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虹のまち  作者: はんどろん
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13/13

知らんぷり

 高校に無事入学したわたし達の生活は、想像していた通り平凡で味気のないものだった。変わったのは周囲の子達の見た目くらいだ。高校生になると急にみんなお化粧を始めたり、髪を染めたり、中学生の時にはできなかったお洒落を楽しみだした。わたしはというとその波に乗ることもせず、中学生の時と変わらず少しずつ変化していく自分の体を無感動に認めていた。いくら成長が遅いからって、流石に少し胸は膨らんだし、髪は当たり前の様に伸びる。別にその髪型が気に入っている訳ではないけれど、黒くて肩甲骨を覆い隠すくらいの長さの髪型を変えるつもりはなかった。

 わたしと違ってジュンちゃんは友達に誘われたのか、元々色素の薄かった髪を染めた。そして想像通りジュンちゃんはよくもてた。入学して一ヶ月も経たないうちに、まず同じ学年の女の子に告白されていたのを知っている。全てを知っているわけではないけれど、その数を数えるのも面倒くさい。

 男子クラスになったジュンちゃんのファンは学年を跨いでいた。

 ジュンちゃんと違いわたしはやっぱり高校でも友達を作るつもりはなかった。中学生の時もそうだったけれど、違う学校だった子が何人か最初は話しかけてきたけれど、素っ気無い返事をしているといつの間にかその子たちもわたしには係わろうとはしなくなっていた。

「お前って、高校生になっても変わらないなあ」

 ある日の帰り道の途中、ジュンちゃんがしみじみとそう言った。そんなことわざわざ言われなくても自覚しているけれど、口癖のようなものだろうと思い無視した。

 河川敷は今日も子供や犬の散歩をする人で賑わっている。いつもこの夕暮れ前が一番人が多い。小学校や中学、高校の通学路にもなっているからすれ違う学生も結構いる。

 今日は授業をサボらず最後までいたからこんなに人が多い時間に当たったんだろう。いつもわたしが此処を通る時はもう少し人が少ない。今日はつい先ほどまで雨が降っていたから地面がぬかるんでいると思うのだけれど、いつもと変わらず河川敷で遊ぶ子供は気にならないのだろうか。

「なあ、ちょっと寄り道していい?」

「どこ?」

「コンビニ」

 ジュンちゃんがそんなこと言い出すなんて珍しい。ちょうど近くにあるのを知っていたから、わたしは頷いた。坂を下って住宅街を少し行けばすぐに着くだろう。

「なに買うの?」

「うん、何買おうかな」

 特に目的もないのに、一体どうしたんだろう。今日のジュンちゃんはいつもより少しおかしいかもしれない。けれどその疑問を口にするのも何だか面倒だったから、何も言わずに斜め前を歩くジュンちゃんに付いて行く。

「そういえばさ、小屋のおじさんいつの間にかいなくなってたよな」

 小屋のおじさんとは、河川敷で小屋を作り住み着いていたおじさんだ。数匹の犬や猫たちと暮らしていた。小学生の時は担任の先生に近づいちゃだめだと言われていたけれど、近所のおじさんがその小屋のおじさんと友達なのをわたしは知っていた。

 中学生の冬頃だっただろうか。おじさんがいなくなったのは。

「おじさんは多分遊牧民みたいなものだったんだよ。だって、ジュンちゃんが引っ越してくる少し前くらいからいるようになったんだよ。その前にも転々としてたんじゃないかな」

 ふうんというジュンちゃんの相槌でその話は終わった。

 本当に、一体どうしたんだろう。

 他愛もない話はいつものこと。ジュンちゃんもわたしもお互い思いついたことをぽんぽんと話すから、特に内容がないことが多いけれど、今さらそんなことを言い出すなんて。わたしよりもジュンちゃんの方がまともで話す内容にも筋が通っているものが殆どだ。

 それにしてもジュンちゃんは知らないのだろうか。この河川敷の近所ではほんの一瞬だけど話題になったというのに。

 コンビニにたどり着くと、ジュンちゃんはカゴを手に取りその中に飲み物とお菓子を放り込んでいった。わたしはその様子を眺めながら彼の後に続いた。

 誰かお客さんでも来るのかもしれない。そう思うほどの量が買い物カゴの中に積もっていく。けれど、そのお客さんはジュンちゃんの友達ではないだろう。ジュンちゃんは、家に友達を呼んだことがないのだ。あのぼろいアパートが恥ずかしいというわけではないというのは、以前のジュンちゃんと友達の会話から想像がついた。ジュンちゃんは何年も住んでいる自分の家を「今どき珍しいほどのぼろアパート」と言っていたのだ。確かにぼろいけれどわたしも住んでいる身なので、少し複雑な思いをしたのを覚えている。

