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(13)研修2日目ー1-

智加はるかは薄らと目をあけた。

白い布で目を覆われ、両手は拘束されている。先程車に押し込められ、今は移動中のようだ。あれから30分は経っただろうか。行き先は、検討がついていた。三田神宮だ。


啓一けいいちが拘束する前に言ったのだ。『お前も、……ご神体なのか?』と。


研修会を無駄にする訳にはいかないが、啓一の様子から察するに、身内に神憑かみつきがいるらしい。それに興味があったのだ。純然たる興味が。


そうでなければ、誰がわざわざ猿ぐつわまではめられて、黙ってついていくだろうか。言霊を使えば、拘束を逃れることなど雑作もない。それに、研修会を棒に振れば、親父の逆鱗に触れることになる。それは避けたかった。


翌朝までに宿舎に戻ることは必須だな、と智加はひとりごちした。



車中では、無言だった。啓一は運転しているらしく、智加は後部座席に一人だ。しばらくして、車は大きく左に曲がって、ブレーキがかけられた。ききっとタイヤがきしんで、車は止まった。



「降りろ」と言われて、智加のそばのドアが開いた。しんと静まった外気に、草深い山野の緑の香りがする。空気は澄んで、辺りは静かだ。三田神宮は街の中にある大きな神宮で、参拝客が絶えない。夜中とはいえ、喧騒が聞こえるはずだ。山道を登った感覚があったのは、正解だったらしい。

ここは、三田神宮の離れ外宮だ。


智加は車を降りた。じゃりっと足もとに小石を踏む音がした。ふいに目隠しが外された。そこは鬱蒼とした林の中だった。

更に手の拘束も外され、さるぐつわも外された。逃げないと悟ったのだろう。


「来い」


そう言うと、啓一は真っ暗な夜道を月明かりだけで進んでいった。じゃりじゃりと小石を踏む音だけが、辺りに響いた。


智加も無言でついていった。


外宮の門をくぐると、やしろの中に薄らと明かりが見えた。それは電気の光のような強いものではなく、蝋燭の明かりのように、柔らかなものだった。


靴を脱いで上がると、桧の真新しい香りに包まれた社は、しんと静まり返っていた。ここに誰が居るというのだろう。人の気配はしない。

人というよりは、むしろこれは……。


智加は耳を澄ませた。


遠くから軽やかな足音が聞こえてきた。ぱたぱたと着物の裾をひるがえすような軽やかな音だ。小さなそれは急に現れると、啓一の腰元に飛び付いた。


「姉さん」


啓一は言った。


小学生くらいにしか見えない少女に向かって。


なるほど、と智加は思った。口の端が自然と上がる。だから自分をここに連れてきたのだろう。


啓一はしゃがむと、少女の前に膝をついた。


「お久しぶりです。お変わりはないですか?」


姉と呼ばれた少女は、こくりと頷いた。そして、智加に視線を移すと、じっと食い入るように見つめてきた。


「姉さんと一緒ですよ。見えますか?」


少女はふいに首をすくめると、怯えるように啓一の影に隠れた。


啓一は姉の手を取ると、立ちあがった。智加について来いと顎で示すと、先に歩き出した。


社の中心部分の部屋に入ると、そこは全く何もない部屋だった。テーブルもなければ、座布団もない。ただ桧の床がむき出しになって、がらんとした部屋だった。


飾り気のない小さな扉が壁にあって、どうもそこにご神体があるのだろうと推察された。本来ならば、だ。


だが、扉を開けたところで、そこには何もない。この姉自体がご神体なのだ。



啓一はなにもない床にどかっと座った。「座れ」と智加に向かって言った。智加は静かに座ると、正面に姉を見た。


啓一の姉ならば、二十歳はとうに過ぎているだろう。


神憑かみつきのせいで、成長が止まったのか。よくある話だ。


「察しはついているだろう。君のことも少し調べさせてもらった。姉を、なんとかしてくれないか?」


智加は面倒くさげに啓一を見た。答えずにじっとしていると、啓一は更に続けた。


「俺は本家筋の人間ではない。姉と言っても、実の姉ではない。従姉同士にあたる。俺は、こんなこと馬鹿げていると思っている。だから壊すのなんて平気だ」


途端、少女が啓一の腕にしがみついた。


「姉さん。大丈夫です。大丈夫」


打って変って、啓一の声は優しい。穏やかで、まるで恋人に囁くような声だ。手を上げると、少女の髪を撫で、小さな肩を抱き締めた。


「俺は姉さんを愛している。ここから出て行くつもりだ。だが、この社を出れば、姉さんの身体にどんな影響が出るかわからない。東辞君、君ならできるんじゃないか? 言霊というもので」


