なんだか背中がムズムズする……
――アルカディア学園・ギルド長室――
この場所はアルカディア学園の敷地内に設置された、見た目はごく普通の建物に近いどこにでもありそうな一軒家。
だがそれはただの家ではなく、学園内で運用されている『ハウジングシステム』によって一つのギルドが大金をはたいて購入したギルド宿舎だった。
そしてその一角にはギルドリーダー専用の執務室が設けられ、そこでは一軍の制服を着た一人の少年がいくつもの書類を眺めたり、時には大型のモニターからアルカディアラインを眺めたりしていた。
少年の表情に色はなく、どこまでも事務的に作業をこなしていたが、そんな中誰からか一通のメールが届いていた。差出人は『リッツ』と書かれ、その内容を速読するとそれまで変化のなかった表情が一変し、にやりと口元を歪める。
「順調だねえ……。これならばラグナロクまで間に合いそうだ……」
この少年はかつて掴みかけた栄光をもう一度取り戻そうとしていた。その栄光とは一軍でもなくエースオブアルカディアでもなく、更に上を行く真の頂点まで少年は後一歩だったのだ。
――しかし、そのまま上手く行く程、世の中は単純にできてはいなかった。
学園に入ってから順風満帆かに思われた少年の覇道は、『たった一人』の魔法騎士に阻められる事になる。あまつさえ戦いの果てに完敗し、床を舐めさせられるという魔法騎士にとって最も耐え難い屈辱に塗れてしまった。
そのたった一人の魔法騎士は、当然今は学園の頂点に立つ魔法騎士序列第一位の生徒。それからは誰にも譲られる事無く、トップの座をほしいままにしている。
魔法騎士として英才教育を受けて、鳴り物入りでこの世界に進出した少年にとってはこの学園で結果を出す事が全てだった。
負ける事は許されない。両親からずっと幼い頃から言い続けられて来たこの台詞を何度も頭に刻み込んでは、血を啜る想いを何度も味わい、心身を削ってやっと手に入れた力だった。
『勝つために手段を選ぶな。勝利こそが結果。その為にお前は生まれて来たのだ。努力だけでは勝てない。才能だけでは勝てない。お前にはその両方があるからこそ、勝つ事ができるのだ』
少年の頭には、いつもこの言葉が強く刻み込まれていた。
「――今度こそ、僕は再び頂点に立つ。立たなければいけないんだ」
机の上に置いた拳に力が無意識に入り、手が震える。
――そんな時、頃合いを見計らったように執務室のドアがノックされる。
「入っていいよ」
中に入って来たのは、栗色の髪をした一人の女子生徒。服装も少年と全く同じで、彼女もまた一軍の一人だった。
おっとりとして涼し気な彼女の顔は包容的な見た目をしていて、少年よりも一回り年齢が上回ってそうな彼女は、アルカディアラインをチェックする時の仕草や、少年に近づく際の足取りも、そのイメージに違わずどれもが優美であった。
「またスレイヤーズマッチの対策でも考えていたの?」
「今日はそれ以外にも色々とね。全く、いつまでも僕が考えてちゃこのギルドも先へ進めはしないと言うのにね。いい加減リッツ達にも編成を組んでもらいたいよ」
「だって彼等に任せても結局『ウィル』がチェックしてあれこれ指示したりするでしょう? だったら直接貴方がやった方がいいという結論になったのだと思うけど?」
「甘いね。それで本当に頷いて従ってしまったら、何も発展がないじゃないか。ただ言いなりになるのと、意図を組んだ上で従うのとは訳が違うのさ」
それまで座っていたウィルは椅子から立ち上がり、ふと窓の外を見る。
「あの方との出会いは僕にとっての運命だったのさ。どんな手を使ってでも勝ち上がりたい、そんな僕の想いに答えてくれたからこそ今の僕がある」
「……それが人の尊厳を踏みにじる行為であったとしても……なの?」
「別に踏みにじってはいないだろう? これは僕を初めとして、皆が力を得られる実に画期的で『素晴らしい装備』だよ。力を得るからには、それに対する対価を支払わなければならない。それだけの話さ」
「対価……そうね。その通りね」
饒舌に語る少年とは対照的に、女性は終始浮かない顔だった。
