第105話 七条歩 VS 有栖川華澄 6
「歩もとうとうLAを発動したか……」
紗季がボソッと独り言を呟くと、彩花はそれに反応する。
「やっぱり、あの刀って……」
「彩花の予想通りだよ。あれは村雨丸。武器創造で歩が生み出せる数少ないLAさ」
「村雨丸……氷に特化した武器なの?」
「そうだね。原点は江戸時代の劇作家、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』に登場する源氏の宝刀。人を斬っても刃に血のりがつかないから、講談では『抜けば玉散る氷の刃』と言われた武器さ。属性としては、水と氷両方の特性を持つけど、歩の場合は氷に特化しているね。凍結が発動しているのが何よりの証拠だね」
ペラペラと説明する紗季の言葉に彩花は驚愕した。
何よりも歩がLAを使えるなんて夢にも思ってなかったので、その驚きと興奮は今だに体に深く刻まれている。
「……それにしても、紗季は本当によく知ってるわね」
「伊達に研究者はやってないからね。それにLAは僕の専門分野みたいなものだから」
「……歩は勝てるのかしら」
「さぁ、ここまで来るともう分からないね」
彩花は少しだけ、目を見開くと再び言葉を紡ぐ。
「いつもは歩が勝つって信じてるのに、やけに弱気ね」
「有栖川家のお嬢様の力を見くびっていたからね。まさか、世界まで使えるとは。いやはや、クオリアとは本当に面白い現象だよ」
そう言うと、二人はそこで会話を打ち切って試合に集中する。
(歩、無茶はするなよ……僕は君の自滅が一番の杞憂だよ)
紗季は心の中でそう言うと、祈るように両手を重ねるのだった。
§ § §
「……」
淡々と目の前に迫り来る、水の腕を凍らせていく。互いに距離は離れている。目視で50メートルほどだろうか。華澄は近距離での戦闘は避け、こうして水蒼世界の制御に集中している。
掠りさえすれば、自分の勝ちだ。その思考から、華澄は果敢に攻めまくる。水滴一粒さえ当たれば、そこから皮膚全体を水で覆うことができる。そして、内部へと水を侵入させ、身体を破壊できれば、さすがの歩でさえどうすることもできない。そう確信していた。
一方の歩もそのことはよく理解していた。当たれば敗北する。すでに戦闘はゼロサムゲームと化していた。残りの一撃で決着がつく。もちろん、歩の凍結も当たりさえすれば、触れた箇所から一瞬で体全体を氷で侵食することができる。
本来ならばこのようなことは生じない。世界も属性具現化も、普通ならばそんな芸当は不可能だからだ。
しかし、クオリアに至っている二人はそれを可能にしてしまうのだ。
(後方から、3。前方、2。左側面、4。右後方、9)
冷静かつ慎重に水の動きを把握すると、一振りで確実に全ての水を一瞬で凍らせていく。歩が華澄の方に徐々に進むたびに、彼の氷の領域は広がっていく。
それでも、華澄が優勢なのに変わりはない。世界と属性具現化では、元々の性能に差があるからだ。それはクオリアに至っていようとも同じことである。
(なんて精度なのッ!! あの状況でVAでもまだ発動しているなんて、どんなスタミナしてるのよ!!!)
歩は依然として、俯瞰領域と複眼を使用し続けている。この二つがなければ流石に今のような死角からの攻撃は防ぐことはできないからだ。
「……もうこれで終わりにしてあげるわ」
華澄はそう言うと、LAを真っ直ぐ歩の方へと向ける。
もちろん、彼も何かが来ると予感し、華澄の一挙手一投足を逃さないようにその目を見開く。
周囲の水が彼女のLAの矛先へと収束していくと、そのまま矛先が弾けた。
「……水撃砲」
瞬間、爆発的な勢いで極太の水流が歩の方へと向かっていく。油断はなかった。しかし、それでも避けきることは不可能だった。できうる選択肢は、防御のみ。歩に残された道はそれしかなかった。
「フゥー」
大きく息を吐き、彼はこう呟いた。
「絶・氷刃奏」
村雨丸を使っている時にのみ、発動できる創造秘技。
全ての物質を絶ち、氷の刃を幾重にも放つ奥義とも呼ぶべき技。
そして、互いの技がぶつかり合う。防御できない状態で喰らえば、互いにその体は余裕で消し飛んでしまうだろう攻撃。間違いなく殺す気で放っている技。
でも、その想いが何よりも嬉しかった。今二人は心から戦いを楽しんでいる。もう、互いに交わした制約のことなど頭から抜け落ちている。クオリアに至った時点で、二人は目の前の誇り高いクリエイターに勝ちたいと言う想いしか心になかった。
華澄の心は徐々にだが、確実に何かで満たされつつあった。
今までは家のことを常に考えて戦う余裕が存在してしまっていた。そのおかげで最高のパフォーマンスが出来ていたのは間違いない。でも、どこか空虚だった。空から自分を客観的に眺めているような、そんな他人事のような感覚がどこかにあったのだ。
歩に出会ってから、彼女はずっと思っていた。
彼が羨ましいと。あの眼が、あの動きが、何よりもあの自信に溢れる言葉の数々が、妬ましくて、妬ましくて仕方がなかった。でもそれと同時に憧れも抱いていた。いつか自分もあんな風に、心から何かに没頭したかった。自分の持つ信念にしたがって人生を歩んでみたかった。
でも、自分は有栖川華澄なのだ。御三家の有栖川家の人間なのだ。呪いにも似た宿命を背負う義務が自分にはある。他人を騙し、自分さえ騙して、貢献する必要があるのだ。
そう……思い込んでいた。
だが、どうだ。今の自分はそんなことを考えているのか? 本当に今は家のために戦っているのか? 歩をものにするために、剣を振るっているのか?
