第2部 白いプリムと白いうさぎ②
「あ、でも今だって手鏡を見つけてくださいましたし、きっと良い方には違いありませんよ!」
「何割か、良い方じゃない可能性もあるの……?」
「いえいえ、そんなことはないと……思います?」
「まだ全然分かってないってかんじ?」
うーん、と私は唸りました。
エンヴィアさんは、見た目だけならきりっとしていて、どこか冷ややかな印象があります。
切れ長の瞳も、少し怖く見えると言えば見えるでしょうか。
あくまで見た目の話ですよ?
「少し怖そうな方には見えますし、基本的に無口で、笑顔も日頃はあまり拝見しないのですが……たぶん、お優しい方ですよ。フォンドボーの作り方を教えてくださいましたし」
「ふぉ、フォンドボー?」
「はい、フォンドボーです! 牛スネ肉やスジ肉をローストしたあと、人参やセロリやニンニクと――」
「あ、レシピの話じゃなくてね」
ラシェルさんが、ひらひらと手を振って否定しました。
「エンヴィアさんは、お料理がご趣味なのだそうです。紅茶を片付けたり、お菓子を仕舞ったりしている時に聞きました。お料理のお話なら、ぽつぽつとしてくださるんですよ。私が王都のお料理は全然知らなくて、と申し上げたら、少し教えてくださいました」
「それで、フォンドボー……」
「それを聞くと、確かに良い人かも!ってかんじ」
お仕事中、雑談らしい雑談はあまりなさらないエンヴィアさんですが、食べ物や飲み物に関わることなら、時々お話ししてくださいます。
私にとっては、数少ない、エンヴィアさんのことを知ることのできる時間なのでした。
「でも、エンヴィアさんってハーピィっぽいよね? よくあのわさわさふわふわの翼で、お料理したりお茶を出したりできるなー」
確かに。
それは私も、少し思っていました。
エンヴィアさんの両腕にはきちんと手指がありますが、その腕にはカラスを思わせる黒い羽根、翼が生えています。
お顔立ちは褐色の肌に黒い髪。キラリと玉虫色を照り返す漆黒の両翼に、浅黒い肌はどことなくエキゾチックです。
私は、下半身の方にも鳥の特徴を持つ、ハーピィのような下半属の方なのかな、となんとなく想像しています。
上半身に鳥の特徴が現れて、鳥のお顔と嘴まで備えた上半属の方もいらっしゃるそうなのですが、私は上半属の方そのものを、これまであまり見かけたことがありません。
ですので、あくまで私の想像なのですけれど。
「紅茶をご用意される時も、てきぱきしていて……実に効率的というか。尊敬してしまいます」
「私だったら、あの羽根を棚とかにいっぱい引っかけちゃいそうだなー!」
「……私も、よく後ろを引っかけちゃいそうになるからお気持ち分かるかもなの」
メリッサさんが、黄と黒の警告色をしたお尻をふるりと揺らしました。
蜂の身体というのも、きっと何かと大変なのでしょう。
「私も身体が大きいので、二ツ足を基準にした広さのお部屋ですと、あちこちぶつけやすいですよ。王都は、細い路地でもなければ四ツ足以上の方にも配慮されていて、ずいぶん過ごしやすいです。セラフィタ様も、私が動きやすいよう家具の置き方まで考えてくださっていますし」
「そっかー。四ツ足以上の人って、王都でもそんなに多いわけじゃないもんね。トコヨちゃんも苦労するねぇ」
そう言いながら、ラシェルさんが何気なく、エプロンドレスに包まれた私の脚を撫でました。
「わ!?」
思わず身体がびくりと跳ねます。
「あっ、ごめん! うち、馬を飼ってるから、つい手癖で触っちゃった! ホントごめんごめん!」
「いえいえ、大丈夫ですよ。お友達ですから」
そう答えると、ラシェルさんはほっとしたように笑いました。
「トコヨちゃんは……モチヅキ家の人は、みんな四ツ足なの?」
