19話 即決! 逃げればいんじゃね?
油断するな油断するなと言っていたのにもかかわらず油断の隙を狙われたのは、俺が魔物よりも馬鹿なのか阿保なのか、あるいは経験値の差があるからだろうか。突然現れたそれに短剣を構える。
土蜘蛛。
ゲームでは何度か見たことのある生物だ。よく聞くのは獲物を雁字搦めにして食べるという蜘蛛特有の習性。上半身が人であるのは人間のエゴなのかそれとも進化の一つか。
と、そんなことはどうでもいいか。問題は、こいつが敵だってことだ。
「急に現れて奇襲とは。直前まで気づかなかったところを見るに廊下の天井に張り付いてたな。しかもドアを開けた瞬間思いっきり刺し殺しに来やがった」
恐ろしいことに、こっちが警戒しているのを察知して、直前まで我慢したんだろう。もしかしたら家中歩きまわていた時に後ろをつけられていた可能性もある。となれば、中々頭の回る魔物であるのは何となく想像がつく。
背後を目の端で一瞥し、土蜘蛛へと視線を寄せる。
蜘蛛なのに家に糸を張ってなかったってことは、何かしら俺の知らない習性を持った魔物なのかもしれない。あるいは糸を張り巡らせると獲物にバレるからあえて出さなかったのか。通常蜘蛛という生物は獲物を捕まえるために糸で巣を作る。そうして引っかかった獲物を食すというのが習性だ。今回で言うとこの家だな。けど、この家には糸がなかった。つまり、獲物に存在がバレないようにあえて出さなかったという可能性もある。
「頭がいい魔物。じゃあ逃げ、だな」
どんな理由があるにせよ、蜘蛛と戦うのに室内ってのは骨が折れる。そう考え、踵を返した俺は勢いのまま背後の窓を破壊し、瓦を走る。すぐに後ろから音がしたので、きっと追ってきているのだろう。何となくそれを察知しつつ、そのまま門扉に跳び、庭へと転がり込んだ。
砂利にスライディングしたため、体にあたって痛いが、すぐに立ちあがる。と、予想通り、土蜘蛛は庭まで追ってきて立ち止まった。勢いよく降ってきたので砂煙が立つ。現れた土蜘蛛は室内から解放されたからか、より一層デカく感じた。
「大体2メートル半くらいか。虫嫌いの俺としちゃああんま時間かけたくねえが……」
田舎に住んでいるとはいえ、ここまでデカい虫と格闘した経験など当然ないので、できれば早く倒して視界から消したいところ。魔物は倒せば霧になって消えるし、ドロップ品になってしまえば全部同じ。そもそも、虫というだけで大した素材も落とさなそうだ、戦うメリットもあんまりない気がする。
「……? なら逃げるか!」
これ逃げればいんじゃね?だって俺こいつのこと別に興味ないし、親殺されたわけでもないし。まあ、婆ちゃんの家に居座りつくのは普通に気持ち悪いが、もうここも何回通うかわからない。
強いて言えば卓球台を回収するために寄るくらいだ。ヘルズたちと一緒にやりたいからな。けど、それ以外にここを訪ねる理由はない。もしこいつが俺を襲う理由が食料ではなく住処に不法侵入したことへの断罪であれば、そこまで追ってくることもないかもしれない。時間をかける価値は特にないのではなかろうか。
「うし、そうするか。逃げましょう。ーーっとお!?」
閃いた。逃げという一択。
と、舐め腐ったことを言っていると、俺の言葉のなど全くもって理解していないであろう土蜘蛛がケツから糸を吐いて攻撃してきたのでそれを寸前で交わす。大きさ直径2メートルくらいの円型の糸を放出してきた。まるで魚の網漁みたいだ。まさかそっちが漁師さんでしたか!んで俺は逃げる魚と!
「よし!! 悪いが俺は逃げるよ!! お前と戦ってもメリットないしな!!」
こういうの普通なら正面から戦うんだろうな。ゲームとかアニメだったら。けどここは現実なので別に絶対戦わなきゃいけないわけじゃない。強制イベントではないんだ。
庭から走り出し、坂を勢いよく下りていく。最早振り向くことなく全力疾走だ。ガキンッガキンッと何やら甲高い音が聞こえてくるが、それら全部無視して走り続ける。
なんかすっごい勢いで追われてる気がするんだけど気のせいだろうか、いや、というか浮遊してない?スパイダーマンみたいに木々とか飛び跳ねてない!?
