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第25話 暖かな偽りと冷たい夜

桃果が足を踏み入れたここは、辺り一面暗かった。

幽世の都だとは思うが、でも——いつもと違う。

石畳が黒く染まっている。提灯が消え、空に星がない。

気が付けば桃果は広場の中心に立っていた。

ふと、液体な何かが桃果の足について滑りそうになった。


(一体……何)


その液体を視界で辿って行くと――桃果はその先の衝撃な光景に口を覆った。

赤に染まった朔が地面に倒れていたのだ。


「朔くん!?……ひっ!」


朔に駆け寄ろうとしたが、その先には朔だけでは無かった。

無数の赤が広がっていた。

傍では雪哉が、膝をついていた。

茨が、俯せになって動かなかった。

狛が、俯いたまま立ち上がれなかった。

そして天廻が——目を閉じて動かない。


「……みんな」


声が出なかった。出たと思ったのに、音になっていなかった。

黒い霧の中から、声が聞こえた。


「お前の所為だ」


振り返った。黒い気配と禍々しい存在感。

でも——声は静かだった。怒鳴っていない。責め立てていない。

ただ、淡々と——事実を告げるように言った。


「お前が幽世に来たから、こうなった」

(違う……そんなことない!)


桃果が首を振った。この声を聴きたく無くて耳を塞ぐが

その声はどんどん近くまで来ていた気がした。


「お前が結び飯を使ったから、あの者たちは巻き込まれた」

(違う、違う——!)

「お前の所為で、仲間は死んだのだ」


桃果の足元が、黒く染まっていく。

朔の顔が、遠ざかっていく。

雪哉の声が、聞こえない。茨が、消えていく。

狛が——


「違う——!」


自分の叫びと共に目が、開いた。天井だった。

鬼灯おにぎり屋の二階。見慣れた木の梁。

桃果は布団の中で、息を切らしていた。

心臓が、速い。手が、震えている。


(夢だ……夢、だった)


でも——


(お前の所為で、仲間は死んだ)


荒覇の声がまだ耳の奥に残っていた。

暗い部屋の中で一人、桃果は布団の中で膝を抱えた。


(わたしが来たから、みんなが狙われてる。でもそれは、本当の事……)


夢だ。でも、嘘じゃない。桃果は目を閉じた。

閉じると、また暗くなる。

それが嫌で桃果は開けた。窓の外から、月明かりが差し込んでいた。


その月明かりの中に——何かが居た。

窓枠の上に小さな何かが座っていたのを見て、桃果が目を丸くした。

手のひらに乗るくらいの大きさだが、もふもふしている。

耳が長い——兎のような。でも尻尾がふさふさしている——

狐のような。そんな丸い目が、桃果を見てぱちぱちと、瞬いている。


「……なに?」


桃果が思わず問いかけるや小さな妖怪が首を傾げ、

同時に耳がぴょこんと動いた。


(かわいい……)


桃果は布団から出て窓に近づいたが、小さな妖怪は逃げなかった。

じっと丸い赤い目で桃果を見ていた。


「妖怪……だよね?なんでここに?」


小さな妖怪が、また首を傾けた。

桃果が手を差し出すと——ちょこんと、手のひらに乗ってきた。

温かい。ふわふわしている。


(こんな妖怪、幽世で見たことない)

「名前は?」


小さな妖怪が、ぱちぱちと瞬いたが答えない。

でも逃げない。桃果の指に小さな前足をかけた。

桃果は手のひらの上の小さな妖怪を見ながら窓の外の夜を見た。

悪夢の余韻がまだ体に残っている。桃果の視界が滲んで行く。


(わたしの所為で、みんなが——)


そんな時だった。小さな妖怪が桃果の頬を舌でぺろぺろと涙をぬぐっていた。

その感触が、少しだけ優しく温かかった。


「……ありがとね」


桃果が言った。理由はわからない……でも自然に出てきた言葉だったが

小さな妖怪は良く分かってないのか眼がぱちぱちと瞬いては首を傾げていた。


次の夜も、小さな妖怪は現れた。

その次の夜も。桃果が一人でいる時だけ——現れた。

朔がいる時は来ない。雪哉がいる時も。

茨がいても、狛がいても、天廻がいても——来ない。

桃果が一人の時だけ、窓枠に座って待っている様だった。

何時からか桃果はその小さな妖怪を「もふ」と呼び始めたが、

もふは嫌がらなかった。

ある夜。桃果がおにぎりを握っていると——

もふが台所の棚に座って、じっと見ていた。


(おにぎりが気になるのかな……?)


桃果がおにぎりの端を小さくちぎって、差し出した。

もふが前足で受け取って食べた。

丸い目が、わずかに——輝いた。


(美味しかったのかな?)


桃果が笑いかけた瞬間。桃果の手のひらの上で、

おにぎりを食べ終えたもふが丸い目が、見上げた。その時だった。


「……おいち」


小さな声だった。鈴を転がすような高くて柔らかい声。

その声に桃果が目を丸くした。


「しゃべれるの?!」

「……おいち」


もふがもう一度言った。

前足を桃果の指にかけて、ぺたぺたと触っている。


「もっと食べる?」

「……たべる」

「どんな具が好き?」


もふがしばらく考えた。耳がぴょこぴょこ動いた。


「……とうかのが、いい」


桃果が笑った。


「わたしが握ったやつがいいってこと?」


もふが首を傾げたがこくりと頷いた。

耳が照れたように伏せている。

そんなもふに桃果が頭を撫でるや、もふが——目を細めた。


(……あったかい)


心の中だけで思った。絶対に、声には出さなかった。


* * *


桃果が寝静まったのを見届けるやもふは店を飛び出した。

月影が隠れた夜空の下。

荒覇の使いの一体が、物陰に潜んでいたそこへ

——小さな影が飛んできた。


もふだった。


さっきまでの丸くてもふもふした愛らしい姿のまま、

使いの前に着地した。


「ひだる神。鬼灯の娘の様子はどうだ」


もふ=ひだる神が使いを一瞥した。丸い目が、細くなった。


「あいつか?」


使いが低く言った途端、声が——変わった。

さっきまでの鈴のような声ではない。

低く、落ち着いた、大人びた声だった。


「順調だ。毎晩少しずつ気を抜いている。

あいつの結び飯の気は濃くて旨い——想像以上にな」


使いが頷いた。


「荒覇様はいつ頃仕留められると聞いておる」

「焦るな」


ひだる神が前足で顔を洗うような仕草をした。


「あいつは警戒心が薄い。疑われていない今のうちに、

じっくり抜くのが一番効率がいい」

「しかし最近、仲間があの娘の体調を気にし始めているようだが」

「知ってる」


ひだる神が丸い尻尾をゆっくりと揺らした。


「あいつらが気づく前に、必要な分だけ抜ければそれでいい。

俺はもともとそれだけが目的だ」


使いが続けた。


「ひだる神。お前は鬼灯の娘に情を移していないか」


ひだる神が使いを見た。細くなった目が、さらに細くなった。


「何が言いたい」

「毎晩そばにいると聞いた。

気を抜くだけなら、もっと短時間で済むはずだ。なぜ——」

「俺の仕事のやり方に口を出すな」


ひだる神が低く言った。

使いが黙るや、ひだる神が踵を返した。


(情を移している、か)


鼻で笑った。


(馬鹿馬鹿しい。ただ、あいつの傍が——気を抜きやすいだけだ。それだけだ)


尻尾が、一度だけ揺れ、ひだる神が……笑った。


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