第26話 マヨ昆布に乗せた小さい嘘
次の日の夜、店の二階の窓枠に……もふが座っているのを
桃果が気づき顔を上げた。
「もふ!来たの?」
「……きた」
鈴のような声のもふが窓から飛び降りて桃果の膝の上に乗った。
ふわふわしていて温かい。桃果が頭を撫でた。
「今日もおにぎり食べる?」
「……たべる」
「何味がいい?」
もふがしばらく考え耳がぴょこぴょこ動いた。
「……とうかが、えらんで」
「わかった。じゃあマヨ昆布にしようかな」
「マヨ?……こんぶ、すき」
台所に向かった桃果の後ろ姿をもふは見ていた。
(……こいつなんで毎回、好きなやつを選んでくれるんだ……?聞いてないのに)
もふが尻尾を丸めた。桃果が振り返った。
「ちゃんと待っててね」
「……まつ」
こくりと頷いた。耳が、また照れたように伏せた。
(……気を抜くだけだ。それだけだ。それ、だけ——)
握られていくおにぎりの匂いが台所から流れてきて、
もふの丸い目が細くなった。
荒覇の使いに見せたよう怪しく細くなった眼では無く今度は——
なんとなく、柔らかく。
*
そんなある朝、朔が桃果に言った。
「おにちゃん、最近食欲落ちてないか?」
言われて、桃果は気づいた。
確かに——最近、お腹が空く感覚が薄い。
おにぎりを握っても、食べる気がなかなか起きない。
「……そういえば」
「顔色も少し悪いですよ」
雪哉が桃果の顔を見て、眉を寄せた。
「何か変わったことはなかったか」
桃果が少し考えた。
(変わったこと——もふが来るようになったのは、あの悪夢の夜から)
「……一つだけ」
桃果が説明すると、朔の耳がぴんと立った。
「手のひらサイズの、もふもふした妖怪?」
「うん。兎みたいで狐みたいで——かわいいの」
「桃果さんが一人の時だけ来る?」
「そう。みんながいる時は来ない」
朔と雪哉が顔を見合わせ、雪哉が静かに言った。
「……ひだる神だ」
「ひだる……神?」
「飢えを操る妖怪だ。山や峠に出没し、触れた者から気力と食欲を奪う。
そして——」
雪哉が桃果を見た。
「奪った気を吸収して、自らを強くする」
「もふが……?」
桃果が目を丸くした。
「おそらく、結び飯の膨大な気を狙っている。
普通の人間より桃果の気は濃い。それを少しずつ、気づかれないように——
「あんやろ~かわいい顔して!」
朔が叫んだ。
「そういうことだよ!幽世じゃよくある手口!見た目で油断させて——」
「でも」
桃果が言った。朔が止まった。
「悪夢を見た夜に来て、そばにいてくれたのは本当だよ。
気を奪いながらなら——それでも、そばにいてくれてた」
桃果が窓の外を見た。
(もふ……あの温かさは、本物だったのかな?それとも——)
「……どうするつもりだ」
雪哉が静かに言った。桃果が少し考えた。それから——笑った。
「今夜また来たら、聞いてみる」
「聞く、って——あの妖怪と話せるんですか?」
「話せなくても、おにぎり渡してみる」
朔が頭を抱えた。
「おにちゃん、それがそもそも狙われてる理由なんだよ?」
「でも放っておけないじゃん」
雪哉が小さく息をついた。でも——止めなかった。
今夜も、もふが桃果の所へ着いたが既に桃果は眠りについていた。
もふは窓枠に戻って、外を見ていた。幽世の夜の星が多い空。
(……こいつ)
もふの尻尾が、ゆっくり揺れた。
(毎晩来るつもりはなかった。気を抜いたら、
さっさと去るつもりだった……なのに)
桃果の寝顔を、少し見た。安心したように眠っている。
悪夢を見ていた夜の顔と——違う。
(……俺がそばにいると、あいつは悪夢を見ない)
ただの偶然かもしれない。でも。
(俺が気を抜いているせいで、深く眠れているだけかもしれない。
それだけかもしれないそれだけ——)
もふが桃果の布団の上で尻尾を巻いて丸くなって、目を閉じた。
(……まあ、こいつのおにぎりが旨いのは、本当だ。それだけは、認める)
幽世の夜が、静かに更けていった。




