闘技場編 ビビリ男とトラウマ女
朝は予定通り7時に起きた。
意外に目覚めが良かったカリーナはそのまま洗面所に行き、顔を洗った。
冷たい水が眠気を飛ばし、水滴のついた顔が鏡に映る。
しばしば赤い瞳とにらめっこした後、パチンッと両手で頬を打った。
「今日から頑張ろう」
それは自分へ気合いを入れる動作だ。
人というのは自分の身体を叩く事で気合いを入れることが多いが頬を叩くのもその一つだろう。
なので私も例外なく頬を叩いて今日から始まる情報収集に精を出す。
「と言っても闘技場にエントリーしに行くだけだがな」
人の気合いを失くすような事を言うのはザルドであった。
宿丸を出てすぐの所だった。
眠たそうに欠伸をしながら気だるそうに道中を歩く。
時間にルーズなザルドだが、朝は苦手で今日も自分から7時起きだと言ったのにこの眠たそうな様だ。
「朝は人が少ないんだね」
「あいつらはある意味夜行性みたいなものだからな、朝は疲れて爆睡してるよ」
だから治安も一時的に良くなる。
その言葉通り辺りを見渡しても人は少なく、いたとしても見た感じ大人しそうな人が買い物をしている程度だ。
ザルド曰く、朝に営業しているのは食品関連の日用品で酒場が開き始める午後四時には閉まるのだそうだ。
「客のマナーが悪くて営業できないんだと」
だから治安が良い午前を中心に店を開くのだそうだ。
そのため、アガンでは弱者のもの達もこの時間には外に出て色々作業をするのだとザルドは言った。
確かに朝のアガンは静かなものだ。
昨晩の騒ぎからは想像もつかないほど静かで、しかしゴミの散乱具合から確かにここで騒いでいる人がいたという痕跡は残っていた。
「そのゴミも朝外に出ている人たちが勝手に掃除してくれているんでしょ?」
「それで国から金がもらえるからな。少ないけど」
驚きだった。
アガンは強者の国だが弱者を決して追い払おうとはせず、それを有効活用している。その一つが掃除なのだろう。
他にも冒険者や傭兵がやらなそうな事を低賃金で行っているのは、それしか生きる道がないからと逃げ道を限定しているためだ。
システムとしては一応成り立ってはいた。
「強者馬鹿だが、決して頭が悪い訳ではない。それがアガンの上に立つもの、そしてその従者の特徴だ。気を付けろよ」
ザルドはそれで話を切り上げるとピタリと足を止めた。
「いてっ」
アガンのトップと従者の話を聞こうと前を向いたときには、顔がザルドの背中にぶつかっていた。
痛いと口には言っておきながら、そこまで痛くはない額を撫でて辺りを見渡す。
そこは別に何ともない闘技場へと続く道中だった。
「この辺なんだ」
ポロッとそんな言葉が前からこぼれる。
カリーナがなんのこと?とザルドを前から覗き込むと額から汗が流れ、生唾を飲む緊張仕切った顔が見えた。
先程の眠たそうな顔は消えて、今では死地に向かう兵士のような顔向けになっていた。
「ザ、ザルド……?」
その場から動こうとしない鎧の男、ザルドに不安というか心配の声を落とす。
カリーナも少し動揺していた。ザルドがこんなに萎縮しているのは初めての事で、どうしたら良いのかわからなかったからだ。
「あの女がいるのはこの辺りなんだ」
宿丸から歩いて30分のこの場所は東エリアと呼ばれている。
比較的裕福層(戦闘力が高い)人達が住み着き、年に何回か行われる闘技場で己の力を鼓舞する。
そのためこの付近は他の建物とは違い、アガン王国内では豪邸が並ぶエリアとなっている。
ザルドがビビリ散らしてる女というのがここに住んでるのかと思考を巡らした時に、すらりと流していた言葉を思い出した。
「闘技場への参加はともかくとしても、お前あそこの道行けるのか?」
