家の水洗トイレ小屋とフェール公爵家の浄化槽が、ほぼ同時に着工した。
主任技術者の立場になったアナスタシアは目の回るような忙しさになっている。
設計も忙しかったが、現場の作業員たちに設計の意図をちゃんと伝えるためには各現場に出向く必要があった。
なにしろ技術の原理は、この世界ではまだ知られていない科学知識(微生物による有機物の分解や生態系の概念など)に基づいているのだ。
作業をしている人夫たちは、自分たちが何をやっているのかを理解していない。
土を掘ってこういう構造を作ると魔法が作動するらしい——という理解なので、細部に関しては現場でアナスタシアが指示を出すしかないのだ。
お嬢様ドレスなんて着ていては、現場で身動きするには不便すぎる。
アナスタシアは安物の乗馬ズボンに安物の革で防水だけを施したブーツ(ようするに長靴だ)、それと日差しをさえぎる麦わら帽子という出立ちでイヴァーシナ家から頻繁に現場へと出向いた。
イヴァーシナ家から「技術者」という触れ込みで出向いているのは、シエン卿から「アノスタコビッチだとは言わない方がいいだろう」という助言をもらっているからだ。
たしかに‥‥。あんなことがあった後では、アノスタコビッチから人が——それも第三女が——来たとなれば要らぬ警戒心を抱かせることになるだろう。
この服装はそのこともある。
「アンナ、すごい格好だね。」
とマイアが笑う。
「すごいというほどでもないだろ。エンジニアとして土木仕事の現場に行くなら、あんなお嬢様ドレスでなんか行けるわけないよ。そこら中引っかかるし、じゃまでしょうがない。」
「そうだけど‥‥、21世紀の日本なら別に不思議じゃないけど、この世界ではほとんどクレージーですわよ。お姉様。」
クレージーだろうがなんだろうが、アナスタシアは気にしない。目的はお嬢様であることではなく、浄化槽をきちんと機能するようにすることなのだ。
アリシアも、護衛兼助手としてついて来ていた。普段部屋で護衛としている時よりなんだかいきいきしているように見える。
そんなアナスタシアだったが、現場では意外と人気があった。
「嬢ちゃんたち、あんたら大したもんだよ。その若さで、しかも女だてらにこんなすげー技術を知ってるなんて。」
「しかも全然偉ぶらないで、俺たちみたいな人夫と一緒になって泥まみれになってるし‥‥。女にしとくのはもったいねーな。」
おじさん、それ差別発言だよ? 21世紀の日本では‥‥だけど。
そんなアナスタシアを目を細めて眺めている人物がもう1人いた。
当主のフェール公爵である。
「シエン卿。君のところには人材が集まるのだなぁ。君らしいといえば、君らしいが。」
浄化槽工事の進捗を視察に来ていたイヴァーシナ男爵に、フェール公爵が語りかけた。
「ちゃんとした礼儀作法も知っているしどこかの上流階級の娘さんかと思えば、あのように人夫たちにも分け隔てなく接する。
あの麦わら帽子の行くところ、そこだけ特別に陽が差しているかのようだ。なんだかそよ風に揺れるマリーゴールドのようにも見えるな。しかも優れた技術者でもある。いったい彼女は何者なのかね? 君とはどういう関係なのだ?」
「いい子でしょう?」
イヴァーシナ男爵がにこにこと答える。
「ああ、いい子だ。身分差がなければうちの息子たちの嫁にもらいたいくらいだ。」
そんなフェール公爵の表情を見て、シエン卿は(そろそろいい頃合いかな)と踏んだ。
「彼女はアナスタシアといいます。」
「ほう。可愛らしい名前だねぇ。」
「アナスタシア・アノスタコビッチが彼女の名前ですよ。」
「え?」
思わずシエン卿を見返したフェール公爵に、シエン・イヴァーシナ男爵はにこにこと微笑み返した。
そのまままた、一生懸命に働いているアナスタシアを優しい目で眺める。
「あの子を連座させたいなんて、とても思えませんよね?」
そこはかとなく名前を散りばめてみましたが、気がついていただけたかしらん。。(^^;)




