表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/25

第9話 神様のお腹を満たす、桃果のひと結び

その匂いに気づいたのは、偶然だった。

迷い路地の石畳を歩いていた着物を羽織った袴姿の猫又は、

ふと足を止める。鼻の奥を、何かがくすぐったのだ。

炊き立てのご飯の匂いだった。


甘い。温かい。どこか懐かしいような——

ただのご飯の匂いなのに、なぜかそう感じた。

匂いの出所を辿ると、見慣れた建物の前に行き着いた。

朔の家だった。猫又は細い目をさらに細めた。


(……珍しい)


朔が自炊をしているところなど、見たことがない。

あの男は飯を作るより先に外の屋台に足が向く。

料理は「面倒くさい」の一言で片付けるような男だ。

それがどうして今日に限って——そこまで考えたところで。


ぐぅ。


盛大な音が、静かな路地に響いた。

猫又は動きを止めた。しばらく沈黙。

そしてゆっくりと、自分の腹に視線を落とした。

そういえば、今日はまだ何も食べていなかった。

匂いが、また鼻をくすぐる。炊き立ての米。

それから——何だろう、甘辛い肉の匂いもする。

腹の中で何かが主張し始める。

猫又は顔を上げ、朔の家の窓を見た。

窓から薄く湯気が漏れている。


(関係ない)


自分に言い聞かせた。


(あの犬の家に、用はない)


もう一度、歩き出そうとした。


ぐぅぅ。


今度は先ほどより、一回り大きな音だった。

猫又は再び足を止めた。長い沈黙。

石畳を見つめたまま、微動だにしない。

匂いが、風に乗ってまた流れてきた。


(……腹が、減った)


認めるのに少し時間がかかった。

猫又はゆっくりと朔の家の扉に向き直った。

ただ飯の匂いがしただけだ。確認しに行くだけだ。

入るかどうかはまだ決めていない。

そう、心の中で言い訳を並べながら——

一歩、踏み出した。扉に手をかけようとした、その時。

中から聞き慣れない声がした。女の声だった。


(……?)


朔の家に、女?猫又の手が、扉の前で止まった。

聞き耳を立てるつもりはなかった。でも、声は続く。


「朔くん、具は何がいい?梅と鮭と——あ、焼きおかかもあるよ」


朔の声が返ってくる。


「全部で」

「全部!?」


笑い声がした。屈託のない、明るい笑い声。


(人間……?)


匂いが、また変わった。さっきより強くなっている。

ご飯の匂いだけじゃない。

何か——手の温もりのような、心が込められているような、

うまく言葉にできない何かが、匂いに混じっている。


(なんだ、これは)


猫又は眉を寄せた。腹が、もう一度鳴った。

すると扉が、内側から開いた。朔が立っていた。

犬耳をぴんと立てて、猫又を見下ろしている。


「……何してんですか、こんなとこで」


猫又は答えなかった。その代わり、朔の後ろを——

中を、一瞥した。台所の方から、湯気が上がっている。

笑い声の主がいるのだろう方向を、ちらりと見た。


「腹、減ってるんですか」


朔が言ったが猫又は答えなかった。


「顔に書いてありますよ」


猫又は答えなかった。


「否、今はいい……」

「もう素直じゃないんだから、時間があったら来て下さいよー!」


朔がため息をついた。

呆れた顔をしていたが

桃果は誰が来たのか分からないままだった。


* * *


数刻後。朔の案内で三人は都の外れへ向かった。

石畳が途切れ、草が伸び放題になった細道を進む。

木々が鬱蒼と茂り、空の色が都とは少し違って見える。


暗い。重い。進むと社が見えてきた。

かつては立派だったはずの造り。

しかし今は屋根が朽ち、注連縄が黒く変色している。

その中心に——禍々しい気配を纏った大きな影があった。


現世で遭遇した深夜の神社で桃果を襲った霧の男に似た……

でもそれより遥かに大きく重い気配。

桃果の足が、一瞬止まる。怖い。でも、止まらない。


「私が封鎖する。穢れが街へ流出しないよう——」

雪哉が印鑑を構えた。

「法令第三条。穢れた霊気による居住区域への侵食を禁ず——

ここより先、穢れの拡散を禁ず」


そう、この前の様な白い紋様が地面に広がり、社全体が薄い膜に包まれる。


「雪哉さんの法令で封じ込めはできる。でも——」

「……浄化は、私にはできない。私の力は隔離と排除だ。

神を元に戻すことはできない」


その二人の視線が桃果に向く。


「それなら私の結び飯なら、

土地神の『お腹の中』から直接アプローチできるかもしれない」


桃果が社の中心を見つめている。

穢れに侵された土地神が、苦しそうに身を捩っている。

現世で毎日通っていた祠が、頭に浮かんだ。

食べられないのはわかってるけど、お供えね——と言いながら、

毎日おにぎりを置いていた自分が浮かんだのだ。


「大丈夫だ、おにちゃん。雪哉さんも俺も居る。やってみてくれ」


朔の答えに桃果は頷いた。


「……この神様を助けたい。待ってて神様。美味しいおにぎり、握るから!」


雪哉が目を細める。朔が桃果の傍で静かに立つ。

持ってきた釜を開けた瞬間、

ピンと立ったお米が一粒一粒が真珠のように

光を反射するかのように艶が顔を出している。


桃果が炊き立てのご飯を取り出して、

両手に塩をつけて——握り始める。

そしてどんどん握っては増やすを繰り返して大きくしていく。

それでも握るときは丁寧に。でも力を込めて。

この神様に届いてほしいと思いながら。


「具がわからない相手には、だし結びを握ることもある。でも今日は——」


今回の具材は肉味噌。

地上の恵みをたっぷり詰め込んだ、一番大きなおにぎり。


「甘辛い濃密な味噌」が、噛むたびに

甘辛い味噌の濃さがじわりと滲み出て、

淡白なお米の甘みを引き出す。

喉を通る瞬間、腹の底に熱が落ちるような——

食べたという確かな満足感。

どんな疲れも腹が満ちれば続きを考えられる。

そういう、地に足のついた味。

握るほどに、手が温かくなっていくのと同時に光が——滲み出してくる。


「これが……結び飯の力……なんと、綺麗な」


思わず雪哉が呟く。

白く輝く大きなおにぎりが、桃果の両手に収まっていた。


「おにちゃん、乗れ!おにぎりを土地神にあげるんだ!」


声に振り向くと朔の体が大きく変わっていた。

人の姿が消え大きな白い犬が現れる。

毛並みが風になびく。犬耳がぴんと立つ大きな犬の姿の朔に促され、

桃果が背に飛び乗る。光るおにぎりを両手で抱えたまま。


「行くぞ——!」


遠吠えをした朔が四足を蹴って駆け出す。

地を蹴って空へ——


土地神の近くまで来るとはっきりとその姿を確認できた。

大木の様に大きな身体はドロドロに溶け原型が留まっていない。

土地神は桃果達をみるや口から泥を吐き出し、撃ち落とそうとする。

それを朔は紙一重で避け、桃果もおにぎりを汚さないと泥から守っていた。

土地神の顔の付近に滑り込む。

タイミングよく大きな口を開けた瞬間、

桃果には喉の奥に黒い穢れの塊が見えた。


「おにちゃん、口を開けたぞ!」


朔の叫びに桃果は渾身の力をおにぎりへ集中させた。


(今だ!)

「……で、でやぁあ!!」


弧を描いたおにぎりは——土地神の口の中へ、

吸い込まれるように入っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