「羊、お前なんかいる?」

「奢ってくれるの?」

「特別な」

 今回だけ特別ということだろうか。何か臨時収入でもあったのかもしれない。

 わたしは棚から苺ミルクのパックを取るとジュンちゃんのカゴの中にできた層に埋め込んだ。

「お前まだそれ好きなんだな」

 小さい頃好んでよく飲んでいたのだけれど、そんなこと覚えていたのか。最近は飲んでなかったし、自分自身でも好物だったのを忘れていたくらいだ。今たまたま棚に並んでいるのを見たら飲みたくなったのだけど。

 呆れ顔でもしているのかと思ったけれど、ジュンちゃんは懐かしそうに目を細めていた。優しそうな顔。わたしは目を逸らすと、窓ガラスの方を見た。もう日が暮れそうだ。早く帰らないと。

 そんな気持ちが伝わったのか、それともわたしが態度に出しすぎたのか、ジュンちゃんはさっさとレジで会計を済ませた。

 袋に詰め込まれていく物を見ながら、そういえばわたしはジュンちゃんの好みをあまり知らないことに今更ながらに気付いた。小学生の頃、ジュンちゃんのお母さんが言っていたのでハンバーグが好きなことは知っていたけれど、それも今では分からない。長い時間を一緒に過ごしてきたはずなのに、これじゃあわたしがジュンちゃんに対して全く興味を抱いていなかったみたいだ。けれどそんなことを言い出したら、多分わたしは過ごしてきた時間の割りにジュンちゃんのことは殆ど知らない。ジュンちゃんがホモで、自称バイなことは知っているけど、そもそもそれはどうして知ったんだったっけ。

 自動ドアが開くと、強い風が髪を攫った。夏も間近に迫ったというのに、まだまだ空気は冷たい。けれど、たまに空気に夏の気配が混ざることがある。そんな時わたしは決まって憂鬱な気分になった。季節に鈍感な方だけれど、暑いのは眩暈がする。元々そんなに食べる方ではないけれど、食欲が減る。けれど、ジュンちゃんはわたしに無理してでも食べろと言うのだ。

「もうすぐ夏だね」

 少しうんざりしながら言うと、ジュンちゃんはふと笑いを漏らした。

「やばいな。今年ももやしみたいにひょろひょろにならない様に気をつけろよ。もともとひょろいんだから」

 ひょろひょろとわたしの頭の中でもやしが踊った。そうだ、それも毎年言われる言葉だった。いつから言われるようになったのか思い出そうとしてももう分からない。今では聞き慣れてしまったから、随分と前からだろう。

 わたしはとりあえず頷いておいた。わたしだってひょろひょろ言われるほどひょろひょろにはなりたくない。自分がどうなりたりとも思ったことはないけれど、そんな風にはなりたくないと思った。

「なあ、ちょっと河川敷に寄ってかない?」

 そんな何気なく言われた言葉に、わたしは思わずジュンちゃんの横顔をまじまじと見つめた。

「たまにはいいだろ? ほら、お菓子も買い込んだし」

 その為のお菓子だったのか。だったら、今急に思い立ったという訳ではないのだろう。

 河川敷。

 毎日通る所だけれど、わたしたちはそこで立ち止まることはない。いつも何事もない様に日常的な会話をしながら通り過ぎる。そんな場所で、何かあるのだろうか。

 一瞬考えこんでしまったけれど、わたしは小さく頷いた。別に断る理由もなかったから。


 河川敷には、学校帰りの小学生や犬の散歩をしているお爺さんの姿があった。ジュンちゃんはそんな人たちと少し距離を置いた場所に座り込んだ。わたしもスカートの後ろを折り込んでその隣りにしゃがみこむ。今日は少し風が強い。束ねてもいない髪が乱雑に空中に散らばるのを両手で押さえこむ。

 ガサガサと音がしてそちらに目を向けると、目の前にジュースのパックが差し出された。無言で受け取り、横を見るとジュンちゃんはぼんやりと川を眺めていた。自分の飲み物を手に持ってはいるけれど、開封もしていない。

 何か話でもあるのだろうか。

「あの男に会ったんだ」

 それが誰なのか分からなくて、小首を傾げた。けれど、すぐに合点がいく。『あの男』とはジュンちゃんのお父さんのことだ。どうしてと思ったけれど、わたしは何も言わずに、ジュンちゃんのどんな感情さえも見逃さない様にその綺麗に整った、お母さん譲りの顔を見つめる。

「殴ってやろうと思ってたんだ。顔の形がめちゃくちゃになるくらい、殴る権利はあると思ってた。下手したら殺してしまうかも、けどその時はその時だって思ってた」

 どうやらジュンちゃんはお父さんのことを殴らなかったらしい。身体が成長したジュンちゃんがもしお父さんと再会したら、もしかすると殺してしまうかもしれないと小学生の頃のわたしは予想していたのだけれど、それは外れてしまったらしい。

