表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/24

第22話 数百年越しのひと結びへ

陰摩羅鬼(おんもらき)が現れた次の夜。

天廻から一言だけ伝言が届いた。


——今夜、全員を桃果の店に集めろ。


朔と雪哉が来た。茨が来た。狛が無言で暖簾をくぐった。

誰も理由を聞かない。全員が揃い、店の中にそれぞれが腰を落ち着けた。

朔が壁にもたれている。雪哉が腕を組んで座っている。

茨が無言で隅に腰を下ろしている。狛が桃果の隣に座って前を向いている。


「はい、全員分。夜食ね」


桃果が厨房から出てきた。両手にお盆。

笹の葉に包まれたおにぎりが、全員分並んでいる。

それぞれの前に、おにぎりが置かれたが誰も手をつけない。

店の中心に居る天廻を見ていた。


(この店に集まった者は全員、桃果のおにぎりを食べた者たちだな)


天廻が全員を見渡した。


(結び飯を受け取り、荒覇と向き合う覚悟を決めた者たちが——今夜ここにいる)


だから話せる。今夜だけが話せる夜だと思った。

天廻が静かに口を開いた。


「……話そう。知っての通り昨日陰摩羅鬼が動いた。

荒覇が本格的に動き始めた証だ。お前たちには——荒覇のことを、

知っておいてもらわなければならない」


誰も口を挟まなかった。

提灯の火が、静かに揺れ数百年分の記憶を辿るように。

天廻が目を閉じた。


「荒覇と私は——かつて、二柱で一つだった」


誰も動かなかった。


「幽世と現世の境を守る役割を、二柱で担っていた。

私が結ぶ神ならば、荒覇は断つ神だった。一方だけでは境は保てない。

結ぶだけでも、断つだけでも——世界は歪む」


朔が目を開け、茨がじっと天廻を見ていた。


「二柱が揃って初めて、境は正しく機能した。

長い時間、そうして幽世を守り続けた」


天廻が、少し間を置いた。


「荒覇は——よく笑う神だった」


その一言が、茨だけが信じられないと言うような表情で天廻を見て問うた。


「荒覇が、笑うだと?……あの禍々しい存在が。幽世を脅かすあの黒い気配が?」

「今のあれからは想像もできないだろうが——かつての荒覇は、そういう神だった。賑やかで、騒がしくて、私とよく言い争いをした」


天廻の口元が、わずかに動く。

笑みとも、悲しみとも取れる表情だった。


「転機は——人間の信仰が変わったことだった。人間は私の祠を大切にした。

結ぶ神、縁を繋ぐ神として、長く祀ってくれた。だが荒覇は違った」


朔の耳が、静かに伏せた。


「断つ神を、人間は恐れた。縁を切る神、別れをもたらす神——

そう解釈されて、祀られなくなっていった。

社は荒れ、名を呼ぶ者が減り、やがて誰も荒覇を知らなくなった」


雪哉が、静かに目を伏せた。


(忘れられた神——か……)


鎮守庁で何百年も境を守ってきた雪哉には、その意味が身に染みてわかった。

侵食して暴走してしまった神。

桃果が肉味噌の結び飯をあげた、あの土地神を事を思い出していた。


「私は——気づいていた」


天廻の声が、わずかに変わった。


「荒覇が少しずつ変わっていくのを、見ていた。笑顔が消えていくのを、

見ていた。それでも私は——声を掛けなかった」


言葉が、止まった。全員が、天廻を見ていた。

天廻が目を閉じる中、提灯の火が、揺れた。


「どうして?」


桃果が聞いた。責める声ではなかった。ただ、知りたかったのだ。


「声を掛けられなかった。が、正解かもしれない……私は、境を守ることで精一杯だったのだ」


天廻が、静かに言った。


「荒覇が一人で抱えているものに、気づいていながら——境を守ることを優先した。荒覇は弱音を言わない神だった。

だから、言わないなら大丈夫だと——そう、思い込もうとした」

(思い込もうとした——か)


茨が俯いた。自分のことのように聞こえた。荒覇の下にいた頃。

おかしいと感じながら、見ないふりをしていたことが——茨にもあった。


「ある夜、荒覇が消えた」


天廻が続けた。


「社も、気配も、何もかも消えた。私は探した。長い時間をかけて探した。

でも見つけられなかった」


天廻の手が、わずかに握られた。


「次に荒覇の気配を感じた時——それはもう、かつての荒覇ではなかった」


天廻が、顔を上げた。銀色の目が、桃果を見た。


「私があの時、声をかけていれば——と、何度思ったかわからない」


長い時間、ずっと抱えてきた言葉を……初めて、その言葉を口にした。


「荒覇が孤独になっていく間、私は隣にいながら何もしなかった。

境を守るという役割の中に、自分を隠したそれが——

荒覇を堕とした理由だと、今も思っている」


誰も何も言わなかった。言える言葉がなかった。

朔が、おにぎりを一口かじった。寂の中で、咀嚼する音だけが聞こえた。

それが合図になったように、雪哉も手を伸ばした。茨も。狛も。

誰も言葉を出さないまま、おにぎりを食べていた。


桃果が、天廻を見た。


「ほら、天廻も食べて」


天廻が桃果を見た。


「……私は」

「いいから。食べて」


はい。そう桃果が、天廻の前に一番大きいおにぎりを置いた。


「話してくれてありがとう。全部聞いた」


天廻が、桃果を見た。責めない。慰めない。

天廻がおにぎりを手に取った。一口、かじった。動きが、止まった。


(鬼灯の始祖と、同じ味だ)


