第2部 白いプリムと白いうさぎ①
◆ ◆ ◆
「トコヨちゃんって、従者歴長いの?」
「え?」
手鏡を覗き込みながら、ホワイトプリムの位置を直していたところで、ラシェルさんからそんなことを尋ねられました。
時刻は穏やかな昼下がり。
食事を終えて、そろそろ次の授業へ向かおうかという頃です。
顔を上げると、目の前にいるご学友のお二人が、私の返事を待っていらっしゃいました。
「ええと……セラフィタ様のもとへ参ってからは、まだそれほど経っておりませんけれど……」
「あ、違う違う。セラフィタ様のところに来る前から、どこかのお家でお仕えしてたんじゃないの?」
そう言って首を傾げたラシェルさんは、白くふわふわとした巻き毛に黒い肌をした、可愛らしい方です。
頭には穴の空いたバブーシュカを被っていて、その穴からは、くるりと巻いた形のよい角が覗いています。
下半身は羊を思わせる姿をした下半属の御令嬢です。
その隣には、猫の耳を持ち、下半身が蜂のような姿をしたメリッサさん。
お二人とも、この学院へ来たばかりで右も左も分からなかった私に声をかけてくださって、それ以来、とてもよくしていただいています。
「いえ。私、従者の経験はなくて。どなたかにお仕えするのも、セラフィタ様が初めてなのです」
「そうなんだ……」
小さく声を漏らしたのは、メリッサさんでした。
「それって、とても大変……なのね?」
ラシェルさんが陽気で闊達な方なら、メリッサさんは穏やかで、おっとりとした方です。
ずいぶん雰囲気の違うお二人なのですが、一緒にいるところを見ていると、不思議なくらい馴染んで見えるのでした。
私は、ふと、主人であるセラフィタ様のお姿を思い浮かべます。
薄紅色のたおやかに流れる髪。
その御髪には、ロドダモーニという中紅色の可憐な花が、いつも瑞々しく咲いています。
セラフィタ様はアルラウネという、植物の種族の下半属なのだそうで、そのお傍にはいつも美しい花々が咲き乱れていました。
そして、いつも朗らかで、人の心を解きほぐしてしまうような、優しい笑顔をたたえたお方です。
セラフィタ様の侍女に、と急にお声がかかった時には驚きましたけれど、いざお仕えしてみれば、慣れない私にもひとつひとつ丁寧に様々な事を教えてくださいますし、学院への入学手続きまでお力添えしてくださいました。
そうして仕えて日が浅い私は、セラフィタ様が『花伺い令嬢』などと噂されていることすら知らないまま、先日のお茶会を迎えたのです。
……思えば、少々謎の多いお方だったりするのでしょうか。
「セラフィタ様はとてもお優しくて、いつも慣れない私にいろんなことを教えてくださって……。大変恵まれた環境だと感謝しておりますけれど」
「……なら、いいのだけど。セラフィタ様って、あの……」
メリッサさんが、なんとも言いにくそうに言葉を濁します。
「うん。あの、『花伺い令嬢』だからね」
その続きを引き取ったラシェルさんが、少し身を寄せてきました。
「セラフィタ様って、王立アロウェン術導院の七不思議って言われてる、ってかんじ?」
「な、七不思議!?」
思わず、素っ頓狂な声が出てしまいました。
私の声に驚いたメリッサさんが、ぴくりと肩を揺らして、その茶色い猫耳をぺたりと伏せてしまいました。可愛らしい……。
「トコヨちゃん、声大きいな!? まあ、セラフィタ様が七不思議っていうのは、けっこう有名な話なんだよ。どんな疑問でも解決するだの、相談に来た人はみんな満足して帰るだの、いろいろ言われてるかんじなの。なんだか探偵さんみたいだよね!」
探偵。
ということは、そのお傍に仕える私は、さしずめ秘書か助手のようなものでしょうか。
……私には、とてもとても。
はっ。
もしかして、役に立たなかったら解雇でしょうか!?