「全くもう、『シルフィア姉さん』は相変わらず考えが固いね。そんなんだから『エースオブアルカディア止まり』なんだよ?」
「私はそこまで心を強くできないもの。……でも確かに、上へ行くにはやっぱりそれなりの代償が必要なのかも知れないわね。過去に魔法騎士序列10位内に入った者の証である『ヴァ―ティクス』の称号を持つウィルでなければ分からない事もあるのでしょうし」
「よしてくれ。過去が良くても、今が良くなければ意味がない。だから僕にとっては『魔法騎士序列第28位』なんて、この上ない不名誉なんだよ」
「十分じゃないの。強さを手に入れられるからって、何をしてもいい訳じゃないのよ?」
「だったら姉さんがこの事を公にでもするかい? 魔法騎士連盟にいる父上や母上の耳にも当然届くと思うけどね? それで一体誰が得すると言うんだい?」
「そ、それは……」
最終的には弟に言い包められ、シルフィアは黙ってしまった。唇を噛み締め、俯くその姿をウィルがどう思っているのかは、誰にも知る事はできない。
力と結果が全てであるこの世界において、例え年齢は彼女が上であれど実力が無ければ必然的にあらゆる権利はより力が強い者が握る運命にある。それが結果を重んじる家系であれば尚更だ。
「心配しなくてもいいよ。僕がラグナロクで力の違いを思い知らせて、その後一位になればそれで全てが終わるんだから」
ウィルから紡がれる言葉に迷いや躊躇いはなかった。これは予定調和の一つに過ぎず、今の自分ならばアルカディアの頂点に立てると、本気で信じていたからだ。
「誰にも僕の邪魔はさせない。――誰にもね」
* * *
――アルカディア学園構外・西の森――
「……『あんな事』言っちゃってるけども、なんだか話が当初より大きくなってないかしら?」
「俺が知る所ではないな。所詮俺にとってはただの暇潰し。我が飢えを満たせればそれでいい」
「私は所詮小悪魔的な存在だから、そこまで邪悪な成分はいらないのだけれど……」
「お前にとってはな。俺にとっては死活問題だ」
「あの少年には中々負の感情が渦巻いていたものねー。悲嘆、強欲、虚栄心、嫉妬、恐怖……上げたらキリがないわ」
シルフィアとウィルが男女2人だけで会話していたように、ここでもとある男女二人が森の奥でひっそりと会話をしていた。
「あれだけの欲望と情念が還元されれば、俺も当分は『邪気』を蓄えられそうだ」
「アナタのその身体もつくづく困ったものね。もう少し効率的な身体になれないのかしらね……」
「生憎と、ここは地上だからな。魔界や邪気がもっと渦巻いている場所であれば俺も苦労せずに済むのだが」
「魔界は嫌よ。世界が平和になってしまってからすっかり退屈になってしまったもの。だからわざわざこうして地上に出向いているんでしょ?」
「……お前にとっての基準は退屈か否かでしかないのか?」
「そりゃ千年以上も生活してたらね。人生観なんて当の昔にどこかに行ってしまったし、そもそも生きてるのかすら分からないもの」
「仕方あるまい。それが高次たる生命の定めでもある。……さて、行くか」
「もう行っちゃうの?」
「俺は『魔法騎士』とやらに興味はない」
「仕方ないじゃない。あそこに居る為にはそうするしかなかったんだもの」
「お前が楽しんでるのならそれはそれで構わんがな。それに西の大陸から上質な邪念が渦巻いているのでな。それを頂く対価として新たな【闇】を提供してやろうと思っていた所だ」
「はいはい。ここでの『催し』も近いから、精々逃さないようにするのよ」
「期が近づけば分かるさ。それにお前も最近は割と楽しそうだし、邪魔するのも野暮だろう?」
「あらら、やっぱり分かるのね。あの子達はとても愉快な子達よ。アナタも会えば分かるわ」
「……なら『メインディッシュ』はもう少し預けておくとするか。お前がそこまで言うのなら間違いないのだろう」
「ええ勿論。楽しみにしていて頂戴」
会話が終わると男の姿は気配もなく消え、白髪の少女だけがその場に残る。左手には禍々し気な槍がいつの間にか握られ、彼女もまた何処かへ行こうとしていた。
「本当に楽しみね。――シャルル、それにルルナも」