「んぐっ!?」
それは初めて私の目の前でザルドが蒸せた時だ。
昨日の夜、三人で話していた所ふと思い出したかのようにその女の話題がヤマダさんから出た。
特に何も食べてないが、ヤマダの言葉に動揺したのは二人の過去を知らない私でもわかった。
道?とはなんの事かは明日にわかった。
「闘技場の道中に何か危険な物でもあるんですか?」
「あるぞ。ザルドだけだがな」
その回答に首を傾げていると突如カウンターが揺れ始めた。
ガタガタと小刻みに揺れ始め、地震かと思われたそれは隣で念仏のように何かを唱えて震えていたザルドであった。
「なななな、なに言ってやがんだヤマダもう6年前の話だぞ俺があんな女に臆するわけねぇだろうがよぉ確かにあの時は猛烈に怖かった記憶があるが俺も成長した大人だからなあんなひよっこどうとでもなるんだよ腕っぷしならあいつに勝てるしいざってときはそうするけどまぁその心配もないななぜなら俺は…」
早口で何を言ってるのかわからない。
腕を組んで貧乏ゆすりをしまくるザルドはタバコを止め始めたオッサンのようだった。
イラついてるのか、ビビりまくってるのか……いやビビりまくってるな。
「そうかそうか、そんなに言うんなら安心だな。何かあっても俺の所で匿わなくてもいいわけだ。あの時みたいに」
「うぇ!?」
ヤマダの煽り口調に反発するどころか目を見開きビックリしたような顔付きになるザルドは本当に間抜けな顔だった。
オルウェン王国では見たことのない顔に聞いたことのない拍子抜けな声、なんだろう私の中のザルド像が崩れ落ちていく。
「そんなにビックリすることか?、お前はあんなひよっこどうとでもなるんだろ?」
「あ、当たり前だろぉ!?ヤマダはなに言ってるんだか」
あははは、と乾いた笑い声が静寂な夜に響いた。
そうだ。
ザルドの間抜けな顔を思い出したくないから忘れていたのだ。
その事を思い出し、カリーナは隣で「武者震いがする」とか言って全身震えているザルドを見て思った。
(ザルドってこういう感じの人なんだ)
第一印象というのは本当に大事なんだなと思い知らされ、人を見かけで判断しないようにしようと心の中で決めたのだった。
ちなみに嫌いになったわけではない。
「朝は治安がいいんでしょ?、ならその女も現れないと思うけど」
「お前は何もわかっちゃいない。井の中の蛙とはまさにこの事だな」
「ぶん殴っていい?」
ザルドの新しい一面を受け止めようと努力してみたがダメだ。
ウザすぎる。
いつものザルドにイキり陰キャの血が混ざったかのような性格はどうも受け付けない。というか殴りたい。
嫌いになりそう。
「あぁもう!、だったら早く受け付け済ませて帰ればいいでしょ!?」
「ちょっ…まって!」
しびれを切らしたカリーナがザルドの首根っこを掴んで運んでいく。
それに強制的に追随するように歩みを進めるザルドの姿は何とも滑稽だった。
闘技場付近に住んでいる人々は皆がアガン王国で強者と言われる者達であり、夜もどんちゃん騒ぎしている人達だ。
つまりこの朝っぱらから外に出ている人なんかはほとんどいないのだ。
「闘技場ってあれ?」
人気のない道の先、霧がかかる視界の奥に見えるドーム状の巨大な建物。
それを指でさしてやっと一人で歩き始めたザルドに聞く。
「あぁそうだ。あそこが闘技場だ」
隣を歩くザルドは目的地である闘技場が見えたことにより、安堵のため息を漏らす。
気付けばカチカチだった身体も解れており、強張っていた顔もいつも通りの顔に戻っていた。
「なんか…ごめんな、変な感じになってしまって」
「んっ?さっきまでのあれのこと?、ムカつくからぶん殴ってやろうかと思ったけど別にいいよ」
