表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/26

第18話 雨の日の温もり、鬼の落涙

誰もいない場所で鬼――(いばら)は立っていた。

荒覇の使いが目の前にいた。いつもの使いではなく

荒覇の声を直接届ける上位の伝令だった。


「茨。鬼灯の娘の捕縛が遅れている。荒覇様はお怒りだ」


茨は答えなかった。


「次の機会で必ず仕留めろ。それと——」伝令が続けた。

「鬼灯の娘の周囲にいる者たちを先に潰せ。娘を孤立させてから捕らえる」


茨の拳が、わずかに握られてゆく。


「……周囲の者を、潰す」

「そうだ。天廻。朔。雪哉。狛。一人ずつ排除しろ」

(あいつらを——)


脳裏に、ふと桃果の顔が浮かんだ。

初めておにぎりを差し出してきた夜。受け取れなかった。

でも——払いのけられなかった。


(俺には……関係ない事だ)

「……わかった」


茨は答えた。でも声が、いつより低かった。


* * *


数日後。茨は人間に化けた姿で市場の人混みの中に紛れていた。

角を隠して、着物を変えて。

幽世では珍しくない変化のまま桃果を遠くから見ていた。

おにぎり屋の買い出しだろう。笑顔で市場の妖怪たちと話している。

屋台の老婆に何か渡されて、嬉しそうにしている。


(あいつは——)


いつも、こうだ。怖がらない。警戒しない。

誰にでも真っ直ぐ向かっていく。


(本っ当に馬鹿な人間だ)


行動に移る前に使い達に伝令をした。

わざとあいつらの近くで街を襲うフリをしろと。

そうすれば桃果を守る奴は皆、戦わざるを得ない。

今は誰も桃果の元へは来れない。

そう思いながら茨は笑みを浮かべた——

桃果の姿に目が離さないまま。


そう、茨の伝令が動いたのはその時だった。

上位の使いが三体。人の姿に化けて桃果の周囲を囲み始めた。

茨が気づいたが桃果は気づかないまま笑顔で荷物を持ち直している。

自分の命令が、今まさに実行されようとしていた。

茨は動かなかった。動かなければいい。そのまま見ていればいい。

使いが桃果に近づいていく。

桃果が、ふと振り返った。使いの一体と、目が合った。

その瞬間——使いが桃果の腕を掴んだ。


「っ——!」


* * *


引きずられるように連れ込まれた裏路地。

三体の使いが桃果を取り囲んでいた。

桃果は身体を腕に捕まれたまま、使いを見ていた。

怖いはずだ。震えているはずだ。そ

う茨は遠くから隠れて見ていた。


でも——


「……あなたたちに聞きたいことがある!」


状況に怯えない桃果が言った。使い達が一瞬、戸惑う。


「……何だ」

「荒覇の命令で動いてるんだよね?」

「そうだ。鬼灯の娘を——」

「違う、そっちじゃない」


桃果が使いの目を、まっすぐ見た。


「赤髪の鬼の事よ!」

茨が——路地の入口の影で、動きを止めた。


「……荒覇がわたしの周りの人たちを潰せって茨にそう命令したんでしょ!」


使いが黙った。


「答えなくていい。そういうことでしょ」


桃果の声が、変わった。穏やかではない。

でも叫んでもいない。静かな——怒りの声だった。

足の震えを止めるために、自分の手を強く握りしめる


「朔も、雪哉さんも、天廻さんも、狛も——

みんな、わたしのせいで狙われてるんだ」

「……そうだ。お前が幽世に来たから——」

「わかってる。けれど、ここで私が逃げたらおにぎり屋も、仲間も守れない!」


桃果が言った。


「わたしのせいだって、わかってる。だから——」


桃果の目が、使いを射抜いた。


「もう、わたしの大切な人たちを巻き込むな!」


使いが、少し後退った。


「怖い。怖いけどわたしは逃げない。

あの人たちを傷つけるなら——わたしが、許さない!」


路地の入口。桃果の声を聴いて茨は動けなかった。


(こいつは——)


怖がっていない。震えていない……

自分が今捕まりそうになっているのに、仲間の心配をして、怒っている。


(馬鹿だ……本当に、馬鹿でお人よしか?)