「思ってたよりも何もかも小さかったんだ。俺を見て驚いた顔とか、猫背になった体とか」

 その言葉でなんとなく分かった。ジュンちゃんは殴らなかったのではなく、殴れなかったんだ。

 自嘲的な笑いを浮かべた顔から目を逸らして、わたしは静かに流れる川を見た。夕日が反射してちらちらと眩しいけれど、夜になればそれはつやつやとした黒になる。

「それで?」

 わたしは訊いた。それで、なんだというのだろう。ジュンちゃんのお父さんだって、どれだけ頭が可笑しくても怪物じゃないのだから歳だってとる。わたしたちが小さかった頃に見た大人の姿は、やっと今歳相応の人間の姿に見える。わたしも、お父さんに会えばジュンちゃんの様に感じるのかもしれない。わたしはお父さんを殴ろうなんて思ったこともないけれど。

 ジュンちゃんは一瞬きょとんとしたものの、次の瞬間には大きく息を吐くような笑いを漏らした。

「いや、なんでもない。ほんとどうでもいいことだったわ」

 そんなことよりも食べようと言って、袋を開けていく。そういえば夕食前なのだけど、お菓子なんか食べてしまったらご飯が入らなくなってしまうのではないだろうか。特にお菓子が好きではないわたしは、手を出さずにじっとジュンちゃんがお菓子を頬張る姿を眺めていた。途中で勧められたけど遠慮した。ジュンちゃんは結構食べるのにどうして全く太らないのだろう。育ち盛りというやつか。

 本当に他愛のない日常だ。わたしはそれが嫌いではない。けど、同時に酷く苦手だった。だから色んなものから目を逸らす。知らないふりを繰り返す。ジュンちゃんからの視線の意味も、わたし達が一緒にいる意味も、色んなものから。

 ジュンちゃんが言っていた小屋のおじさんは、もうどこにもいない。わたし達が小学生だった頃の冬、高架下の小さなあの小屋の中で寒さに耐え切れずに死んでしまったのだ。わたしはその前日におじさんを見かけていた。おじさんと言ってももう老人だったのだ。もしかしたら病気だったのかもしれない。その時見たおじさんは青白くてとても寒そうにしていたけれど、わたしはそれに気付きながらもいつも通りにそこを通り過ぎた。次の日、学校でおじさんのことを耳にした時は、全身が凍るかと思った。普段寒さや暑さには鈍感な癖に、寒くて寒くて仕方がなかった。

 けれど、そんなことさえももうとっくに通り過ぎてしまった出来事だ。お父さんのことも、お母さんのことも同じだった。もういない人たち。それはもう当たり前のこと。一緒にいたのは過去の出来事でしかない。ジュンちゃんもそう思えば多分少しは楽になるのに。わたしとジュンちゃんは、同じ様でいて全く違う。ジュンちゃんは、わたしよりも随分とまともなのだ。

 ジュンちゃんは時折他愛もない話をすると、わたしがお菓子に手を付けることはないと知ったのか、大して食べてもないのに袋にしまい込んで一言「帰ろっか」と言い、立ち上がった。頷いてそれに従う。立ち上がると制服のスカートの襞から冷たい空気が入り込んできた。

 寒さを感じて、わたしは思わず目の前を歩くジュンちゃんの服の裾を握った。肌寒さを感じたのは久しぶりだ。今日は余程寒いのかもしれない。服越しにじんわりと伝わってくる温かさが欲しくて、わたしはさらに手を伸ばす。

 ジュンちゃんはぴくりと体を震わせたけれど、それも一瞬のことで振り向きもせずに歩き続けた。いつもの河川敷の道。何も変わりはしない。あったとしてもそれは小さな変化だけ。小石が一つ動いただけで景色は変わらない。

 お互いに身体が冷えていたらしい。手のひらに触れる微かな熱を握ると、ぎゅっと握り返された。目を細めて夜に染まりかけた景色を見る。沈みかけた太陽はすごく眩しい。逆光で、目の前を歩くジュンちゃんの姿さえ見えにくい。

 家までへの短い道をわたし達は黙って歩いた。

 ジュンちゃんのお父さんは、ジュンちゃんのことをどう思っていたんだろう。わたしのお父さんは、わたしに対して、どんな感情を抱いていたんだろう。

 ふとそんな思いが浮かんだけれど、それは不必要な疑問だった。ジュンちゃんの言葉を借りるなら、本当にどうでもいいこと。だってお父さんは、わたし達を放棄したのだから。放棄されたわたし達は、それに従わなくちゃいけない。

「ジュンちゃん、明日は一限目から体育だよ」

「……お前、どうせサボる気だろ」

 呆れた声。その通りなので、わたしは黙り込む。ジュンちゃんはわたしのことなら大抵お見通しだ。

 わたしはジュンちゃんのことは大抵分からない。知らないふりをする。それはきっとこれからも、こんな日常が続く限りは。それが、どれだけ続くものか分からないけれど。












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