表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
40/50

第38話 夜空に、小さな橙を灯して

(待ってろって言ってたけど……狛ちゃん遅いなぁ……)


見渡せるような丘の上。近くで奏でる楽器の音色桃果の耳にも囁いてくる。

きっと朔だろう。桃果は「汚れたから着替えて来る」と言った狛と

待ち合わせをする事になったのだが

「先に祭りの様子を見てくる」と、もふは先に降りて会場へと行ってしまった。

(もう、提灯……終わっちゃうよー!)


夜風が靡いて桃果は思わず髪を抑えた。

その視線の先、気づいたのは視線が絡んだ瞬間だった。


(綺麗な妖怪さん……)


すらりと背の高い猫又が、縁日の灯りをその場だけ集めたみたいに立っている。

白地に青の浴衣が沿って揺れていて、

二本に分かれた尾がゆったりと空気をなでている。

耳がぴくりと動いた。こちらを見ている

——否、桃果だけを見てその猫又はやって来た。


「え……ええ?狛ちゃん?」


声が裏返りそうになった。いつもの袴姿ではなかった。

衿がきちんと合わせてあって、帯の結び目も——

どこか、改まった夜風の匂いがした。


(狛ちゃんが、浴衣……?知ってた。女の子だって知ってた。

でも——こんなに、綺麗だったんだ——)


気づいた次の瞬間、唇に何かが触れた。

冷えた、人差し指。

桃果の声を静かに止め、狛は目だけで笑った。

金色の瞳が、細くなり顔に近づくや――


「あいつらには……内緒……な?」


囁きは耳のすぐそばへ落ちてきた。息がかかるほど近い。

桃果の頬が夜風のせいではない理由で熱くなるのを、

狛はたぶんわかっていてやっている。

にやり顔のまま桃果に向けて笑うや……

口を離した指が、そのまま手首へ滑り降りた。


「さぁ、桃果。——提灯が飛ぶ瞬間、一番いい場所を教えてやるって言っただろ?」

「う、うん。でももう間に合いそうにも……」

「桃果。後ろ、振り向いて?」


桃果が徐に後ろへ振り向いた先――息が、止まった。

一つ目が、空に昇った。

橙色の灯りが、ゆっくりと夜空に吸い込まれていく。


二つ。

五つ。

十。

百。


数えきれないほどの提灯が、都の全方向から一斉に夜空へ舞い上がっていった。

それぞれの提灯は、最初は小さな橙の光だった。

でも——高く昇るにつれて、互いに引き寄せられるように近づいていく。

近づいて、重なって、また離れて——まるで、光が呼吸しているようだった。

一つ一つの提灯が揺れるたびに、その光がさざ波のように広がって

夜空全体が温かく染まっていく。

幽世の深い藍色の空に、橙と金と薄紅の光が溶け込んで——

まるで地上の星が、空に還っていくようだった。


下から見上げると、提灯の底に灯された火が透けて見えた。

薄い紙越しに揺れる炎が、それぞれ違う形をしていた。

大きいもの、小さいもの、丸いもの、細長いもの。

でも——空高く昇るほど、その違いが滲んで、全部が一つの光になっていく。

都全体が、橙色に包まれた。

石畳も。屋根も。木々も。川面も。全部が、柔らかい光の中に浸っていた。


「うわぁ……沢山……星みたいで綺麗……」


桃果が呟いた。声が、小さかった。

大きい声を出したら、この光が消えてしまいそうで——

思わず、そっと言ってしまった。

狛も桃果の隣に立った桃果と同じ空を、見上げていた。


「桃果。飛んでいる提灯たちは願い事を乗せて飛ばされるんだ。

空まで届いて何処かに思いが繋がるように……かな」


静かな声だった。

繋がるように——という言葉が、夜風に乗って桃果の耳に残った。

(繋がるように……)


「桃果もやってみるか?持ってきた」


そう、狛は懐から折りたたんでいた提灯を広げ……

火をつけるや熱で膨らんだ橙の明かりが一つ灯った。


「これで、願いを込めてそのまま飛ばすんだ」

「じゃあ、狛ちゃんも一緒にお願い事しよ?」

「俺は良いって。桃果の為に持って来たんだから」

「これ二人分にしてさ、お願い事半分ずつにしたら半分くらい叶うんじゃない?」


狛が少し黙った。


「……そんなもんか?」

「先ずはやってみようよ!」

桃果は反対側の提灯の端を持った。狛も反対側の提灯の端を持つ。 

桃果が、提灯の反対側の端を持ち、二人で一つの提灯を持っていた。

橙色の光が、二人の顔を照らした。


「願い事……決めたか?」

「私は——幽世の皆とこれからも仲良く居られますようにかな?狛ちゃんは?」


狛が少し間を置いた。


「俺は……内緒だ」

「何それ、ズルい~!」

「ほら、もう揚げるぞ……」


二人で、掛け声を合わせ提灯を——離した。


橙の光が、夜風に乗った。

ふわりと、浮いた。ゆっくりと昇って行き、

他の無数の提灯の中に——混ざっていく。

どれが二人の提灯か、もうわからなかった。

でも——確かに、空へ昇っていった。

桃果が、空を見上げたまま言った。


「……狛ちゃんのお願い事、何だったの」

「内緒だと言った」

「ヒントだけでも」

「……ヒントもない」

「ケチ~!」

「そうだ。悪かったな」


狛が、空を見上げたまま答えた。

でも——その横顔が、提灯の光を受けて、柔らかかった。


(内緒だ。でも——)


狛の視線が、空に消えていった提灯を追っていた。


(届いてくれたら、それでいい)


遠くから朔の笛の音が高く上がり、百鬼祭りの音が夜空に満ちていた。

提灯の光が、空の高いところで揺れていた。

橙色の光の粒が、幽世の夜を——温かく、包んでいた。

桃果が、狛の隣に立っていた。狛も、桃果の隣に立っていた。

その時だった。

無数の提灯が舞う中に——一つだけ、黒く染まったものがあった。

祭り会場を近くで見ていた天廻の目がそれを捉えた。

橙色の群れの中で、黒だけが静かに、しかし確かに漂っていた。

視線で追ったが、次の瞬間には他の提灯に紛れて——見えなくなった。

冷たい風が会場を横切り朔の笛が、止まった。

黒い霧が、祭りの空気をほんの一瞬だけ——塗り替えた。


「黒い霧……穢れか?」

「でも……」


人々がざわめいた。「なんだ」「今の霧は」と声が上がる。

不穏な空気に狛が懐から印を出そうとしたが、それはほんの数秒のことだった。

霧は引き橙色の光が戻って祭りはまた何事もなかったように元通りになった。

でも——別の場所で見ていた天廻だけは、動かなかった。

空を見上げたまま、静かに目を細めていた。


(来る……近いな)


いつも通りだった。天廻の目の奥に何かが灯っていた。

まだ空を見上げる。橙色の光の中に黒はもうなかったが天廻には分かっていた。


(今夜が——始まりの合図だ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