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第37話 境界線の向こう側

突然、地を這う様な声が上から声が聞こえ

見上げると……大百足が舌をチロチロ上下に出しながら

頭を垂れてこっちを見ていたそれは――全身目玉が付いていた。


「うちの者がそなたの結界に入ろうとした。

申し訳ない。迷ったようでな、迎えに来たんだ。」


後ろに息を殺すかの様に強張る桃果を隠し、

笑顔で狛は対峙するが腕引きはとぐろを巻くように二人を囲んだ。


『そうかそうか。初めて此方に入ったのか……ここに来ても良い事はないからな。

もしかしたら取って食ってしまうかもしれないしな……ひひひひひ』


冗談なのか本気なのか分からない答えに桃果の心臓は暴れだす。


『おやぁ……?猫又の旦那、何か隠してないかい?旨そうな気の匂いがする……』


桃果の心臓が跳ねた。


『それなら……これか?』


狛は懐から笹に包まれたおにぎりを差し出した


「腹が減ってはいけないからな。夜食用の俺のおにぎりだ」

『おにぎり……確かに気の匂いがする』

「これはそなたに渡そう。ではこれで……」

(……行こう。少し危うい)


狛は桃果に小声で伝えると手を引っ張って行こうとした。


『――ちょっと待て』突然、腕引きが声を掛けた。

『…その娘、おにぎりと同じ匂いがする……ひひひひひ』

「ちっ……!」


何かを察知した狛は舌打ちをするや急に桃果を抱き抱え跳躍して飛び退る。

数秒遅れで二人が居た場所に複数の腕が向かい激突と突進音が聞こえる。

砂煙が消えた時には腕達の姿は消えていた。


「バレたか!逃げるぞ!」


砂煙を抜け、狛達が今居た場所から離れて着地するや

斜面から腕だけの群体が向かって来る。


『気ヲよコセ』『ヨコセ』『気を寄越せ』と、


おどろおどろしい唸り声や色々な声が混ざり合い

次々と腕達は群体を増やしながら向かって来る。

まるで何か生き物の大群が地を耕すかのように腕の波が押し寄せた。


「何あの沢山の腕!」

「あれも腕引きの姿。沢山の腕に姿を変えて対象を捕まえる。

あの腕に捕まれたら終わりだ!」


狛が走る箇所をなぞるかの様に腕引きの腕たちは木々を薙ぎ倒しながら二人を追う。


「速いな。本気で桃果の気が欲しいんだな……」


狛がポツリと呟くや抱きかかえている桃果の腕を強く掴むと速度を上げた。

――と、いち早く腕の一つが桃果の所へ向かって来た。

咄嗟に桃果の肩に居たもふが腕目掛けて強く噛み、腕を退ける。


「もふちゃんありがとう!」

「桃果には指一本触れさせねぇ!」


腕を除けた直後……途端に影が出来た。

狛が見上げると、腕の波が膨れ上がり上から飲みこもうとしていた。


「なっ……!」


影の正体に気付き、狛が目を見開いた。

後方からせり上がってきた腕の高波は飲み込もうとするかの様に

沢山の腕が狛達目掛けて降ってくる。沢山の質量の暴力が押し潰した……

と、思われた。


「どっ……どすこいやー!」


白い毛玉が段々と膨れ上がり……

巨大化したもふが折り重なった腕達を瞬時に吹き飛ばした。

四方八方に腕たちを吹き飛ばし巨大化したもふは一瞬で小さくなり、

再び桃果の肩へ。

もふが腕の高波を吹き飛ばした直後——

四方八方に散った腕たちが、すぐに向きを変えた。

地を這う。木を伝う。空から降る。無数の腕が——また、集まってくる。


「狛、さっさと行こう!」

「分かってる——」


もふの声が狛を焦らせる。腕の波が、追ってくる。

木々が薙ぎ倒される音が、背後で連続している。

もふが狛の肩に登って後ろを見た。


(速い!)


