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第42話 笹の葉の温もり、幻影の果てに

「違う。これは——幻だ」


桃果が、声に出して言った。自分に言い聞かせるように。信じるように。


「みんなは生きてる。さっきまで一緒にいた。茨だって――」

「そうか?」


荒覇の声が、霧の中から響いた。


「では——見てみろ」


霧が晴れ、広場の向こうに別の光景が浮かんだ。

狛が印鑑を握ったまま動かなかった。茨が——


「やめて」

「これが現実だ」

「やめて——!」


桃果が叫んだ。声が震えた。足が、また動かなかった。

霧が、また濃くなった。


「お前が幽世に来なければ」


荒覇の声が、近づいてくる。


「あの者たちは、巻き込まれなかった」

「……違う」

「お前が結び飯を使うたびに、あの者たちは戦わされた。

お前の力が、あの者たちを縛った」

「違う——!」

「縛った。お前の温もりという名の呪いが」


桃果の手が、震えた。

(呪い)

その言葉が、胸の奥に刺さった。

(わたしのおにぎりが——呪い?)

「お前が握るものは、縁を結ぶのではない」

荒覇の声が、耳の奥まで入ってきた。

「縛るのだ。逃げられないように。離れられないように。

お前の温もりという鎖で——あの者たちを、縛り付けた」

「違う……わたしは、ただ」

「ただ?」

「みんなに、美味しいって笑ってほしかっただけで——」

「その笑顔が、あの者たちを戦わせた」


桃果の視界が、滲んだ。

朔が、動かない。雪哉が、動かない。天廻が——


「お前のおにぎりを食べなければ。お前と出会わなければ。

あの者たちは——今頃、穏やかに生きていた」

「……」

「お前の所為だ」


言葉が、積み重なっていく。

一つ一つが、重かった。否定できなかった。

確かに——朔は桃果のために戦った。雪哉は桃果を守ろうとした。

茨は桃果のために荒覇を裏切った。狛は——


(狛が、小梅ちゃんの話をしてくれたのも……全部——わたしがいたから)

「もし、お前が最初から幽世に来なければ」


霧が、また動いた。新しい光景が、浮かんだ。

幽世の都だった。でも——桃果のいない幽世の都だった。

朔が笑っていた。雪哉が書類仕事をしていた。

茨が——荒覇の下で、静かにしていた。狛が一人で廃区域を歩いていた。

誰も、傷ついていなかった。

誰も、戦っていなかった。


「これが——お前のいない幽世だ」


桃果の膝が、折れそうになった。


(私がが居ない方が皆は——)


その時。

「桃果!」

小さな声が、耳元で響いた。もふだった。

桃果の肩の上で、もふが必死に桃果の頬を前足で叩いていた。


「しっかりしろ!これは幻だ!」

「もふ……」

「わかってる。俺にはわかる。気の流れが——全部、おかしい。

本物じゃない。荒覇が作った幻だ」


もふが桃果の頬を、また叩いた。


「朔は生きてる。雪哉も。茨も、狛も——全員、外で戦ってる。

俺には聞こえる。あいつらの気が——まだ、ある」

「でも——目の前に」

「見るな!俺を見ろ、桃果」


桃果が、もふを見た。丸い赤い目が——真っ直ぐ、桃果を見ていた。


「俺はひだる神だ。気を感じ取る力がある。本物と偽物の区別が——できる」


もふの声が、震えていた。


「今、外では朔が印鑑を構えてる。雪哉が法令を唱えてる。

天廻が荒覇と向き合ってる。全員——生きてる。戦ってる」

「本当に?」

「本当にだ」


もふが、桃果の頬に前足を当てた。小さくて、温かかった。


「俺が嘘をついたことがあるか」

「……ある。最初、気を抜きに来てたから」

「それ以外で」


桃果が——小さく、笑った。


「……ない」

「だろ」


もふが、また真っ直ぐ桃果を見た。


「信じろ。俺を。あいつらを」


その時。霧が、また動いた。

荒覇の声が——今度は、もふに向かってきた。


「ひだる神」

もふが、ぴくりと動いた。

「お前も——知っているはずだ。この娘のおにぎりを食べた者が、どうなるかを」

もふが黙った。

「縁を結ぶという名の鎖だ。食べた者は離れられなくなる。お前も——そうだろう」

もふの尻尾が、止まった。

「お前は最初、気を抜きに来た。それだけのはずだった。

なのに——なぜ、今もここにいる」

「……」

「おにぎりに縛られたからだ。鬼灯の結び飯に——捕まったからだ」


もふが、黙っていた。

桃果が、もふを見た。

もふの目が——揺れていた。

(もふ)


霧が、もふを包み始めた。じわじわと。冷たく。


「お前も——被害者だ。この娘のせいで、自由を失った」

もふの体が、小さく震えた。尻尾が、丸まった。

(……俺は最初は、気を抜きに来ただけだった。

なのに——なんで今、こんなところにいるんだ)


「もふ」


桃果の声にもふが、顔を上げた。

気付けば……もふは——桃果の両手でそっと包まれていた。


「もふがここにいるのは、わたしのせいじゃないよ」

「……桃果」

「もふが決めたんでしょ。自分で」

もふが、黙った。

「縛られたんじゃない。もふも——選んだんだよ」

霧が、もふから引いていった。もふの目が、また——真っ直ぐになった。

「……そうだ」

小さく、でも確かに言った。

「俺が、決めた」

もふが桃果の手の中で、背筋を伸ばした。

「荒覇」

もふが、霧に向かって言った。


「お前の言葉は——半分、本当だ」

霧が、動いた。

「俺は確かに、最初は気を抜きに来た。おにぎりに引き寄せられた。

離れられなくなった。全部——本当だ」


もふの尻尾が、ゆっくりと揺れた。


「でも——それのどこが、悪い」


霧が、止まった。

「縛られたんじゃない。俺が選んだんだ。あのおにぎりを。

あいつの傍を。俺が——決めた」


そしてもふは桃果を見た。


「桃果も同じだ。あいつらは縛られたんじゃない。全員——自分で決めた。

お前の言葉は、全部本当じゃない」


霧が——揺れ、桃果が、もふを見た。

もふの目が、真っ直ぐだった。

桃果の胸の中で、何かが——動いた。

(朔も、自分で決めた。雪哉さんも。茨も。狛も。天廻も。

みんな——自分で決めた。私の所為じゃない。

でも——わたしのおにぎりが、きっかけだったかもしれない。

でもそれで、いい。きっかけで、いい。呪いじゃない。縛りじゃない)


桃果が、鞄に手を当てると、まだ温かかった。

握って来た、だし結びが——まだ、温かかった。


「荒覇」


桃果が、霧に向かって言った。

声が——震えていなかった。

「わたしのおにぎりが呪いだって言うなら、そうかもしれない。

でも——みんなは呪われたんじゃなくて、選んでくれた」


桃果が一歩一歩進むごとに霧が……揺れた。


「あなたにも——選んでほしい」


霧が、止まった。


「受け取るか、受け取らないか。それだけでいい。

でも——差し出さないと、始まらないから」


桃果が、鞄を開けだし結びを、取り出した。

笹の葉に包まれた、小さなおにぎり。光が——静かに、滲み出していた。


「これ、あなたの分。具は入れなかった。貴方の好きなものが分からなかったから」


霧が——大きく、揺れた。


「でも——温かいご飯と塩と出汁だけは、誰でも知ってる味でしょ」


桃果の声に……霧の奥で何かが——動いた。

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