第3部 クレマチス 〜アルバ・ウィットコームの花伺い〜③
その時の私は、二人がただ花のお話をしているのだと思っていたのです。
しばらくして、アルバさんはようやく紅茶に口をつけました。
先ほどまで取っ手に触れたまま止まっていた白い指も、今はもう落ち着いています。
「本日は、お話を聞いていただきありがとうございました」
カップを置き、アルバさんが深く頭を下げました。
「いえ。私の方こそ、素敵なお話を聞かせていただきましたわ」
セラフィタ様は、受け取ったクレマチスを大切そうに両手で包みます。
「アルバ様のお気持ちが、どうか良いところへ根を張れますように」
「……ありがとうございます」
一瞬だけ。
アルバさんの白兎らしい赤い瞳と、セラフィタ様の深紅の瞳が重なりました。
それからアルバさんは、静かに微笑みます。
「どこへ行くことになっても、きっと大丈夫です」
「ええ。そうでしょうとも」
なんでしょう。
お二人とも、妙に確信がおありのような。
けれど、先ほどまであれほど力強くご自身の覚悟を語っていらしたアルバさんです。
きっと、ご自分を奮い立たせるための言葉なのでしょう。
アルバさんは席を立つと、来た時と同じように美しい一礼をしました。
「それでは、失礼いたします」
「ええ。またいつでもいらしてくださいね、アルバ様」
「ありがとうございます、セラフィタ様。トコヨ様も、お時間をいただきありがとうございました」
「い、いえ! こちらこそ、お話を聞かせていただきありがとうございました」
慌てて頭を下げます。
アルバさんはほんの少しだけ笑って、それからガゼボを後にしました。
白い兎耳が、歩調に合わせてゆらり、ゆらりと揺れながら遠ざかっていきます。
私は、その背中が見えなくなるまで見送っていました。
「……真実の愛、ですか」
ぽつりと呟きます。
モールデン様は、アルバさんを愛している。
アルバさんも、モールデン様を愛している。
お二人とも、家も爵位も捨ててしまって構わないと仰るほどに。
そこまで想い合っているのであれば、確かに素敵なお話なのでしょう。
なのでしょうけれど。
「セラフィタ様」
「はい?」
「ウィニフレッド様は、どうなるのでしょうね」
セラフィタ様は、少しだけ目を細めました。
「さて。どうなるのでしょう」
「さて、なのですか……」
「ええ」
楽しそうです。
なぜでしょう。
私は今、少しだけ不安なのですが。
セラフィタ様はそんな私には構わず、手元のクレマチスを眺めています。
「けれど、お話というものは最後まで聞いてみなくては分かりませんもの」
「最後まで……」
「ええ。紡ぎかけの物語、ですわ」
――紡ぎかけの物語。
そう言われてしまえば、確かにそうなのでしょう。
モールデン様とアルバさんの真実の愛が、この先どこへ辿り着くのか。
そして、そのお二人の間に婚約者として立つウィニフレッド様は、一体どのようなお気持ちなのか。
私には、さっぱり分かりません。
ただひとつ分かったことがあるとすれば、真実の愛というものは、どうやら私が思っていたよりもずっと複雑で。
恋に酔いながら荷造りをしたり、働く算段を立てたり、時には見知らぬ土地へ根を張る覚悟まで必要になるものらしい、ということでした。
そんなことを考えている間にも、エンヴィアさんはせっせと後片付けを進めています。
ひらひらと揺れるエンヴィアさんの黒い翼を意に介さず、テキパキと。
使い終えたカップを重ね、お皿をまとめ、残ったお菓子には手早く覆いをかける。
今日も実に無駄のない動きです。さすがの熟練の従者です。こうしてみるとビシッとノリの効いた燕尾服も熟練感がある気がしてきます。
先ほどまでここは真実の愛について熱く語られていた場所だというのに、エンヴィアさんにかかれば、お茶会の終わりはいつも通りのお片付けの時間になるようでした。
「エンヴィアさん」
「はい」
カップを盆へ載せながら、こちらを見もせずに返事が返ってきます。
「真実の愛って、なんだと思います?」
エンヴィアさんの手が止まりました。
ほんの一瞬だけ。
「……随分と唐突ですね」
「すみません。なんとなく気になってしまって」
「私に尋ねることですか、それは」
「エンヴィアさんは長くセラフィタ様にお仕えしていらっしゃいますし、いろいろなお話も聞いてこられたのでしょう?」
「それと私が真実の愛について詳しいことには、何の因果関係もないと思いますが」
ごもっともです。
エンヴィアさんはまたカップを片付け始めました。
これでお話は終わりでしょうか。
そう思っていると。
「……当人たちが真実だと思っているのであれば、それでよいのではありませんか」
「え?」
「愛が真実かどうかなど、外から確かめようのないことでしょう」
淡々とした声でした。
「長く続けば真実で、終われば偽物だったというものでもないでしょうし。そういう真偽は、すべからく当人たち自身に委ねられるべきでしょう」
「なるほど……」
なんだか、思っていたよりもしっかりしたお答えが返ってきました。
「エンヴィアさん、真実の愛にお詳しいのですね」
「今の話を聞いて、なぜその結論になるのですか」
エンヴィアさんが、ようやくこちらを見ました。
少し呆れていらっしゃるようです。切れ長の瞳が半眼に細められています。いわゆるジト目というやつでしょうか。
その横で、セラフィタ様がくすくすと楽しそうに笑いました。
「まあ。素敵なご意見ではありませんか」
「…………」
セラフィタ様がお声をかけた途端、エンヴィアさんは主人を前に雑談はマナー違反、とでもお考えになったのか黙ってしまわれました。
「あら」
セラフィタ様はますます楽しそうです。
エンヴィアさんはそれ以上何も言わず、残ったカップを盆へ載せると、黒い手袋の皺をきゅっと伸ばし、さっさと片付けへ戻ってしまいました。
私はその背中を眺めながら、もう一度考えます。
当人たちが真実だと思っているなら、それでよい。
なるほど。
分かったような。
余計に分からなくなったような。
――恋というものも、なかなかに複雑で難解なものなのですね。




