第5部 騎乗の共闘②
私は足を止めるつもりで身体を起こしましたが背後のお声がそれより先に届きました。
「左へ寄ってください」
言われた方へ踏み直すと右側の道へ木箱が落ちました。
蓋が跳ねて粗石が散り、石畳の上を小さな光が幾つも転がっていきます。
私が踏むはずだった場所を大きな欠片が跳ねました。
私は息を吸い直して前へ足を伸ばしました。
「後ろの方、足元にお気をつけください!」
お声をかけると店の前にいた男の方が両腕を広げ、追ってきた人たちを止めてくださいました。
それを見届けた頃には馬車との間がまた開いておりました。
道幅は先ほどより広くなっています。
これならば追いつけると思ったところで耳元から別の道を示されました。
「次の橋へ。そこで川を渡ります」
私は前方の石橋へ顔を向けました。
「その橋ではありません。その先です!」
あらあらあらあら!?
王都には本当に橋が沢山ありますね……!
普段は便利だと思っておりましたが今は一つずつ名前札を持って順番に並んでいただきたい気持ちです。
けれど尋ね返す前に次のお声が届きました。
「欄干に白い鉢のある橋です。そちらを渡って左へ!」
白い鉢なら見えました!
私は手前の橋を通り過ぎ、二つ目の橋へ向かって足を運びます。
橋の上は日陰になっていて、石の継ぎ目にまだ湿り気が残っておりました。
踏み込む位置を選びながら渡りきると川の匂いが急に濃くなります。
左へ曲がった先には水面に沿って長く続く道がありました。
向こう岸を荷馬車が走っています。
木箱の陰からこちらを振り返った男と目が合い、私は川を挟んで追いかけているのだと気付きました。
「澪橋へ回ります。あちらで追いつけます」
「渡り直すのですね!」
「ええ。この先は人が少ないので速度を上げていただけますか」
「分かりました!」
道の先には縄を巻いている方が一人いるだけでした。
こちらに気付いて壁際へ寄ってくださるのを待ち、私は歩幅を広げました。
蹄の音が石壁へ跳ね返ります。
風に押されて後ろへ流れた耳を立て直すと、背からエンヴィアさんの息遣いが聞こえました。
曲がる時には少し内側へ、伸び上がる時には腰を浮かせるように動いてくださるので、背へ誰かを乗せていることよりも足を置く先へ気を配れました。
「速すぎませんかっ」
「このままで大丈夫です」
「では、このままで!」
言葉に合わせてもう一度石を蹴りました。
向こう岸では馬車が緩い下り道へ入っていきます。
こちらの道は反対に少しずつ高くなり、走るにつれて川の色が屋根の下へ隠れていきました。
追っているはずなのに上と下へ離れてしまうようで気になりましたがエンヴィアさんは前方をご覧になっているようです。
「下の道へ出ましたね。間に合います」
私は坂の上へ目を向けました。
家々の間から大きな石橋が見えてきます。
手前の細い水路へ架かっていた橋とは違い、白っぽい欄干が川の向こうまで長く伸びておりました。
あちらが澪橋なのでしょう。
いつもなら水面や行き交う舟を眺めながら渡りたいところですが、今日は欄干の綺麗な模様も横目で通り過ぎるだけになりそうです。
橋へ近づいたところでエンヴィアさんのお声がしました。
「少し落としてください。前に人がいます!」
坂を上がる足を緩めると橋の陰から二人連れが出てきました!
私は道の端へ寄り、驚いて振り向いたお二人へ頭を下げます。
「失礼します!」
身体を起こすとエンヴィアさんも後ろへ腰を引いてくださったので、次の一歩で道へ戻れました。
背後へ落としてしまう心配ばかりしていた最初の数歩とは違います。
どのくらい傾けば一緒に曲がれるのか、少しずつ身体の方が覚えてまいりました。
包み紙が耳元でかさりと鳴りました。
風を受けているのが私の髪だけではないことを思い出し、ちらりと肩越しに目を向けます。
「お花は、」
「持っています。前をどうぞ」
「はい!」
そうでした!
今は私が前を見なくては!
私は首を戻して橋の上へ駆け上がりました。
欄干の隙間から幾つもの舟が見えました。
水面へ落ちた光が砕け、橋脚の陰を抜けるたびに舟の縁を銀色に染めていきます。
そのずっと向こうに荷馬車が見えました。
川沿いの低い道を走っております。
こちらからは上に積まれた木箱も、御者台の男が振り上げる鞭もよく見えました。
よく見えますが、あそこまでどうやって降りるのでしょう。
橋を渡りきった先には下の道へ続く坂が見えます。
ただそこまで回る間にも馬車は橋の下を抜けてしまいそうでした。
「向こう岸の手前で止まってください。右の欄干へ」
言われたところまで進んで足を緩めました。
私のすぐ前で石の欄干が道と川辺を隔てています。
そちらへ近づくと、真下に見えたのは水ではなく馬車の走る道でした。
橋は川だけでなく岸沿いの道にも跨っていて、反対側から近づく車輪の音が足元へ響いてまいります。
「ここから降ります」
「……ここからですか!?」
「はい」
私は欄干の先を見下ろし、それから橋の出口へ目を向けました。
階段を見落としているわけではなさそうです。
この高さを降りるのでしたら足元へ道を持ち上げていただくか、私たちをゆっくり下ろしていただかなくては困ります。
エンヴィアさんも同じようにお考えになったのでしょうか。
「風で支えます。着地はお任せください」
先ほど麻袋を跳ね上げた風を思い出しました。
袋でしたら軽そうですが、今度は足が四つもある私にエンヴィアさんまで乗っていらっしゃいます。
「あの、私ごとでしょうか」
「もちろんです」
私が抜けてはエンヴィアさんだけ降りることになってしまいますので、今のはあまり役に立たない質問でした。
けれどお声に迷いがないことだけは分かりました。
私は欄干の手前で足を踏み直しました。
跳び越えるだけなら難しい高さではありません。
その先へ足を置くところが遠すぎるだけです。
「着いたらすぐに走れますか」
「……はい、足が着けば」
「では、その先はお願いします」
私はもう一度下の道へ目を落としました。
馬車の音が橋の下へ潜り、石の奥で何重にも重なって響いています。
抜けた先には人の姿がありませんでした。
エンヴィアさんはそこを見ていらっしゃったのでしょう。
私からは見えない背中もまだ届かない足元も気にし始めるときりがないので、ひとまず欄干を越えるところまで考えることにいたしました。
「少し下がります。跳ぶ時に身体を低くしてください」
「分かりました」
後ろの足から半歩ずつ下がりました。
エンヴィアさんも上体を伏せられ、肩のすぐ後ろへ気配が近づきます。
花の包み紙が小さく鳴りました。
その音へ耳を向けたところで馬車が橋の陰から現れます。
御者台の男は前方へ顔を向けたままでした。
「今です!」
私は前の足を踏み出しました。
欄干へ向かう身体に背の重みがぴたりとついてきます。
後ろの足を畳むように沈め、石を蹴りました。
白い欄干が腹の下を通り過ぎます。
私はエンヴィアさんを乗せたまま、荷馬車の走る道へ向かって宙に跳び出しました。




