第4話 鬼灯の血と、幽世の焼き草餅
朔が先を歩き、桃果がその後をついていく。
路地を抜けた瞬間——
視界が開けた。大通りだった。
石畳が緩やかな坂になって続いていて、
その両側に建物が並んでいる。
レンガ造りの洋館の隣に朱塗りの鳥居。
ガス灯の傍に提灯。
木造の長屋とアーチ型の洋風店舗が
何の違和感もなく並んでいる。
路面電車が石畳の上を走っている。
乗客は半分が人間で、半分が妖怪だ。
河童が吊革を掴んでいる。
小さな鬼の子供が窓に顔を貼り付けて
こちらに向かって手を振ってくる。
歩道を歩く人々は——
いや、人と妖怪が肩を並べている。
誰も不思議がっていない。当たり前の日常だ。
「……すごい」
桃果は夜、逃げていた場所とは思えない空間…
街の光景に辺りを見渡し足がゆっくりになる。
「ぼーっとしてると人に——妖怪にぶつかりますよ」
朔が言った直後、巨大な一つ目の妖怪が
桃果の横をのっそりと通り過ぎる。
桃果の頭が一つ目の膝くらいの高さしかない。
桃果は全く動じずにその妖怪を見上げる。
「大きいね」
「……動じないですね」
「だって危なそうじゃないし」
朔が何か言おうとして、やめた。
とあるお店の看板が目に入る。
文字は読める——でも、少し違う。
「餅」が「望」に似た字になっている。
「屋」の旁は見たことのない形をしている。
意味はわかるのに、書き方が微妙にずれている。
「看板の字、なんか変だね。読めるけど読めない感じ」
「幽世の文字は現世と同じ起源ですけど、長い時間かけて少し変化したんですよ。意味は通じます」
「へえ……面白い」
桃果がきょろきょろしながら歩いている。
朔が少し先を歩いていて、
振り返るたびに桃果が何かを見て立ち止まっている。
匂いが、至るところから漂ってくる。
炭火で何かを焼く煙。甘い蜜のような香り。
出汁の匂い。桃果には名前のわからない香木の煙。
(……お腹空いた)
そういえば昨日の夕方から何も食べていない。
屋台が並ぶ一角に差し掛かった。
一つの屋台には炭火の上に網が置かれ、
丸い餅のようなものが並んでいる。
表面が薄く焦げていて、
中から何か緑色のものが透けて見える。
甘い煙が流れてくる。
「ねえ、あそこで売ってるの何?」
朔が香ばしい香りが流れていた屋台を見た。
「あれですが?あれは焼き草餅。幽世に生える薬草を練り込んだ甘味で——妖怪向けです。人間には少し強いかも」
「そうなんだ!食べてみたい」
「は?」
「だって美味しそう。お腹空いてるし」
「正気ですか」
「正気だよ」
朔が頭を抱える。
「現世から落ちてきて半日も経ってないのに、なんで食い気が勝ってるんですか」「だって美味しそうなものがあったら食べたいじゃん。今は観光中だし」
「……人間ってこんなんだったかな?」
屋台の妖怪——小柄な狸のおじいさんが
二人のやりとりを聞いていてにやにやしていた。
「嬢ちゃん、人間かい?ここに初めて来た匂いがする」
「そうです!これ、私も食べられますか?」
「強い子なら大丈夫だろ。一個あげるよ、初めての幽世のお祝いだ」
桃果が焼き草餅を受け取ろうとした瞬間——
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てた朔が桃果の前に立って心配そうに焼き草餅を見た。
「どうしたの?」
「一口だけです。何かあったら俺のせいになる」
「なんで朔のせいになるの」
「なんとなく」
慌てる朔を横目に焼き煎餅を
桃果が一口かじって目を丸くする。
一口かじった瞬間、甘さが来た。
餅の表面のカリッと焦げた香ばしさ——
それが消えるより先に、
舌の奥から薬草の青い刺激がじわりと広がる。
甘いのに、どこかキリっとしている。
口の中が、じんわりと温かくなっていく。
「……甘い。でも、なんか、奥がぴりってして——あ、これ、美味しい」
「それが薬草です。効きすぎてないですか」
「全然。むしろ元気出てきた気がする」
朔が桃果の顔をまじまじと見る。
気が付いたら全部平らげていた。
「……鬼灯の血、やっぱりただものじゃないですね」
朔の呟きが終わらない内に気が付けば桃果は
もう次の屋台を見に行こうとする。
「あっちのも気になる——」
「だめです行きますよ!」
朔が桃果の襟首を掴んで引っ張る。
桃果が抵抗しながらも歩く。
そんな二人を見て狸の屋台主は
二人の背中を見て笑いぽつりと呟いた。
「……鬼灯の娘が来た。しばらく幽世が賑やかになりそうだの」
* * *
市場の一角。古道具屋の前を通り過ぎようとした時。
熊の様な大きな身体の老いた
獏の妖怪が桃果をじっと見る。
「……お嬢さん、もしかして鬼灯の人間かい?」
「え?」
「知り合いですか?」 小声で朔が桃果に話しかけるも
桃果も「初対面なんだけど」と、返す。
そうこうしている間に獏が虎のような脚で
桃果の手を取って、掌をしげしげと眺める。
「おお……手の形が、鬼灯の人間のそれだ。米を握り続けた手。間違いない」
「鬼灯って……私の苗字なんですけど、知ってるんですか?」
「知ってるとも。この幽世で鬼灯の名を知らない古い者はおらんよ」
朔の耳がぴんと立つ。
「……ちょっと待って。鬼灯って、あの鬼灯?」
「あの、って?」
「幽世と現世の境を代々守ってきた一族の——」
牛のような尾を振り象のような鼻を摩りながら
獏が静かに頷く。
「この子が幽世に来たということは……何かが起きているんだろうね」
市場の空気が一瞬静まり返る。
周りの妖怪たちがちらちらと桃果を見る。
桃果は知らなかった。
幽世の世界で自分の苗字がこんな意味を持つなんて。
「……私、何も知らなかった」
今まで何も考えずに握っていたこの手が、
知らないうちに現世と幽世の境界に触れていた……
そう桃果は自分の手をまじまじと見た。
「……とりあえず、飯にしましょう。話はそれからです」
朔が屋台で食べ物を選んでいる間、
市場の隅で桃果は立ち止まった。