急に背筋が寒くなりました。
「ええと……いろいろさておきまして。皆さんが花伺いをして、満足そうに帰っていかれる……というだけでしたら、良いお話ですよね?」
私は首を傾げました。
「それの、どのあたりが七不思議なのでしょう……?」
「花伺いの紅茶会そのものが七不思議ってわけじゃないんだよねー」
「あの……セラフィタ様ご本人が、七不思議っていうのかな」
私は小首を傾げました。
「あのね、トコヨちゃん。セラフィタ様って、いつご入学されたのか分からないの」
「分からない……とは?」
メリッサさんの言葉に、ラシェルさんが続けます。
「誰も、セラフィタ様がいつからこの術導院にいたのか知らないんだー」
「え?」
「ずーっと、ずーっとここにいるのよ。いつもあのガゼボでお茶会してる、不思議な人。術導院ができた時から――いや、できる前からいたんじゃないかって噂まであるかんじ?」
「王立アロウェン術導院が開校されたのって……」
「百七十年くらい前だったかな」
「えっ」
百七十年も前から……?
長命な種族、または不老不死、とか……そういったものなのでしょうか。
そんな性質の方もこの世のどこかにはいらっしゃるのだと、おとぎ話のように耳にしたことはありますけれど。
まさかセラフィタ様ご本人に、そんな噂があるだなんて。
私は今日まで、まったく知りませんでした。
思えば私、お仕えしているというのに、セラフィタ様ご自身のことをまだほとんど知らないのですね。
「まあ、トコヨちゃんが良い人って言うなら、ホントに良い人ってかんじ? 七不思議だって、ただの噂かもしれないし?」
「はい。セラフィタ様がすーごく長生きでも、すーごく不思議な方でも、すごーく良いご主人様ですよ」
――たぶん。
「良かった。ちょっと不思議な方だっていうのは聞いてたから……トコヨちゃんにとって良い方なら……それなら良かったの」
メリッサさんは、ほっとしたように小さく息を吐きました。
どうやら私は、良いご学友を持ちましたねえ。
私も、ラシェルさんやメリッサさんを安心させてあげられるように、もっとセラフィタ様たちのことを知らなくては。
むん!と、ひとり胸中で気合いを入れた、その時でした。
「――手鏡を、そこの柵に忘れていらっしゃいましたよ」
「わひょっ!?」
ふいに背後から声をかけられ、思わず肩が跳ねました。
振り返れば、エンヴィアさんが私の手鏡を手にして、こちらへ差し出しています。
いつからそこにいらっしゃったのでしょう。
まるで、何もなかった空間から突然人が現れたような心地です。
……小説の中に出てくるクールな暗殺者の手練れというものは、こういう方なのでしょうか。ちょっと怖かったです。
少し戸惑いながら、黒い手袋に包まれたエンヴィアさんの手から、手鏡を受け取りました。
「すみません。ありがとうございます、エンヴィアさん」
「いいえ、お気になさらず。これから授業ですか?」
「あ、そうです! 界力と流印の応用の授業で……」
「ガードラー先生ですか。彼は時間に厳しい方ですから、すべからく余裕をもって臨むべきですね」
「あ、そうなんですね! ありがとうございます!」
エンヴィアさんは、私に、それからラシェルさんとメリッサさんにも軽く頭を下げると、そのまま颯爽と去っていきました。
両腕を成す濡羽色の翼と、燕尾服のテールが翻るその後ろ姿はなんとも絵になるものです。
「今のって……セラフィタ様の側仕えの方?」
メリッサさんが、不思議そうに猫耳を傾けました。
「私は知ってる! エンヴィア・ベルトランさん……だっけ?」
さすがラシェルさん、情報通です。
「うーん……エンヴィアさんって、どんな方なのでしょうか」
「それ、トコヨちゃんが聞くの……?」
「トコヨちゃん、まだセラフィタ様のもとで働き始めて少ししか経ってないから、よく知らないってかんじ?」
なはは、と笑うラシェルさんに、私はこくりと頷きました。
私はセラフィタ様はもとより、エンヴィアさんのことも、まだほとんど知らないのです。
界力はひとまず魔法的なサムシングだと思っていてもらえれば。