レベルが上がってかなり早く逃げられてると思うんだが、それでも土蜘蛛は相当お怒りらしく、絶対に逃がさないと言わんばかりにとんでもジャンプ力とやつ特有の糸を使って猿のように追ってくる。
ちょっとまずいか、ここからどう逃げよう?
本当ならそのまま坂を下りて逃げるつもりだったが、思わず来た道と違う道に走ってしまった。
家に結界が張られてることを知っているはずなのに、何となく家にこいつを近づけさせるとヤバイ、と反射的に思って別の道から坂を下ってしまっている。まだ結界がある生活が当たり前じゃないからビビっちゃったんだろう。まあそれはともかく、道を間違えたならその道の逃走ルートを走ればいい。
道中、坂を上り小さな神社を通りすぎ、更に石階段を下りてそのまま家近辺へ。
「何ならこのまま一周して突き放すか。いや、でもそれだと追いつかれるか?」
奴の速さは相当だ。今の俺が50メートル走5秒台で走っているとしたら大体5秒切るかどうか。幸い道が細いからあの巨体を十分に使えず遠回りしてくれているから助かっているが、それでもいつかは追いつかれる。一応、道筋としてはこのまま坂を下りて家に行き、家を通り過ぎてまた坂を登れば婆ちゃんの家に戻ることはできる。
とはいえ、それまで逃げきれるかという問題はある。それならまだ家に逃げ込んだほうが生存確率は格段に上がる。
しかし、家に逃げ込めば蜘蛛がこのあたりで立ち止まることになるわけで、結局戦うことになるからほぼ状況は変わらないという……。
最悪、結界に入って向こうが隙を見せた瞬間、一撃で仕留めるのもアリではある。ヘルズとメタクラックが言っていたが、結界に入ると魔物は俺たちのことを認識できなくなるみたいだからな。つまり、ヒット&アウェイ。狡いが、その方法なら確実に仕留められるし、うまくいけば一撃で終われる。
「状況によっては裏から結界を出れば巻くことはできるか。まあ、それでも結局戦うんだけど……ん?」
坂道を下る道中、そろそろ下りを終え、家に隣接する道路に入るか、街の方に行くかというT路地に迫ったところで、ちょうど遠くに人影があることに気づいた。一瞬だが、間違いない。二人の人影だ。
一体何をしているのか……坂上に立つ両者が談笑している様子は、言うまでもなく俺の悪友であり、俺の親友たち。一人は茶髪の男で、もう一人は赤毛の女だった。距離は大体500メートル先だろうか。場所は家から南方向にある坂を上った先ーーもっとわかりやすく言えば、俺が向かうと二人が全力で止めてくるだろう坂野原運動場前。道中魔物はなし。多分二人が倒したんだろう。ドロップ品もないし家に持ち帰った後なのか。坂を下り切ったので、すぐに家に隣接する道路を選択し、そのまま家の周りを一周していく。
「なんであいつらがあんな所にいるかは知らねえけど……しめたッ! せっかくなら三人でフルボッコと行こうじゃねえか!!」
待ってろよ愛しの外道ども!!
今俺が行くからな!蜘蛛と一緒に!