笑顔で許してくれたのは素直に嬉しいが、内容が何だが怖い感じだったのはザルドの気のせいではないだろう。
仕方のないことだ、俺がカリーナ側だったら同じことを考えていたと思う。
「というか、そんなにビビって試合に勝てるの?そのヤバイ女も出るんでしょ」
「それは大丈夫だ。試合は試合だからな」
道中ではビビリまくっていたので大丈夫かと思ったがその心配は不要らしい。
試合ではそういうスイッチが入るからなのだが、私にはその辺は良くわからないのでとりあえずはザルドの言葉を信じることにする。
「闘技場は俺一人で参加する。カリーナは身元がバレると厄介だからな」
調子が戻ったザルドは淡々とこの先の話をする。
闘技場が見えたからと言ってまだ道のりは少しあった。
遠近法則が働いているのか思ったよりも遠くにある闘技場はそれほどまでに大きいのだと実感した。
「そういえば一つ聞きたかったことがあるんだけど…」
「あっ?なんだ」
話が一区切りつき、もうすぐで受け付け所といったところでカリーナは疑問に思っていた事を口にする。
「ザルドはどうしてその女にビビっているの?」
それは至極当然の疑問だった。
話によれば闘技場で一度戦った際は危なげもなく勝利をしているという。
しかし、その翌日からザルドはその女を恐れるようになった。
その原因は何なのか気にならない方がおかしいと質問したが、どうも歯切れの悪い感じだ。
「それは……あれだ…、お前にはまだ早いということだ」
ろくに目も合わせず、さささっと早歩きで距離を取る行動はもちろんカリーナの執着心に火を付ける事となり、更なる質問責めをしようとした時、
「ぐへっ!?」
ザルドがふっ飛んだ。
腰をくの字に曲げて真横に飛んでいく姿にカリーナの理解は一瞬遅れることとなる。
「…はっ!、ザルド!?」
気づいた時にはすでに数十メートル離されており、急いで駆け寄ろうとしたがその光景に足を止めた。
「いってぇ……なんなんだよこ……れ…?」
カリーナから数十メートル離れた道端で倒されたザルドがすぐさま立ち上がろうと上体を上げた時、その女はいた。
それはザルドの顔を青ざめさせるのには充分だった。
それを理解するのに数秒かかった。
そして警戒音のように心臓がバクバク!と早い鼓動を打ち始めた。
「すぅぅぅぅぅ…はぁぁぁぁぁ……、久しぶりに嗅いだなこの臭い」
そんな気持ちの悪い発言をしながらザルドの股に顔を埋める女は二度三度と深呼吸のように息を吸っては吐いてを繰り返す。
手を腰に回し、がっちりとロックする腕回りは筋肉質でそれに習うように大木のような太ももは筋肉の塊のように太く分厚く、そして、硬い。
「……まさかお前……リーゼ?」
名前を呼んだのがいけなかったのか、まるで反応するように勢いよく顔を上げて互いの視線を絡み合わせる。
肌色のみつあみの長髪が揺れて、リーゼと呼ばれた女の瞳孔が小さくなり、桜色の唇が吊り上げる。
「名前で呼ばれるのも6年ぶりか……、私はずっと会いたかったぞザルド」
囁くようなその声にゾクッ!と首筋に寒気を感じ、立ち上がろうとしたが肩に手を置かれて、ぐいっと強い力で押し倒される。
そのまま大きな胸が胸筋とぶつかり合い、肩に置いていた手は首の後ろに回り、互いの顔は息がかかるまで急接近していた。
「あの時の続きをしよう」
リーゼが言葉を紡ぐ度に身体が密着していく。
甘い吐息がザルドの顔にかかる中で彼は何も出来なかった。
それは単純に力で押さえ付けられているのか、はたまた恐怖心から来るものなのか、それとも魅了されたか、いずれにしても動けない事には代わりないザルドにリーゼは笑んでそっと目を閉じる。
「好きだ、ザルド」
そして互いの唇が重なった。




