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第5部 騎乗の共闘①

 倒れた男の方が立ち上がろうとして、もう一度石畳へ膝をつきました。


「うちのアラガネだ! 御者を殴って馬車ごと持っていきやがった!」


 差し伸べられた手の向こうで荷馬車が角を曲がりました。


 荷台から張り出した木箱が店先の天幕を擦り、慌てて身を引いた女の方の足元へ支えの棒が倒れます。


 倒れた棒を後ろの車輪が踏み砕きました。


 私は炬(カガリビ)の柄から手を離して走り出しました。


「衛士を呼んでください。怪我をされた方をお願いします」


 エンヴィアさんが後ろへ声を掛けていらっしゃいます。


 花屋の店主が戸口から出てくるのが見えましたが私はもうそちらへ顔を向けている余裕がありませんでした。


「失礼します。道を空けてください!」


 振り向いた方々が両脇へ寄ってくださったので、その間へ身体を滑り込ませます。


 馬車は曲がり角を過ぎるとまた速度を上げました。


 木箱の中で石同士がぶつかる音がして、荷台の後ろに座った男がこちらを見ます。


 目が合いました。


 男はすぐに御者台へ何かを怒鳴り、馬の頭が大きく振れました。


 逃げ足を速めていただきたいわけではなかったのですが。


 けれど止まってくださいとお願いするには、もう少し近くまで行かなくては声が届きそうにありません。


 前の足で石を捉え、後ろの足で身体を送り出しました。


 少し前までゆっくり眺めていた店先が次々と横を流れていきます。


 馬車の姿が建物の陰へ隠れたので追って角を曲がると、行く手には水路と小さな橋が見えました。


 あちらでしょうか。


「トコヨさん、右です!」


 エンヴィアさんのお声に足を緩めました。


 橋の向こうを見ていた目を右へ向けると、川沿いの道の先で木箱の角が壁際を掠めていきます。


 危ないところでした。


 逃げる方にも橋を渡っていただけると分かりやすいのですが、こちらの都合に合わせてはくださらないようです。


 向きを変えようとしたところで背後からエンヴィアさんが追いついてこられました。


 花束と書類入れを片腕へ抱え、私の肩越しに通りの先をご覧になります。


「この道は先で二つに分かれます。川沿いを行かれると、市へ戻る道からは追えません」


 私はその先に見える家々の屋根へ目をやりました。


 道はまるで見えません。


 この辺りを走るのは初めてで、行き止まりにぶつかってから困っていては間に合わないでしょう。


「エンヴィアさん、乗ってください!」


 言いながら身体を低くしました。


 エンヴィアさんの足が一瞬止まります。


「……よろしいのですか?」


 そう尋ねられてから、ようやく自分が咄嗟に何を申し出たのか気付きました。


 私たち四ツ足(よつあし)は、誰にでも気軽に背へ乗っていただくわけではありません。


 まして先ほどまで顔色を窺っていた方を、こちらから見えないところへお招きするのです。


 ですが今は馬車の車輪が遠ざかっております。


「道を教えてください。私が走ります!」


 エンヴィアさんは私の目を見てから花束を抱え直されました。


「……っ失礼します!」


 肩に掛かった手の重みが背へ移りました。


 思っていたよりも動きが滑らかで、私は片足を引いて重さを受け止めます。


「腰の帯を掴んでいてください。揺れますので!」


「分かりました」


 エンヴィアさんが座る位置を僅かに直され、背の上の揺れが収まっていきました。


 私は足を伸ばして立ち上がり、背後へ顔を向けかけます。


「前を見ていてください。私は大丈夫です!」


 あ(・)の(・)言(・)葉(・)を口にした方がすぐ後ろにいらっしゃる。


 そう思った途端に背筋が固くなりましたが腰の布を掴む手は私が動き出すのを待っておりました。


「……では、まいります!」


 石畳を蹴ると背の重みが少し後ろへ流れました。


 続く一歩でエンヴィアさんの身体が動き、今度は私の足に合わせて戻ってきます。


 もう一歩踏み込んでも置いていくような揺れはありませんでした。


 それならばもう少し速く。


 後ろの足へ力を込めると、頬に当たる風が冷たくなりました。




◆ ◆ ◆