啓一は口を真一文字に結び、じっと智加を見据えてきた。頼んでいるような口ぶりだが、これは一種の命令だ。


「無論、タダとは言わない。久我山くがやま要三ようぞうの居所を教えよう。これでどうだ?」


智加は目を見開いた。ここで、その名前が出てくるとは想像もしていなかった。光輪協会に連れ去られた瑤子の手がかりだ。高宮が散々調べたのに、痕跡すら残っていなかった。


智加はすっと立ち上がった。啓一を一瞥すると、来た方向に向かって歩きだした。


「なっ。おい、待て。欲しくないのか?」


背後で影が動いたかと思うと、啓一がばっと智加の腕を取った。力強い男だ。ぐいっと引っ張られて、智加は思わず呻いた。


かっとなった。啓一を睨みつけると、智加は口を開いた。


「掛巻も畏き産霊之大神達の 奇しき神霊に依りて

我が足下に清浄の御風みかぜ 吹き起こし給え」


刹那、何もないところに小さな旋風つむじが起こった。四角い部屋の外側から渦を巻いて集まってきている。きーんという鋭利な音がした瞬間、啓一はもんどりうって倒れた。どたんっと桧の床が大きく音をたてた。


少女はばっと啓一の前に飛び出した。

小さな身体で、啓一をかばった。黒い瞳は涙に濡れ、蝋燭の明かりに照らされ光っていた。


智加をぎっと睨みつけている。

小さな両手を目一杯広げて、顔を真っ赤にして、唇をぎゅっと噛みしめ、その瞳から、涙がはらはらと流れていた。


智加はふうとため息をついた。呆れてものが言えない。


「俺が姉さんに会ったのは、十歳だった。姉さんはどこかしら遠くを見ている人で、世俗とはかけ離れたところで生きているような、不思議な人だった。俺はいつも遠くから見ていた。花のような、綺麗な人だった。その時、既に三十は過ぎていた」


え? と智加は思った。成長が止まったのではないのか。


「この社に入れられて、どんどん若返っていった。今は五歳程度の子供にしか見えない。あと数年したらどうなる? 姉さんは胎児になって消えてしまうのか? そんなのは嫌だっ」


啓一は起き上がると、智加の前に来て、ばっと土下座をした。床に頭を擦りつけて、懇願した。


「頼む。後生だ。どんな要求でも、俺が出来ることなら何でもする。だから、だから姉さんを、助けてくれっ」


姉弟で庇いあうのか。


自信家で、体躯もしっかりしていて、人望もある、三田神宮の跡取りだ。


人を拉致したかと思うと、それが床に頭を擦りつけ、恥も外聞もない。


智加はしゃがみ込むと、啓一の腕を取った。ふうとため息をつくと、少女に顔を向けた。すっと息を吸い、気持ちをフラットにさせた。少女の中にいるものを見てみた。


何故か、と問われても、きっと意味はない。悪意もない。ただ、そういうもの、としか言いようがない。


彼女はとうに死んでいる。


ただ魂で肉体の残像のようなものを形成して、生きているだけだ。


智加は手を伸ばして、少女の頬に触った。温かく、柔らかな、まるで赤子のような肌だった。少女はこくりと頷いた。ほんの少し、笑ったように見えた。まばたきした瞬間、一筋の涙がこぼれていった。


智加は啓一に向きなおり、静かに首を振った。


啓一が大きく両目を開けた。血走った眼に、涙がじわりと浮かんだ。

途端、わーっと大声を出すと、啓一は子供のように泣き出した。少女は、そんな啓一の背中をずっと撫でていた。己の寿命を知っていたのだろう。


智加は立ち上がった。


外宮を出たのは、空が白み始めたころだった。駐車場まで来ると、啓一は、携帯電話を差し出した。それはここに来る前に、啓一が智加から奪っていたものだ。


ちかちかと青いランプが点滅していた。多分、明来だろう。途中で電話を切ったので、きっと心配している。


「久我山要三の情報は要らないのか?」


智加はちらりと一瞥して、頷いた。自分が久我山に会いたいと思えば、多分すぐに連絡はつく。ただ、交換条件に出されたことに、少々腹が立っただけだ。

第一、ちょっと調べたくらいで東辞と久我山の関係がばれるようでは、高宮にきつく言っておかねばならない。


「君は何者なんだ?」


ふいに、啓一が聞いた。凝り固まった表情を和らげた、一瞬だった。山の頂でも見るような、遠い表情だ。目を腫らした顔を隠そうともせず、ただこちらを見つめていた。


智加は首を横に振った。そんなこと、俺だって知らない。


智加は踵を返すと、車のドアを開けた。車の運転席には男が乗っており、啓一が東京の研修所まで送るよう指示していた。


「俺は戻らないから」


そう言うと、啓一は車に背を向けた。智加は答えなかった。運転席の男は、エンジンをかけるとアクセルを踏み込んだ。


(続く)

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