あの戦いの夜と同じ。倒れていた自分に差し出されたものと——同じ温かさ。

天廻の目が、わずか揺れる。しばらくして茨が口を開いた。


「……荒覇は今でも、お前のことを覚えているのか?」


天廻が茨を見た。


「……わからない」


静かに、しかし確かに言った。


「あれだけ堕ちれば、かつての記憶は残っていないかもしれない。でも——」


天廻が手の中のおにぎりを見た。


「鬼灯の始祖のおにぎりを食べた記憶だけは、消えていないと思いたい」

「なんで」

「あれが——荒覇が最後に受け取った、誰かの温もりだったから」


桃果が、静かに言った。


「じゃあ、また渡せばいい」


全員が桃果を見た。


「荒覇に、おにぎりを渡す。始祖がしたことを、もう一度」

「お前……簡単に言うなよ」


茨が言った。


「あれは強大だ。近づくことすら——」

「近づかないと渡せないじゃん」


桃果が真っ直ぐな目で茨を見た。


「茨だって、最初は受け取らなかったでしょ。でも最終的には受け取ってくれた」


茨が、黙った。


「荒覇がどんな神なのか、受け取るかどうかはわからない。

拒否されるかもしれない。でも——差し出さないと、始まらない」


桃果が天廻を見た。


「天廻が後悔してるなら——もう一度、隣に行けばいい。

今度は声をかけながらね!」


天廻が、桃果を見つめた。数百年生きてきた神が、

人間の娘に——言葉を失っていた。


「……お前は」


 天廻が、静かに言った。


「鬼灯の始祖と、よく似ている」


 桃果が首を傾げた。


「会ったことないのに、なんでわかるの?」

「同じ目をしている」


天廻がもう一口、おにぎりを食べた。


「放っておけない、という目だ」


店の中に、静かな時間が流れた。朔が二個目のおにぎりに手を伸ばした。

雪哉が汁物を飲み、茨が窓の外を見ていた。

狛が桃果の隣で、梅おかかを黙って食べていた。

天廻が、全員を——静かに見渡した。


(こんな夜が、あるとは思わなかった)

(荒覇と二柱で守っていた幽世に。こんなにも頼もしい夜が、来るとは)


 雪哉が、汁物を置いた。


「天廻。一つ聞いていいか」

「何だ」

「荒覇を浄化するために——何が必要だ」


全員の目が天廻に向いた。天廻が静かに答えた。


「荒覇が最後に閉じた心を、開かせること。

そのためには——荒覇が忘れていないものを、思い出させる必要がある」

「始祖のおにぎりの記憶、か……」


 朔が言った。


「そうだ。だが荒覇に近づくためには、

陰摩羅鬼を含めた使いたちを退けなければならない。そして——」


天廻が桃果を見た。


「最後に鬼灯家の末裔の桃果が、おにぎりを差し出す」


桃果が頷いた。迷いがなかった。茨が腕を組んだ。


「……俺は荒覇の下にいた。使いたちの動きは、ある程度読める」

「鎮守庁として、封鎖の法令を準備する」


 雪哉が言った。


「俺は幽世中の情報を集める。陰摩羅鬼の動きも含めて」


 朔が耳をぴんと立てた。


「俺は——」狛が静かに言った。「桃果の傍に居よう」


短く、でも確かに言った。


全員が、頷いた。天廻が、全員を見た。


(荒覇。お前が最後に笑ったのはいつだ……

あの夜以来、誰かの温もりを受け取ったことがあるか?

あの夜の温もりを——この娘が、もう一度差し出す。今度こそ、受け取ってくれ)

「……荒覇にも、見せてやりたいな」


天廻が独り言のように言ったのを見て桃果が笑った。


「見せよう。絶対に」


根拠のない言葉だった。でも——誰も否定しなかった。

提灯の火が、揺れた。鬼灯おにぎり屋の夜が、静かに更けていった。



* * *


皆が帰った後、桃果はいつも通りおにぎりを握っていた。

光が滲む。温かくなる。いつも通り。握り終えて、手を見た。


(……あれ?)


なんだろう。なにかが、引っかかった。

でも——なんだかわからない。

桃果は気の所為だと首を振って、次のおにぎりを握り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