腕の群れが、地を這うように押し寄せてくる。

木の幹を伝って上から来る腕もある。

前からも、横からも—―ふと、狛が走りながら印鑑を取り出した。

蒼玉の刀型の印鑑。夜の闇の中で、青緑の光が滲み出した。


「風刃封印——第四式!」


桃果を片手に抱き抱えたま斬撃を放ち、

横から迫っていた腕の群れをそのまま切り払った。

吹き飛ぶように腕が散る。でも——すぐに再生してくる。


(キリがない……でも——結界まで、あと少しだ)


 もふが桃果の肩の上で叫んだ。


「また上だ!」


狛が見上げた。木の上から、腕が降ってくる。

無数の腕が、また二人を押し潰そうとしていた。

狛が急停止して方向を変え腕の群れが二人の目の前に激突し、

地面が揺れ砂煙が上がった。

狛が砂煙の中で、印鑑を構えた。


「——ここより先、其方の侵入を禁ずる!」


青緑の光が、足元から走った。

一時的な結界が砂煙の中に展開され腕が結界に触れては弾かれる。

砂煙が晴れる前に——


「走るぞ!」


狛が桃果の手を引いて、再び走り出した。

走りながら、狛は前方の空気の歪みを見ていた。


(あそこだ——鎮守庁の結界の境界線)


百鬼祭りの間、朱結びの結界は弱まっていたが、

鎮守庁の結界なら完全には消えていない。

腕引きは朱結びの結界内を縄張りにしている妖怪だ。

鎮守庁の結界に入れば——追ってこられない。


(あと三十歩)


背後で、腕の波が膨れ上がる音がした。桃果が息を切らしながら走っていた。

慣れない下駄で転びそうになったが狛が手を引いた。


「転ぶな!」

「転ばない——!」


もふが桃果の肩にしがみついていた。


(もう少し……!)


腕の一本が、桃果の足首をかすめた。


「っ——!」


桃果がよろめいた。狛が瞬時に振り返り印鑑を腕に向けて——


「——禁ずる!」


青緑の光が腕を弾き腕が引っ込んだ。

狛が桃果の腰を支えた。


「掴まれ!」


桃果が狛の首に腕を回すと狛が跳んだ。

一跳び――二跳び。

猫又の跳躍力が、夜の空気を切る。腕の波が——追いつけない。


(あと一跳び——!)


――三跳び目。

狛が、結界の境界線を踏み越え着地し振り返った。

腕の群れが——境界線の手前で、止まっていた。

わらわらと蠢きながら、でも——踏み越えてこない。


(結界が、効いている)


『……ちっ』

地を這う声が、聞こえた気がした。腕たちが、ゆっくりと引いて行く。

木々が静かになった。夜の空気が、戻ってきた。


「はぁ……はぁ……逃げ切った……」

「……ああ」


狛も少し息が乱れていたが、印鑑を懐に戻した。

もふも桃果の肩から降りて地面に降りるや、ぺたんと座り込んだ。


「……疲れた」

「もふも疲れたの?」

「当たり前だ。あの腕の数、見たか」

「見た。すごかった」

「……俺が吹き飛ばしてやったんだが」

「ありがとう、もふ」


もふが尻尾を揺らした。

(……どういたしまして、と言うのも癪だ)

でも——尻尾が、少し大きく揺れた。


桃果が、狛を見た。

「狛ちゃん——狛が、印鑑で守ってくれた時、凄かった……」


狛が答えなかった。


「あの一時的な結界——砂煙の中でも迷わず展開してたじゃん!」

「……鎮守庁の執行官として、当然だ」

「でも」


桃果が狛の手を見た。印鑑を握っていた手が——少し、震えていた。


(疲弊してる。でも、顔には出してない)

「……ありがとう」

桃果は言ったが狛は目を逸らしたままだ。


「礼はいい。お前が転ばなかったのも、よかった」

「危なかったけど狛が引っ張ってくれたから転ばなかった」


狛がまた黙ったが——口元が、わずかに動いて頷いた。

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