六
「これが、鬼……」
灯台の炎に照らされた鬼の姿に、郁は息を飲んだ。
熊のように大柄の鬼は、あちらこちら破れて汚れた着物を一枚だけ羽織り、獣のように異様な臭いを漂わせている。太い手足は毛むくじゃらで、足は裸足だ。大きく見開かれた目だけが爛々(らん)と輝いている。わずかに開いた口元には鋭い牙のような歯が並んでいた。肌の色は浅黒く、首元には斬られたような大きな傷が横一文字に付いている。
「――違う。これは、頭領じゃない」
太刀を構えていた無良が舌打ちする。
「幹次! 逃げるぞ!」
無良は幹次に声を掛けると同時に、太刀を握ったまま身を翻した。
「ま、待ってよ!」
縛られたままの郁を気遣わしげに見ながらも、幹次は無良の後を追おうとした。しかし、恐怖で震える足を無理矢理動かしたため、すぐさま転んでしまった。
音を立てて倒れる幹次をちらっと見遣った無良は、黙って背中を向ける。
「無良! 幹次を待ってあげて!」
思わず郁が叫んだときだった。
無良の周囲で青白い鬼火がぼっと音を立てて燃え上がった。
「な、なんだこれはっ!?」
鬼火に取り囲まれた無良は、焦った様子で太刀を鞘に収めたまま勢い良く振り回す。すると、無良を取り囲む鬼火は数を増した。
ちくしょう、と無良が毒づいた瞬間だった。
鬼が雄叫びを上げると同時に物凄い勢いで無良に突進し、片手で彼の首元を掴む。
「無良!」
幹次が悲鳴を上げると同時に、無良の呻き声が響いた。
鬼の背中が壁になっているのと、灯明の炎が届かない暗闇のため、郁がいくら目を凝らしてもなにが起きているのかは見えない。鬼火の炎も鬼が無良を捕らえると同時に消えていた。
ただ、無良がしゃにむに手を動かして太刀を振るっているらしい空を斬る音だけは響いている。
「む、無良を離せっ!」
幹次は灯台を掴むと鬼に向かって投げつけたが、鬼は振り返ることさえしなかった。
灯台の皿から零れた油は炎と一緒に几帳にかかり、一瞬にして布が燃え上がる。焦げ臭いにおいをさせながら、燃える几帳の大きな炎が室内を照らした。
鬼が低い唸り声を上げると、がしゃんと音を立てて無良の手から離れた太刀が床に転がった。
無良は鬼に首を掴まれたまま、不自然な方向に頭を横に曲げ、両手両足をだらりと力なく垂らしているように見える。
しばらくすると、鬼も無良が微動だにしなくなったことに気付いたのか、無造作に放り出した。
鬼の手を離れ、宙を舞った無良の身体は、どさりと音を立てて幹次の前に落ちた。
「う、うわぁっ!」
白目を剥いた無良の姿に幹次は絶叫する。
慌てて郁は無良から目を逸らした。
鬼は音を立てて燃える几帳に目を向けると、なにかを探すように首を巡らせた。
「お、鬼め!」
声を震わせながら立ち上がった幹次は、鬼斬りの太刀に駆け寄り拾い上げると、鬼に向かって突進した。
「幹次! 駄目よ!」
郁が声を上げると同時に、鬼火が幹次を取り囲むように次々と現れた。
「その鬼は、太刀を持っている人間を狙っているんだわ!」
もしかしたら、かつて鬼斬りの太刀で首を刎ねられた鬼なのかもしれない。どういういきさつかはわからないが首を取り戻して蘇り、自分を殺した相手に復讐しようと考え、太刀を行方を追ってここまで来たのだろう。
「その太刀を捨てて!」
郁は必死に叫ぶが、幹次の耳には届いていなかった。
罵声を上げながら幹次は太刀を掴んだまま鬼に体当たりを仕掛ける。しかし、小柄な身体はすぐに弾き飛ばされた。燃えている几帳に突っ込むようにして、幹次は床に倒れ込む。
「幹次!」
喉が嗄れるほどの声を張り上げながら、郁はなんとかして自分を縛っている縄から抜け出そうともがいた。
几帳を焼く炎は床に燃え移り始めている。
このままでは幹次も郁も鬼に殺されるか焼け死ぬかのどちらかだ。
(さっきは人買いに売られるくらいなら鬼に喰われてやるって思ったけど、こんなところで死ぬなんて、冗談じゃないわ!)
身を捩りながら鬼の様子を伺うと、鬼火に囲まれた鬼がなにやら戸惑うような素振りをしている。よくよく目を凝らすと、鬼の右腕に鬼斬りの太刀が刺さっていた。ただ、錆びて刃毀れしている太刀は、鬼に小さな傷を負わすことはできたものの、致命傷には程遠い。
(この隙に逃げ出したいのに!)
幹次は意識を失い倒れたままだ。
床は白い煙を上げながら盛大に燃え始めている。
(やっぱり、あの太刀は家宝だろうがなんだろうが、捨ててしまうべきだったのよ!)
腹の中で悪態をつきながら、郁が吸い込んだ煙で咳き込んだときだった。
ひゅんっと空を斬る音が響き、次の瞬間には鬼の身体に無数の矢が突き刺さっていた。
「え?」
涙目になりながら郁が鬼の様子を窺っていると、鬼は怪訝な表情を浮かべたまま立ち尽くしている。
「かかれっ!」
屋敷の外から野太い号令が聞こえたかと思うと、鎧に身を固めた武者が太刀を振り上げながらなだれ込んできた。
「世を乱す鬼め! 成敗してくれる!」
威勢の良い声を上げながら、武者たちは鬼に斬りかかる。
矢を射かけられた鬼は、虚ろな表情を浮かべながら、雷鳴に似た咆哮を轟かせた。