「はい。うちの一族は皆、草原を駆けるのに向いた四ツ足の血統です」
「草原……」
メリッサさんが、不思議そうに私の黄と茶のまだら模様の四ツ足へ目を落としました。
草原を離れてから、まだそれほど長い時が経ったわけではありませんが、少し懐かしいような気持ちになりました。
「モチヅキ家は、皆さんには少し想像しづらいかもしれませんが、広い草原に天幕のような住まいを建てて暮らしているのです。ひとところに定住することがありませんので、お家の間取りや家具の置き場所で何年も悩んだりはしませんね」
「なるほど……。じゃあ、王都暮らしは驚くことがいっぱいなのね、きっと」
「そうですねえ。どこを見ても石畳や石壁ばかりなので、まず『駆け回れないな!』とは思いました」
二人がくすりと笑います。
「でも、水路や河がとても美しいです」
王都アロウェンへ来て、まず驚いたもの。
それは大きな橋と、美しく流れる河と、その水面を行き交うたくさんの舟でした。
「私は四ツ足なので、走るのは速いのですけれど……いつか舟にも乗ってみたいです」
「良いね! 今度、四ツ足でも乗れる河下りの舟、探してくるから一緒に乗ろうよ!」
「本当ですか!?」
それはもう、わくわくが止まりません。
ラシェルさんとメリッサさんと一緒に河下りだなんて、きっと楽しいに決まっています。
「当然ってかんじ! 私たち、もう友達じゃない?」
「ラシェルさん……!」
なんだか胸のあたりが、ぽっと温かくなりました。
「あ、ねえねえ。友達の流れで思い出したんだけど、四ツ足の人って、仲良くなったら背中に乗せてくれるって本当?」
「本当ですよ。今度、鞍と鐙を借りてきましょうか。お一人ずつになりますけれど、お乗りになります?」
「素敵なの……」
メリッサさんの、虹彩の大きな琥珀色の瞳がきらきらと輝いています。
……ううん。撫でたい。
ご学友に対して大変失礼なお話なのですが、小柄なお身体も相まって、いつも揺れているその猫耳が本当に愛らしくて。
つい、なでなでしたくなってしまうのです。
きらきらと目を輝かせるメリッサさんの魅力に抗えず、私はつい、その猫耳へ手を伸ばしかけました。
――と、その時です。
ふわりと、苺のような甘い香りが鼻先を掠めました。
顔を上げると、廊下を一人の女性が颯爽と歩いていくところでした。
雪のように美しい白い兎の毛皮がスカートからわずかに覗いていて、下半属であることが分かります。頭からは白い可愛らしい耳が垂れています。赤い瞳が印象的な、とても美しい方です。
身につけているのはメイド服なのですが、背筋の伸びた立ち姿や歩き方には、どことなく品がありました。
私は思わず、その後ろ姿を目で追ってしまいます。
「わあ……。お綺麗な方でしたねえ。今の方」
「ああ、アルバさんね」
答えたのは、やはりというべきかラシェルさんでした。
「知っていらっしゃるのですか?」
「もちろん! アルバ・ウィットコームさん。今はメイドをしてるの」
「今は?」
何気なく聞き返すと、ラシェルさんは少しだけ声を落としました。
「昔は爵位のある貴族家の御令嬢だったんだって。でも、お家が没落しちゃって、今はもう貴族じゃないのよ」
「あら……」
それで、あの佇まいなのでしょうか。
メイド服を着ていらしても、どこかの御令嬢のように洗練され、熟れた所作がとても淑やかに見えた理由が、少し分かった気がしました。
「所作も綺麗だし、お顔もあんなに麗人!ってかんじだし。知らなかったら、普通にどこかの御令嬢だと思っちゃうよねー」
「……大変なのね、きっと」
メリッサさんが、ぽつりと言いました。
その言葉に、私ももう一度、遠ざかっていく白い背中へ目を向けます。
ついこの間まで貴族だった方が、今は別のお家でメイドとして働いている。