坂野原運動場前。
「ここも封鎖か。どうやら本当に全部異世界化しちゃってるみたいだね」
そこにはメタクラックとヘルズが話し合いを始めていた。
「公共施設は軒並みそうだね。テレビによれば公民館とか旅館とかもダンジョン化してるってさ」
「え、マジ!? じゃあ全部こんなことになってるの!?」
二人が話し合っているのはこの世界の新たなルールについてだった。それも、魔物関係というわけでもなければ結果関係でもない、新しいこの世界の規則だ。
メタクラックは今一度、坂野原運動場に目を向ける。そこには一か月前とは全く別の、変わり果てた運動場の姿があらわになっている。何度見ても不思議で、そして異質だ。前情報なしに見ていたら危険を察知してすぐに家に逃げ帰っていただろう。それほどの光景に、思わず眉をひそめる。ヘルズは首を振った。
「いいや、全部ってわけではないみたいだよ。大体80%くらいかな? 他は通常通りだってさ」
「その残りの20%はまだ生きてんのかよ…………廃墟でした、とか言われても驚かないんだけど」
「それは知らない。でも基本的に全部異世界化されちゃってるって認識でいいんじゃないかな。20%なんて誤差でしょ」
「……まあ、それもそうか」
世界の常識が一つ追加された。それに関してはもう受け入れるとして、問題は今この異世界化がどれほど世界に浸透しているのか、ということだ。ヘルズによれば世界の80%ということだが、そもそもその80%はどうやって調べたんだよ、って話だしそこまで信用できない。世論調査というか、多分数十単位で調べた結果だろう。この世界はまだスマホが使えない状況だし、目視や噂での判断かもしれない。
「どちらにせよ、俺らからしたらこのシステムはかなり面白そうだし、ゲーム性の高いルールといえばそうなんだけどね。楽しそうって意味でラッキーに思うべきなのか、何が起こるか分からない恐怖に震えるって意味で理不尽だと思うべきなのか。実際に入って見ないとそこは判断できない。今日はもう遅いし、明日以降いろいろ確かめてよう。残りは一旦家に戻ってからってことで」
「キュウタくんもいないしね。彼のことだし、もしかしたらこのことに気づいてない可能性もある」
「あ~それそれ大いにあるよ。そもそも気づいてるならもう家に帰ってるんじゃないかな、俺たちみたいに。あいつの思考回路はともかく、そう言うところ俺らと似てるから」
現状がもしキュウタに知れているなら、おそらく「俺はこんなすごいものを見たぞ!」と言わんばかりに自慢げな表情をして楽しそうに情報共有をするはずだ。そのためにもいち早く家に帰って自分たちを待っているというのは想像できる。まさに、自分とヘルズと同じように。
実際それで二人は合流してこうして一番近くに存在する公共施設である坂野原運動場にやってきたのだ。そして十中八九以前とは違う改装されたそれを見て話し合っている。
「情報共有は最優先だからね。……今頃彼はどこで何してるんだろうか……」
「意外と遠くまで行ったって可能性もあるんじゃない? だからこそ、ダンジョン化という事実を知っても俺たちと合流するのが遅れた、と考えられる。あるいは、この現象とは別の問題を引っ張ってくるか」
「流石にそれは大丈夫でしょ。今日はまだリハビリ中だし、彼も下手なことはしないって豪語してたもん」
「そんな言い訳あいつには通用するとは思えないけどね。詐欺師が嘘つきません、なんて言っても信じらないでしょ。あいつがリハビリだから大人しくします、なんて常識人なら俺らがとっくに制御できてる」
「それもそっか」
二人がそんな話をしているまさにその時だった。正面から何かが近づいてくるような規則性のある大きな足音と、金属が地面に叩きつけられるような不規則な甲高い音が聞こえてきた。
「おーい!! 二人とも!! なんでそんなところにいるんだよ!? 何か面白いものでもあったのか!?」
「「……」」
声の主は一人の少年である。どうやら自分たちを見つけてこちらにやってきたらしい。その声に目を向けてみると、そこには楽しそうに笑みを向けて手を振りながらこちらに走ってくる少年がいた。黒髪黒目。背丈は平均的で、顔も特に目立った特徴はない。強いて言えば目がちょっとキリッとしてなくもないのでかっこいいと思えなくもないか。なんにしてもその少年は二人にとって悪友というべき人物ーーキュウタであった。
まるで久しぶりの友人にでもかの会うように、嬉しそうに走ってきている。そんなキュウタとは別にヘルズとメタクラックの顔は蜘蛛っていた。いや、曇っていた。キュウタの方向を見れば嫌でも目に入る。というか、キュウタよりも先にそっちに目が行く。そこには見ただけで嫌悪感を抱くこと間違いなしの悍ましい姿をした巨大蜘蛛の姿があったからだ。
「嘘だろあいつ……言ったそばから!? 本当に期待を裏切らないな!」
蜘蛛と鬼ごっこしているキュウタにメタクラックが剣を構える。
「しかも私の嫌いな虫連れてきてるし! どういう神経してんだろうねあのクソゲーマーは! とりあえず私は前走ってるやつ倒すから、メタクラックくんは後ろの蜘蛛ね!」
ヘルズもまた、槍を構えつつ向かってくる敵を睨む。そんなヘルズにメタクラックは目を細めた。
「え、俺も前のやつやりたいんだけど!」
「ダメ、あれ私の獲物だから」
「え~」
魔物二体接近中。内、一人はキュウタと申す。