でも——


頭の奥が、よぎった。

雨の夜。現世の道端で大木に寄りかかっていた幼い自分。

いつの間にか間違えて幽世から落ちてしまったのだ。

気づかないのか誰も助けないまま通り過ぎていく。

このまま死ぬのか?でも一人だけ——自分に立ち止まった。

ふと、小さな手が傘を片手に差し出した。温かいもの。


『怖くないのか?』

『怖い、でも放っておけないじゃん』


と、笑った顔。差し出されたそれをもつ顔は――


『喋りすぎだ。大人しくしろ——』


桃果に苛立った使いの一体が印を構えた。

その時――使いが吹き飛び、茨が路地の中心に立っていた。

化けていた姿が解けている。黒髪。赤い紋様。一本の角。

本来の姿で、桃果の前に立っていた。残り二体の使いが、茨を見た。


『……茨。何をしている』

『見てわからないか』


茨が低く言った。


『命令に、従わない気か』

『……ああ。もうどうでも良くなったんでな』


使いが飛びかかってくる。茨が正面から受け止め鬼の力で殴り飛ばす。

一体が壁に叩きつけられて消えたが最後の一体がすぐさま肉薄し、

茨の脇腹を切り裂く。着物が、赤く染まった。


「傷が!」


桃果が声を上げたが茨は止まらない。

傷ついたまま踏み込んで、最後の一体を殴り飛ばし……

使いが消えた先、茨がゆっくりと振り返った。

脇腹を押さえ苦痛に顔を歪ませていた。

じわじわと赤が、指の間から滲んでいる。桃果が慌てて駆け寄ってきた。


「傷——大丈夫!?」

「深いが……大したことない」

「大したことあるじゃん!血が——」

「鬼はこれくらいで死なない。直に治る」


茨が、桃果を見た。桃果が、茨を見た。

しばらく、お互いに動かなかった。

桃果が鞄を開けた。笹の葉に包まれたおにぎりが、一個入っていた。

買い出しの前に自分で食べると握ってきたやつだ。

桃果が茨に差し出した……梅のおにぎり。


茨が——見た。初めて差し出された夜と、同じだった。

でもあの夜は、受け取れなかったし

今日も——受け取れない理由は、ある。


(俺はお前を狙っていた。今日まで、ずっと。

そんな俺が、お前から受け取れるわけが——)

「……助けてくれて。庇ってくれて。ありがとう」


真っ直ぐな目だった。

怒っていない。責めていない。

ただ——ありがとう、と言っていた。


(何故だ……お前を狙っていた俺に、なんでそんな目を——)


茨の手が、動いた。おにぎりを、受け取った。

一口、かじった。

茨の動きが、止まった。


梅の酸味が、最初に来た。鋭いかと思った——違った。

ほろりと丸く、舌の上でゆっくりとほぐれていく。

その下からおかかの出汁の旨みが滲み出て、

米の甘さがそれを受け止める。

塩が最後に輪郭を締めて——全部が、一つの温かさになって喉を落ちていった。


それだけじゃ、なかった。


胸の奥の、ずっと凍っていたところまで——届いてくる。


頭の奥で、何かがよぎった。

雨の夜だった。道端で倒れていた。

小さな手が、差し出して来て温かいものを——受け取った。

あの時も、この匂いがした。梅の、酸っぱくて甘い匂い。

誰の手だったか。顔が、思い出せない。名前も、思い出せない。

ただ——温かかった、ということだけが。

ずっと消えずに、凍ったまま、胸の奥に残っていた。


それが今、一口のおにぎりに溶けていく。


茨は目を伏せた。受け取るべきではなかった。

この手から、もらうべきではなかった。

わかっている。わかって——いるのに。


「……なぜ」


声が、掠れた。桃果に向けた言葉ではなかった。

自分に向けた問いでもなかった。ただ——零れた。

凍っていたものが溶ける時、一緒に出てきてしまった様なそういう声。


(これだ)


いつの日か……雨の夜に差し出されたあれと、同じ温かさだ。

ずっと、忘れられなかった。ずっとずっと、求めていた。

それを——今、桃果から受け取った。茨の目が、段々と滲む。


(泣くな)

(鬼が、泣くな)


でも止まらなかった。茨が桃果から顔を背けた。

傷ついた脇腹は見事に治っていたが、声が出なかった。

桃果は何も言わなかった。

しばらくして——


「……旨い」


茨が、絞り出すように言った。声が、震えていた。


「うん」


桃果が言った。


「また、握るよ。貴方の為にね」


茨が答えなかった。でも——顔を背けたまま、頷いた。

小さく。でも確かに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