(14)研修2日目ー2-
研修所に着いたのは、早朝7時ごろだ。
ドアノブに手をかけた瞬間、ガチャリと音がしてドアが静かに開いた。
そこに寮長が佇んでいた。思わず心臓が跳ねたが、寮長はまるで昨夜からの経緯を知っていたかのように笑顔をすると、
「まだ時間がありますので、お部屋でお休みください。温かい飲物を、お部屋にご用意しておりますので」
と言った。
智加は会釈をすると、三階へ上がっていった。
部屋には、啓一の荷物はなくなっていた。やはり三田神宮から何かしら連絡がいっているのであろう。
テーブルの上に紅茶があった。ポットを取り、カップに注ぐと、紅茶からは湯気が上がった。
ダージリンの柔らかな香りが、智加の鼻孔をくすぐる。紅茶を一口飲むと、ベッドに横たわった。急激に、眠気が襲ってきた。
ここで眠ったら、起きれそうにない。
瞬きを繰り返して、携帯電話を取った。取りあえず、30分後に起きるように目覚ましをセットした。それと、明来にメールだけでも、と思いながら、掴んだ携帯がするりと落ちた。智加はそのまま、落ちるように眠ってしまった。
「貰っていくぞ」
声がした。
なにをだ?と智加は思った。真っ白のな闇の中、前後左右、何もない。声はどこから聞こえたのか判らない。
「貰っていくぞ」
また、聞こえた。しつこいな。だから何をだ?と、智加は苛ついて、腕を払った。白い靄が、ゆらりゆらりとまとわりつくばかりだ。
欲しいなら盗っていけばいい。失くして困るものなんて、俺には……。
智加は口元を押さえた。
目の前は、白い闇がどこまでも続いている。伸ばした指の先に、何かあっても、智加には見えない。目の前は壁なのか、それともどこかへ続く道があるのか。
指を伸ばそうと手を上げた。
途端、ピピピっという電子音で、目が覚めた。設定した時間に、携帯の目覚ましが鳴ったのだ。のそりと起きると、手から落ちた携帯を拾い上げた。
なんだか、気になる夢を見たような。
はっきりと思いだせない。ふるっと頭を振ると、智加はシャワールームへ歩き出した。
研修2日目が始まった。午前中の授業は、昨日と同じような講義で時間が過ぎた。
啓一がいないことを聞いたのは、吉田だけだった。
朝、決められた席に座っていると、吉田が声をかけてきた。
「おはよう。あれ、神室君は?」
神憑きの姉を想うあまり、グレました、と言うわけにもいかない。かと言って、第一、自分は声が出せないのだ。
少し首をかしげていると、吉田はそれで理解したようだ。
「ふーん。どうしたんだろうね」
そう言って、吉田はそれ以上なにも言わなかった。
午後の授業が始まった。講師と共に、守部が入ってきた。
「今日は発表会です。私はこれが楽しみで、今日は参観させて頂きますね」
英国紳士のような、爽やかな笑顔で言うと、守部が教室中を見渡した。
「実習をかねて、皆さんの腕自慢をして頂きます。日頃の成果を出して、素晴らしい祝詞を作って下さい。ところで、三田神宮の神室君ですが、家のご都合で昨夜急きょ帰られました。皆さんによろしくお伝え下さい、とのことでしたよ。私たちも、また来年お会いできるのを、楽しみにしていましょう。」
ふわりと笑って、守部は言葉を切った。皮靴のかつかつという音をたてて、守部は最後尾の椅子に座った。
講師が課題をボードに書いた。タイトルは、「再生」。
皆は、怪訝に首をかしげた。
本来なら、「地鎮祭」、「植樹祭」、「安全祈願」など、ありきたりな祝詞を扱っているのだ。
そこに、「再生」とは、一体何に対してどう奏上する祝詞を作ればいいのだろうか。
皆、同様に頭を悩ませているようだ。
ちょっと変わった課題の出し方だな、と智加は思った。
「皆さん。このタイトルから、何を想像されますか? 山林伐採による荒廃した山の再生、倒産間際の企業の再生もありますね。とにかく、一旦無になったものが、生き生きと蘇り、生命エネルギーを迸るような祝詞を作成して下さい。短いセンテンスで結構です。テキストや資料など、参考にしてもらっても構いません。では始め」
その一声で、各自ばたばたと机の上にノートや資料を広げた。早速、何かを書きだしている。時間は十五分という短さだ。うかうかしていられない。祝詞辞典を必死に見ている者も少なくない。
『再生』ね、と智加は思った。二三、単語を羅列すると、ふむとペンを置いた。
静かに、ペンの走る音と、かさかさとページをめくる音だけが聞こえてくる。あくびが出そうになるのを、必死にかみ殺した。
「はい。十五分が経ちました。皆さん、出来ましたでしょうか?」
ざわざわと教室に小声が起こった。出来ませんっと言う返事や、ぼやく声が湧きあがった。
「それは困りましたね。どなたかに、発表して頂きましょうか」
講師はぐるりと見渡して、智加に視線を止めた。当てたところで、自分は声を出すことが禁じられているのは、百も承知だろう。ふいに講師は、その後ろに座っている吉田に視線を向けた。
「では、吉田君」
「わ、僕? あまり自信ないんですが」
「いいですよ。どんな作品でも。奏上して下さい」
はい、と言うと吉田は立ち上がり、小さなノートを目の前にかざした。
智加の斜め後ろで、すうと息を吸いこむ吐息が聞こえてきた。
「苦しみは 雪解けの 泡雪の消ゆるが如く 迅く速けく 消え給ひて
永久の命は 現身の世の 長人の比にあらず
高次の世へ 漕ぎいだす船の 舵誤わず 行先見誤わず」
と言ったところで、吉田は言葉に詰まった。
「あの、済みません。ここまでしか」
吉田は苦笑いをして、頭を掻いた。
「はい。よろしいですよ。これは葬送の祝詞ですね。病気の苦しみが、泡雪が消えるが如しと例えたのは、ともて美しいです。そのあとは、黄泉の国への旅立ちの文句でしょうか?」
「はい。船に乗っている様子を例えました」
「葬送の儀ではよく使われるセンテンスですが、今回のテーマは再生です。これでは再生できていませんね」
「あ。はい」
吉田はしゅんとなって、顔を伏せた。
「よろしい。では他に誰か」
講師はまた、教室を見渡した。その時、「はいはーい」と背後で声がした。
守部だ。皆、少し身体を後ろに向けると、守部に注目した。満面の笑顔で立ち上がると、話し出した。
「それには、死人再生も含まれますか?」
ぎょっとなった。
皆がぽかんとした顔をして、守部を見つめていた。
守部より年上の講師は、少し困ったような顔をすると、
「それは心の再生と考えて、よろしいでしょうか? 魂の」
と聞いた。
それならば、学問上あり得ない話ではない。魂は永遠であるという、宗教一般の理想の話だ。
「いえ、違いますよ。一端死んだ人間が、生き返ることです。魂が復活するなんて、そんなどこぞの神様みたいな話はダメですよ。同じ人間が同じ記憶と肉体で生き返るということです。こんな風にね」
そう言うと、守部はすっと右腕を突き出した。なんと拳銃を握っている。あまりにも現実離れした自体に、皆が言葉を失った。
「また会いましょう。吉田君」
守部はにっこり笑って、吉田に銃を放った。
(続く)




