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第34話 梅の香る夜に名前を呼ぶ理由

その夜、おにぎり屋・ほおず喜は桃果と狛の二人だけだった。

朔は鎮守庁の仕事。雪哉は書類。茨は巡回。もふは2階で眠っている。

天廻は——お店を離れどこかで静かにしている。


桃果が台を拭き、狛がいつもの場所に座っていた。

沈黙が続いていたがでも——いつもと違う沈黙だった。

狛が、何かを言いかけて、やめている気配があった。


「狛ちゃん」

「……なんだ」

「話したいことがあるなら、聞くよ」


狛が桃果を見た。


「……なぜそう思う」

「んー。なんとなくね」


狛が目を逸らした。しばらく黙っていた。それから——


「お前は——俺が女だと知って、誰にも言わなかった」

「うん」

「なぜ聞かなかった」

「狛が話したい時に話してくれればいいって言ったから」


狛が、静かに目を逸らした。


(こいつは——本当に、そのままだ。言った言葉を、そのまま守る)

「……話そう。今夜だけ、聞いてくれ」


狛が静かな声で話し始めた。感情を込めないように——

でも、込めずにはいられないかの様に。


「昔——俺には、仲間がいた」

その狛の話初めに桃果が手を止める。


「猫又の一族じゃない。もっと小さな、寄せ集めの仲間だ。

幽世の都の外れで、肩を寄せ合って生きていた」


狛の目が、少し遠くなった。


「弱い妖怪ばかりだった。力もない。後ろ盾もない。でも——みんな、生きていた」


回想の中の狛は、今より幼く髪が長かった。

着こなしは可愛い着物……女の子の姿で、仲間たちと笑っていた。


「リーダーは俺だった。一番強かったから。仲間を守るのが、俺の役目だった」


狛が手を握った。


「ある時——荒覇の使いが来た。今ほど強くはなかったが、

それでも俺たちには手に余る相手だった」


桃果が息を呑んだ。


「使いは——弱い妖怪を好んで狙う。気を奪いやすいからな。

勿論……俺たちの仲間も狙われた」


狛が、少し間を置いた。


「俺は戦った。でも——間に合わなかった」


声が、わずかに変わった。


「一人。また一人。仲間が……消えていった」


桃果は何も言わなかった。ただ、聞いていた。


「最後に残ったのが……一人居た。一番幼い仲間だった。

力がなくて、逃げ足も遅くて、いつも俺の後ろにくっついていた」


狛の目が、遠い場所を見ていた。


「でもその子を、最後まで守れなかった」


無言。店の外で、風が吹いた。暖簾が、揺れた。


「……消える前に、その子が言った」


狛の声が、少し掠れた。


「『狛は強いから、大丈夫』って。そんなの全然、大丈夫じゃなかった。

それからだ——俺は男の姿で生きることにした」


 狛が、桃果を見た。


「理由は、二つある。一つ目は——女の姿の俺が仲間を守れなかった。

あの時の俺のままで居たくなかった。何かを変えなければ同じことになると思った」

狛が手を開いた。

「……男の姿で戦えば——強くなれると思った。馬鹿みたいな理由だ」

「馬鹿じゃない……それは馬鹿じゃないよ」


突然入り込んだ桃果の言葉に狛が桃果を見た。


「二つ目は——」

狛が少し黙った。

「……あの子の分も、生きようと思った。でも——あの子は俺のことを『狛』と呼んでいた。名前は同じでも、女の姿の俺を知っていた」


狛の目が、また遠くなった。



「でも男の姿で生きることは——あの子の知っていた俺を、捨てることでもあった」

「……」

「矛盾してる。わかってる。でも——どちらも本当のことだった」



桃果が、台拭きを置いた。狛の隣に座った。狛が桃果を見た。


「何かを変えなきゃって思う気持ち、私も分かるから……」

「……近い」

「分かってる」

「離れろ」

「嫌」


 狛が目を逸らした。


「その仲間の名前、教えてもらえる?」


桃果が聞いた狛が少し止まった。


「……なぜ?」

「覚えたい」


狛が桃果を見た。


(覚えたい——か……この人間は、すぐそういうことを言う)

「……小梅。小梅という名前だった」


狛が、静かに言った。


「小梅ちゃん……か」

「……ああ」

「梅が好きだった?」


狛が少し黙って首を傾げた。


「……どうして」

「なんとなく。小梅って名前だから」


狛が、口元をわずかに動かした。


「……好きだった。梅干しを、よく食べていた」

「そっか」


桃果が立ち上がって厨房に向かった。


「桃果?」


しばらくして——桃果が戻ってきた。

手に、小さなおにぎり……梅のおにぎりを狛の前に、置いた。


「はい。小梅ちゃんの分」


狛が、おにぎりを見た。

しばらく——動かなかったが、手を伸ばし受け取った。


(小梅。お前が好きだった梅だ)


狛の目が、滲んだ。俯いたが桃果は何も言わなかった。隣にいた。

ただ——隣にいた。


(俺は——まだ、ここにいるぞ)


その後しばらくして、狛が顔を上げたが目が少し潤んで見えた。

でも——声は、いつも通りだった。



「……もう一つ、言っていいか」

「ん?なぁに?」

「男装のことを——お前だけに話した。

朔にも、雪哉にも、茨にも、誰にも話していない」

「うん」

「でもなぜ、お前に話す気になったのかは——自分でもわからない」

「わたしが狛の正体を見た時、誰にも言わないって約束したから?」

「……それだけじゃない気がする。お前が——小梅に、少し似ていた」


桃果が目を丸くした。


「似てる?わたしが?」

「怖がらない。放っておけない。真っ直ぐ来る。小梅にそっくりだ」


狛が、独り言のように言った。


「あいつも、そういう子だった」


桃果が、また狛の隣に座った。


「狛ちゃん」

「なんだ?」

「男装、続けるの?」


狛が少し黙った。


「……まだ、やめる気はない」

「うん」

「小梅が知っていた俺には——まだ、なれていないから」

「どんな狛になったら、なれると思う?」


狛が長く、考えた。


「……わからない。でも」

「お前と話していると——少し、近づいている気がする」


桃果が笑った。


「じゃあ、またいつでも話しかけて欲しいな」

「……うるさい」


 狛が言った。でも——口元がわずかに笑っていた。

そこで桃果が梅おかかのおにぎりを差し出す。


「これ、狛の分。小梅ちゃんの分とは別で」


狛が受け取り一口かじった。


「……美味い」


今夜は——素直に、言えた。


(……旨い。いつも、旨い)



店の外で夜風が吹き、暖簾の「ほおず喜」の文字が揺れた。

鬼灯家の家紋が、夜の光を受けて輝く。狛が……その家紋を見た。


(小梅。俺は——まだ、ちゃんと生きてるぞ)


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