そういうことも、あるのですね。
「そう考えるとさ、トコヨちゃんのお家とは正反対ってかんじ?」
「私の家、ですか?」
「うん。モチヅキ家は新しく貴族になって、ウィットコーム家は貴族じゃなくなって……。栄枯盛衰ってやつよねえ」
ラシェルさんは、少し考えるように首を傾げました。
「うちだって商会で稼いでる六爵家だし、ずっと今のままって保証があるわけじゃないもの。何が起こるか分からないんだから、稼げるうちに稼いで、情報もちゃんと集めておかないとね!」
「ははは……」
なんとお返事したものか分からず、私は曖昧に笑いました。
確かにモチヅキ家は、貴族として名を連ねてからまだ日が浅い家です。
私など、ついこの間まで草原を駆け回っていたというのに、今では五爵家の娘ということになっています。
貴族というものは、なればそれで終わりではなく、失うことだってあるのですね。
当たり前のことなのでしょうけれど、目の前にその実例が現れると、なんとも言い難い気持ちになりました。
その時。
ふと、先日のお茶会で聞いた名前が頭を過りました。
――アルバ。
私は、もうずいぶん先まで歩いていった白い兎の女性を、もう一度見つめます。
まさか。
あの方が――モールデン様の仰っていた、アルバさんなのでしょうか。
けれど、アルバさんの白い背中をいくら見つめたところで、当然ながら答えが返ってくるはずもありません。
「あ、ほら。そろそろ授業行こうよ。良い席なくなるかも!」
「あ、はい!」
ラシェルさんの声に我に返り、私はエンヴィアさんが届けてくださった手鏡をもう一度覗き込みました。
右を向いて、左を向いて。
角の間に収まっているホワイトプリムの位置を、指先でちょいちょいと直します。
「……トコヨちゃん、いつも髪型を気にしてるの」
メリッサさんが、不思議そうに私の手元を覗き込みました。
「ああ。角が四本ありますので、どうしてもホワイトプリムの位置が気になってしまうんですよねえ」
私の頭には、ペールブロンドの髪を分けいって額から伸びる鋭い角が二本と、後頭部寄りに丸みを帯びた角が二本。
さらにその横には、左右へ張り出す耳まであります。
おかげで、可愛らしいヘッドドレスやホワイトプリムを身につけようとすると、これがなかなか一筋縄ではいきません。
少しずれれば角に当たり、角を避ければ今度は耳に寄る。
鏡を見ながら自分で結ぶとなると、にっちもさっちもよっちもいかないこともしばしばです。
「……トコヨちゃん」
「はい?」
「私が、ホワイトプリム結んであげようか?」
「え?」
メリッサさんは私の頭を見ながら、少しだけ首を傾げました。
「きっと、自分でするより人にしてもらった方がいいと思うの」
「よろしいのですか?」
「もちろんなの」
そう言って、メリッサさんが小さく笑います。
先ほどまで私は、その猫耳を撫でたいなどと大変失礼なことを考えていたというのに。
なんでしょう。
今度は私の方が、少し嬉しくなってしまいました。
「では……次から、お願いしてもよろしいですか?」
「もちろんなの」
メリッサさんは、こくりと頷きました。
「よし、それじゃ今度こそ授業行こ! 本当に良い席なくなっちゃうってかんじ!」
「はいはい、行きましょう」
三人で顔を見合わせて、そのまま並んで廊下を歩き出します。
ラシェルさんの軽やかな足取りと、メリッサさんの小さな足音。
その間を歩きながら、私はもう一度だけ、先ほどアルバさんが消えていった廊下の先へ目を向けました。
けれど今は、考えても仕方がありません。
まずは授業です。
――それから、次にホワイトプリムを結んでもらう時は、少しくらい可愛く見える角度も教えていただこうと思います。