答えはノーだ。
楽しくて仕方がない。それが答えだった。本当は背負う必要などなかったのだ。華澄は初めて家を出て行った兄の気持ちを理解した。そうだ、私は生まれながらにして自由だったのだ。縛っていたのは、家ではない。自分の心のあり方が、自分自身を縛り付けていたのだ。
全身全霊、限界を突破して、100パーセント以上の力を発揮して血塗れになりながら戦うことがこんなにも満たされることだなんて知らなかった。
俄然として、やる気に満ち溢れる。
勝ちたい。純粋にそう思ったのはいつ以来だろうか。歳を重ねていくうちに、勝つことは当たり前になっていた。負けが頭をよぎる戦闘などしてきたことがなかった。でも、勝つか負けるかわからない……そんな不確定な今が何よりも楽しかった。決まりきっている未来など、なんの意味もない。人は明日さえわからないからこそ、今を懸命に駆け抜けることができるのだ。
そうだ。有栖川華澄は今を……この時代を駆け抜けている最中なのだ。
そして、彼女は放っている水撃砲にさらに力を込める。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと。あの誇り高い、尊敬できるクリエイターをねじ伏せるにはまだまだ力がいる。華澄はLAにさらに力を込めると、両腕にまるでヒビが入るように赤い跡が走っていく。そこから大量に血液が飛び散り、顔に触れるもそんなことはもう……どうでもよかった。
ここで命を落としてもいいとさえ思えた。だって、彼女は確かにそこで……今ここで……誰でもない有栖川華澄として命を賭して戦っているのだから。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
もう、前もあまり見えない。クオリアの発動限界はとっくに超えている。腕だけではない、身体中のいたるところが裂け始める。眼球からもとめどなく、どくどくと血液が溢れ出す。まるで壊れた蛇口のように、溢れる血液は留まることを知らない。
それと引き換えだろうか。水撃砲の威力はさらに増していく。
そんな彼女の姿を目の端に捉えつつ、歩はふっと微笑む。
(そうか。君は見つけたんだな。自身の生きる意味ってやつを……でも、それでも負けてやるつもりはないさ)
一方の歩の状態は華澄ほどではないが、ひどい有様だった。村雨丸を振るう手は流れ出る血液のせいでまともに握れないので手の周囲に、皮膚を食い破るほどにワイヤーを縛り付け無理やり固定しながら、彼はその刀を振り続けていた。
絶・氷刃奏を放つたびに、目の前に迫る水撃砲は凍りついて後方に散っていく。だが、勢いが留まることはない。むしろ勢いはまずばかりで、さすがの歩も攻めあぐねてしまう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
雄叫び。
自身を奮い立たせるとともに、傀儡を発動させ、限界を超えた身体の性能をさらに引き出す。外からだけでなく、体内からもワイヤーで縛り付けて動かしているため、激痛は尋常ではない。
戦闘中でエンドルフィンが出ているのが幸いして、痛みはあまり感じないがこれが死に至るものであると言う自覚が彼にはあった。
互いになぜここまでして戦うのか。
観客たちは誰も言葉を発しない。実況と解説もすでに仕事を忘れている。
皆、当てられているのだ。互いの魂のぶつかり合いに、心を震わされていた。
きっと、あの二人は死の淵にいる。死ぬ可能性の方が大きいに違いない。それはあの出血量を見れば一目瞭然だ。クオリアにより真っ白に染めあがった二人は、打って変わって、全身が見事なまで灼け流ような紅色が侵食していた。純白な髪もぐちゃぐちゃになり、緋色に染まっていた。
それでも止めてはいけない。この試合は最後まで見なければならない。今ここにいる全ての人間はそう思っていた。
そして、無限とも思える時間は終わりを迎える。
「「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
二人の奇声がフィールドに響きわたり……そして、弾け飛ぶ。
歩と華澄はまるで坂を転がるボールのように、受け身を取ることもままならずに後方へと異常な勢いで飛ばされていく。
水撃砲と絶・氷刃奏は互いに相殺しあった。華澄のありったけの力と、歩の何千という氷刃は最後の最後で相打ちと言う結果になったのだ。
「グアアアアアアアッ!!!!!!!!!!」
後方でかろうじて残っていた木にぶつかると、そのまま地面に叩きつけられる歩。
「アアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
一方の華澄も同じ状況に陥る。
互いにその場に血だまりを作る。
でもまだ終わりではない。まだ、戦える。
歩は右手からなんとか一本のCVAを生み出す。なんてことはない、ただの日本刀だ。今はこれで精一杯だった。もうこれ以上の創造は彼には不可能だった。
フラフラと立ち上がると、剣を杖のようにしながら華澄の方へとゆっくりと歩いていく。
「カハッ!!!!」
華澄は肺に溜まった血を吐き出すと、すぐそばにあったトライデントを拾い上げる。三又の矛は、左右の先を失い、まるで一本槍のようになっていた。
かすかに見える視界を頼りに彼女も立ち上がると、フラフラと歩の方へと向かう。
互いに初めは意識が朦朧としていたのか、おぼつかない足取りだったが徐々にそれは確かなものとなる
そして、駆け出す。走り出す。駆け抜けるッ!!!
