(12)諏訪邸へ-4-
(12)
諏訪はじっと明来を見ると、ふうと息をはいて自分の肩に手を置いた。遠い昔を思い出すような、少し上を向いたかと思うと、肩の関節を鳴らして腕をおろした。
「東辞の屋敷に、行ったことはあるのかな?」
「あ、はい。本館と新館に。本館は応接間に上がっただけで、全体は広くて判りませんが」
「そこにしばらく、私達家族は暮らしていたんだ」
「そうなんですか。それってもしや当主をされていたとか?」
「いや、当主ではなかったんだが。兄の力が強かったからね」
明来は、それが喜ばしいことなのかどうか判からず、ただ曖昧に頷いた。それを見て取ったのか、諏訪は少し破顔した。
「ふふ、当時は華々しかったよ。兄の力に誰もが憧れた。私ですら、気安く声がかけられなくなったが。あれが自分の兄だと思うと、とても誇らしかった」
「……」
「裏山もあっただろ?」
「え。ああ、深い森がありました。小さな池も」
いきなり智加と一緒に池に落ちたことを思い出して、急に顔がほころんだ。
「その山の頂に祠があって、そこに兄は隔離されていた。私は当時10歳で、大人たちの話を盗み聞いて、兄がいる場所を知ってね。必死に探して、見つけた祠は、とても小さなものだった。茶室のような低い入口があって、そこを開けると、兄が寝ていた。白い布団から出た腕に、黒い斑点があちこちに出ていて、幼いながらにぞっとしたよ」
明来はぎょっとなった。智加にも黒い痣があった。それは禍つ神が憑いているからだと、智加が言っていたのだ。
「山の強い風に、祠はがたがたと揺れ、冷たい風が入ってきた。ただ飲み水が兄の枕元にあった。こんな寂しいところに、兄が一人でいるかと思うと、私はすごく腹が立った。扉を押し開けて入ろうとしたら、私が来たことを知って、兄はか細い声で言ったよ。来るな、隆。お前にうつる、と」
明来の顔が歪んだ。来るなと言う兄の気持ちを思うと、とても切なかった。
諏訪は坦々と喋った。
「あの声が、今も忘れられない。私はそれでもよかったんだ。兄さんって飛び込もうとした肩を、いきなり掴まれて引き戻された。ばっと振り払うと、それは父だった。父は鬼のような形相をして、私を引っ張った。ひどく乱暴で、まるで子犬でも抱えるように、私は連れ戻された。父は口を一文字に結び、何も喋らなかった。それから間もなくして、兄は死んだんだ」
明来は諏訪の顔を見た。ただ表情を変えることなく、静かな顔だ。だからと言って、寂しいわけではないだろう。
「身内だけで葬儀を上げると、骨は本家の墓に入れられたそうだ。そこで何があったのか、私は聞いてないが、いきなり父に連れられて、私達家族は福岡に移り住んだ。父はほとんど笑うことも怒ることもなくなった。兄が神官をしていた頃は、とても勢いのある父だったんだが」
諏訪は少し上を向くと、遠くを見るような顔をした。
「私はずっと、兄は東辞に殺されたと思っていた。だが、父が病床でぽつりと言った。兄を殺したのは私だ、と。東辞の家では、能力が高いものほど、特別扱いされる。白山の神に愛された存在だったからだ」
「白山の神に?」
「そう。東辞の信仰する白山の神だ。神に愛されるということがどういうことか、君に判るかな?」
「愛される? 神に……」
明来は思わず智加を思った。母親から引き離され、言霊が使えるから話すことも禁じられ、とても幸せな生活をしているとは思えなかった。なのに、自分に取り憑いた鼠の死霊を払ってくれた。自分を現実に繋ぎとめてくれた。
「人の幸せは、人であること。そう思わないか?」
諏訪は静かな声で言った。明来は俯いた。ただ智加を思った。
無言の時間が流れた。諏訪も何も喋らなかった。明来はただ俯いて、握り込んだ自分の手を、じっと見ていた。
ふいに、諏訪が口を開いた。
「ああ、東辞水杼さんのことだったね。確かに、彼女は来たよ。しばらく家で暮らしていた」
「本当ですか? いつ?」
「多分、息子さんと別れた頃だったろう。とても傷心だった。病気も患っていて。それで、しばらくこっちの病院に入院させていたんだが」
「その病院はどこですか?」
「もう十年以上も前のことだから、つぶれてしまったよ。それに、いつの間にか、消えていたんだ」
「え、消えた?」
「退院していたんだ。当時、病院で確認したから覚えているよ。身内だという男が連れて行ったと」
「身内の男? 誰なんです?」
「若い男だと言っていた。それ以上は判らない。結局、それっきりだ」
明来は放心した。茫然と諏訪の顔を見つめた。
ようやく見つけた糸口だったのに、ぷつりと切れてしまったのだ。
「すまなかったね」
諏訪が言う。
明来はぱっと顔を上げた。
「いえ。とんでもない。お話を聞かせて頂いて、ありがとうございました。辛いことを思い出させてしまって」
「いや。なんだか久しぶりに兄の話をしたから、兄が傍にいるような気がするよ」
明来はふっと顔を和らげた。
「君は笑ったほうがいいね」
「え?」
「水杼さんが見つかることを、祈っているよ」
そう言うと、諏訪は立ち上がった。テーブルに置いたタバコを取ると、明来に会釈をして、部屋を出て行った。
明来は一人ぽつんと部屋に取り残された。
かちかちと規則正しい音が、いきなり耳についた。気になってその方向を見ると、部屋の壁に掛けられた大きな時計だ。飾りっ気もなにもない、まるで学校の教室にあるような時計だった。その秒針が、かちかちと動いていた。今まで聞こえもしなかったのに。
明来はふうとため息をつくと、携帯を取り出した。フリップを開けると、そこには待ち受けに大きな時間が表示してあった。壁掛け時計より、2分進んでいた。
(高宮さんに連絡しなきゃ。あ、東辞にも……)
でも、何も成果がない。福岡で消息が途絶えてしまっているのだ。この先、どこをどう探せばいいのだろう。
明来は途方に暮れた。
(続く)