 建物の間を抜けた途端に視界が開けました。


 水路へ張り出した荷揚げ場には木箱や樽が並び、縄を肩へ掛けた方が私たちを見て立ち止まります。


 荷馬車はその向こうを走っておりました。


 ここからなら姿を見失わずに済みそうです。


「そのまま進んでください。次を左です」


「はい!」


 返事をしてから左を見ましたが細い路地が二つ並んで口を開けておりました。


「どちらの左でしょう!?」


「青い扉の先です!」


 言われてみれば二つ目の路地の脇に青い扉がありました。


 私がそちらへ目を向けた頃にはエンヴィアさんが腰の帯を掴み直していらっしゃいます。


「曲がります!」


 少し速度を落として内側の足で踏ん張りました。


 背の重みも同じ方へ傾き、私は外側へ膨らまずに角を回ります。


 ところが路地へ入った途端に馬車の姿が見えなくなってしまいました。


 正面には煉瓦の壁が迫っております。


「あのっ、こちらで、」


「突き当たりを右です! 向こうへ抜けられます」


 右手には確かに隙間がありました。


 近づくにつれてその向こうから光が射し、低い石橋の欄干が見えてきます。


 私は壁へ角をぶつけないよう頭を傾けて曲がりました。


 馬車では通れそうにない道でも私たちなら抜けられます。


 橋を渡り始めると真下を小さな荷舟が通っていて、積まれた布の上から男の方が顔を上げました。


 目が合ったので会釈をしかけましたが足はもう橋の向こうへ出ておりました。


 申し訳ありません。


 どうか今のは頭を下げたことにしておいてくださいませ。


「正面です!」


 屋根の間から木箱の山が現れました。


 荷馬車がこちらの道へ合流してきたのです。


 先ほどより随分と近くなっておりました。


「あちらに!」


「ええ。見えています」


 背後のお声は落ち着いていて、私は次の曲がり角より先にある物へ目を向けられました。


 荷馬車の前方で手押し車の方が道端へ逃げています。


 その車輪が溝へ落ちて、荷台に積まれていた籠が二つ転がりました。


 御者台の男は止まらずに手綱を引きます。


「お待ちなさいませ!」


 ようやく声の届きそうなところまで近づきましたが返事の代わりに荷台の男が立ち上がりました。


 片手に持っているのは空の麻袋です。


 嫌な予感がして足元を確かめたところへ、口を広げた袋が飛んできました。


 これを被って止まるようお願いされても困ります。


 私が身を低くするより先に右の耳元で風が鳴りました。


 顔へ広がりかけた袋が斜め上へ巻き上げられ、道の外に積まれた空箱へ落ちます。


 背後でエンヴィアさんの腕が戻る気配がしました。


「前へ!」


「はい!」


 袋の下を抜けると馬車の車輪がすぐそこに見えました。


 私はあと数歩を詰めようとして、御者台の脇にいる男がこちらへ刃物を向けていることに気付きます。


 馬へ振り下ろされた鞭の音がしました。


 馬車ががくりと揺れ、外側の車輪が私の進もうとしていた方へ寄ってきます。


「並ばないでください! 人がいます!」


 エンヴィアさんのお声と同時に私は足を引きました。


 追い越すために避けた先には、壁際へ寄りきれていない方がいらっしゃいました。


 ここで横へ飛び出しては私まで人を踏んでしまいます!


 私は馬車の後ろへ戻って速度を落としました。


 御者台の男が振り向いて何か笑っております。


 ……後でちゃんと止まっていただきますからね。


 ひとまずその笑い声は預かっておきましょう。


 荷台から垂れた縄の端が跳ねるたびに、括られた木箱も嫌な音を立てて揺れていました。


 角が割れた箱の隙間から淡い光を返す粗石が覗きます。


 荷ごと奪われたというアラガネでしょう。


 昨日はお鍋の下で静かに光っていたものが、今日はあんなところで跳ねております。


 お料理をするにもお風呂を沸かすにも困るでしょうに、盗んだ上にあれほど乱暴に扱わなくても良いではありませんか!


 馬車がまた角を曲がりました。


 後ろの車輪が石の縁を踏み、木箱の一つが荷台の端へ滑ります。


 結び目が跳ねました。


「落ちます!」



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