今までの疲労など知らないかのように、二人は再び剣戟を交える。クオリアはまだ維持されている。ならばまだまだ、戦える。
「華澄いいいいいいいいいいいいッ!!!!!!!!!」
「歩うううううううううううううッ!!!!!!!!!」
剣戟はさらに激しさを増す。歩の日本刀が彼女の腕を裂くと、彼女の矛も歩の脚を切り裂く。それでも二人は止まらない。止められない。身体が動かなくなるまで、心が負けを認められるまで……敗北は許されない。
キイイイィィィィィイイイインと甲高い音が鳴ると、二人のCVAは天高く舞う。
華澄はそれを見てわずかに頭上を見てしまう。
一方の歩は躊躇なく、彼女の顔面を拳で撃ち抜く。しかし、血まみれの拳のせいで滑って致命傷とはならない。なんとかその攻撃を踏ん張って受け止めた華澄も、打撃戦に応じる。
鋭い蹴りを放つと、それはあっさりと避けられてしまうが、滴る血液がわずかに歩の目に入る。
「ぐッ!!!!」
その隙を逃すはずもなく、急所である鳩尾に渾身の拳を叩き入れる。華澄の拳は間違いなく、歩の腹へと直撃する。だが、すでに感覚は失われている。彼はわずかに後方に移動しただけで、再び反撃に転じる。
「おとなしく、倒れなさいよッ!!!!」
「そうはいかないッ!!!!」
お互いの声はなんとか聞こえる程度のものだった。
ぐちゃぐちゃにもみ合いながらも、互いに急所を狙いながら打撃を与えていく。
そして、天高く舞い上がった武器はやっと手に届く範囲に落ちてくる。
先に掴んだのは華澄だった。天は彼女に味方をした。
「勝ったッ!!!!!」
袈裟を裂くようにトライデントを斜めに振るう華澄。歩はそれを避ける……ことができずにまともに受けてしまうが、倒れなかった。
ぱっくりと裂かれた傷からさらに出血するも、まだ目は死んでいなかった。
歩は右手で受け止めた日本刀を両手で握り直すと、そのまま居合の構えをとり……抜刀。
「甘いわッ!!!!!」
それはあまりにもお粗末な攻撃だった。さっきの攻撃がもうトドメとなっていたのだろう。それは単調すぎる攻撃だった。
この威力と単調な剣線ならば、カウンターで次こそ決着だ。華澄はそう思った。
華澄は難なく、歩の攻撃を払うと、そのままカウンターでトライデントを左肩へと突き刺す。
「ぐ……ああ……ぁぁああ……ああ」
勝敗は決した。そう、この死闘を制したのは自分という個人を初めて認識することのできた有栖川華澄だった。
こうして、完全到達者同士の戦いは終わりを告げる。
「華澄……君の勝ちだ」
「……ありがと」
倒れながら歩は最大の賛辞を送る。華澄もまたその言葉を素直に受け取る。
もしあの単調な攻撃が来た際に、未来予知が使えていれば、その未来は間違いなく実現していたに違いなかった。
そう、使えていれば……。
「絶・陽炎」
華澄が単調な攻撃を受けようとした瞬間に、歩の刀は……防御した華澄のトライデントを通り抜けるように分解され、一瞬で再構築される。
華澄からしたら、まるで刃が貫通したような感覚だっただろう。
未来予知が使えれば、こんな単調な技をまともに食らうことはなかった。
歩はそれがわかった上で、分解と再構築をすることでガードを不可能にする絶・陽炎を放ったのだ。
「あああああああ……ぁああああぁぁ……」
確実に脇腹に突き刺さった日本刀はそのままゆっくりと彼女の体に沈んでいき、華澄はその場にどさっと倒れこむ。
(動けない……そう、私の……負けみたいね)
晴れやかな表情をしながら、華澄は自身の敗北を噛み締め、意識を失った。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
歩は華澄が失血死しないように、刀を突き刺したままにしておく。
そして、ゆっくりと膝に力を入れて、右手の拳を高らかに突き上げる。
瞬間、アナウンスが流れる。
「有栖川華澄選手、戦闘不能。勝者は七条歩選手となります」
第3章 Qualia-Nature or Nurture- 終
次章 最終章 Arms Creator-




