(15)研修2日目ー3-
一瞬、辺りが凍り付いた。
刹那、爆発音が耳をつんざいた。
そのほんの数秒後、吉田の身体がふわりと浮いたのだ。
標準男性より小柄だが、その身体がスローモーションのように弧を描くと、どっという大きな音をたてて、床に倒れ込んだ。
教室中に悲鳴が上がった。
硝煙の焼けるような匂いが、辺りに漂う。なんとも、鉄の擦れたような、嫌な匂いだった。
智加は一部始終を見ていた。自分の目の前で、撃たれたのだ。
床にはじわりと赤黒いものが滲み、吉田はピクリともしなかった。
恐怖のあまり、生徒らは我先に逃げまどった。椅子が倒れ激しくぶつかり合い、罵声が響いた。
智加は静かに立ち上がると、守部に視線を合わせた。
守部は、いつもと変わらない微笑みを浮かべ、ゆったりと近付いてきた。
「さあ、東辞君。この場をどうしますか? このままだと、吉田君は死んでしまいますよ」
やおら守部は拳銃を人差し指にかけたまま、愉しげにくるくると回した。
呆れた男だ。
智加は先ほどまでの睡魔はすっかり抜けて、今は頭痛すらしてきた。
何なんだ、この体たらくは。今日は厄日か。
「ほら、もう虫の息だ。彼を助けてあげて下さい。あなたならできるはずだ。禁忌の呪文があるんでしょう。白川神道には。知っているはずだ」
白川神道。
最初からそのつもりか。
智加はじろりと睨みつけると、守部に向け、口を開いた。
「はじめをはじめとして はじめのはじめにいる
もともとをもととして もとのこころによざす
天空に登してかえりごと申し 日の若宮住ます」
「うわっ。なにを? 違うっ!」
悲鳴を上げたのは、守部だった。
智加は静かに笑みを作ると、更に言葉を発した。
「生れ来ぬ先も 生れて住る世も」
守部が形相を変えた。ばっと突進すると、智加の両腕を握りしめた。
「止めて下さい。それは。その先はっ」
絞り出すような声だ。守部は顔を背けて、俯いた。ぎゅっと握りしめた手に力がこもっていた。己が震えを抑えようとしているのか、智加よりも背の高い英国紳士は、髪に白髪が混じっていた。
何かを堪えるような表情で、ぐいと唇を引き結んでいる。
『神は在らせられるのか?』
それが知りたいと、初対面の時に、守部は言った。
この男にも何かあるのだろう。
智加は小さくため息をつくと、守部の手を押しとどめた。
これは、白川神道の祝詞ではない。ましてや、禁忌の呪文でもない。
流石に守部も、判ったようだ。
この先は、こう続く。
『まかるも 神のふところのうち』
最後まで奏上してしまえば、吉田は本当に死んでしまうだろう。
そう、本当に。
だから、守部は慌てたのだ。
吉田は銃で撃たれてなどいない。
これは演出の血しぶきだ。吉田は了解のうえ一芝居を打ったのか、プラスチックとはいえ、着弾のショックに本当に気を失ってしまったのかは、定かではない。
智加は口を噤んだ。
守部はそのまま、肩を落とし、智加からすっと離れた。とぼとぼと吉田のもとに歩み寄ると、しゃがみ込んで吉田の肩を優しく揺らした。
「吉田君。吉田君?」
「う。ううーん」
吉田の顔が歪んで、薄らと目が開いた。
「え? 僕は」
「済まなかったね。こんなことさせて」
「あれ、撃たれたんじゃ?」
吉田は半身を起して、胸辺りを撫でた。べたりと着く血は、特殊効果の血のりで、手に着いた色は毒々しい赤だった。
守部は部下を呼ぶと、吉田を起して、連れて行かせた。
智加はようやく終わった茶番劇に背を向けると、机の上の道具を片付け始めた。
教室には守部以外もう誰もいない。研修どころではないだろう。この自体を、親父になんと説明すべきか。忘れていた頭痛がまた戻ってきた。
「君は、吉田君が撃たれたのではないと判っていた。何故だ? あれはアメリカで精巧に作らせたものだ。弾丸が本物なら、殺傷能力はあった」
守部が問う。眉根を寄せ、何か言いたげだ。
智加は、言いたくても言葉を発することができない。ただ黙って聞いていると、守部はまた喋りだした。
「私は若い頃、アメリカの救急医療に従事する医者だった。専門は癌細胞で、どうすれば癌に勝てるのか、日夜研究に没頭していた。まだ若かったし、人の命を救うことに、血気盛んだった」
智加は守部を見つめた。アメリカで医者をしていた男が、なぜ今、日本の神社本庁に所属しているのか。
「当時、アメリカで人種差別の民権運動が盛んだった。そのリーダーが、救急で運ばれてきた。各国に名が知れていて、実力もあって、国民の支持も得ていた。彼がリーダーだから、一触即発の事態も辛うじて乗り越えていた。力のバランスを取っていたのは彼だ。もし彼を失ったら、暴動になりかねない。だが、膵臓癌が見つかった。膵臓は摘出できない。余命も、持って半年だろう。皆が諦めていた。でも私は諦めなかった。全世界の学者に連絡して、なんとか方法はないか必死に探した。だが時間だけが無駄に過ぎていった。ついに昏睡状態に入った。そんな時、日本から一人の男がやってきた。東辞君。君のお父さんだ」
智加はぎょっとなった。
まさか?
(続き)




