第4部 コーンフラワー②
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花屋の軒先には色の違う花がいくつもの桶へ分けて挿されておりました。
赤い花の隣には白い花、その向こうには花の咲いていない枝まで並んでいます。
葉を落とした細い枝に小さな芽が膨らんでいて、飾る物はお花ばかりではないのだと覗き込んでいるうちに戸口の鈴が鳴りました。
「いらっしゃいませ」
店の中は外より少しひんやりしていました。
水を含んだ茎の匂いが足元の桶から立ち上り、天井近くには乾かした花の束が逆さに吊られております。
上にも下にもお花があるのですね。
気をつけて入らないと私の角まで何かの枝として飾られてしまいそうです。
戸口に近い束を避けて少し頭を下げると、奥で腕まくりをした店主の方がこちらへ会釈をしてくださいました。
「今日はどのようなお花を?」
「青いコーンフラワーを少し。お嬢様のお部屋へ飾るものです」
「でしたら今朝届いたものがございますよ」
案内されたのは窓の下でした。
黒い器の縁から細い緑の茎が伸び、その先へ青が幾つも灯っております。
近くで拝見すると一つひとつの花は思っていたよりも繊細で、細く裂けた花弁が重なる奥にほんの少し紫を含んだ影がありました。
風が入るたびに花の輪郭がほどけるように揺れます。
手を添えてみたくなりましたが、触る前に私の息だけでも揺れてしまいました。
「あら」
「お気に召しましたか」
「はい。こんなに細かいお花なのですね」
私が顔を寄せている隣でエンヴィアさんは店主から数本の茎を受け取っていらっしゃいました。
開ききった花ばかりを選ばれるのかと思いましたが、まだ青い先が少し覗いているだけの蕾も混じっています。
「こちらはどのくらいで開きますか?」
「暖かい窓辺でしたら明日か明後日には。こちらの小さい方はもう少し先でしょうね」
店主の指が二つの蕾を順に示しました。
同じ束にしてしまっても咲く日は揃わないのですね。
明日のお勤めでお部屋を通る時には忘れずに見てみましょう。
うっかりしている間に皆さん咲き終えてしまっていたら寂しいです。
「これだけお願いできますか」
「かしこまりました」
選ばれた花が台へ置かれました。
店主が包み紙を取りに奥へ下がられたので、私は残ったお花の方へもう一度目を向けます。
器の端に一本だけ横を向いているものがありました。
他の花が窓へ顔を寄せている中で、その一本だけはこちらを覗いております。
少し茎が曲がっているのでしょうか。
脇からそっと指を添えると青い花が起き上がりました。
手を離すとまたこちらへ傾きます。
もう一度添えてみても同じでした。
「お花さんがしゃんしゃらしゃん……」
「何かなさいましたか?」
「あっ。こちらのお花が少し下を向いていたものですから」
お答えしながら自分まで背を伸ばしてしまいました。
エンヴィアさんが私の手元をご覧になります。
私は花を潰さないように指を引きました。
「こちらですね」
長い指が茎を持ち上げます。
器から抜かれた下の方は真っ直ぐでしたが、花に近いところでゆるく弧を描いておりました。
エンヴィアさんはそれを一度確かめ、台の上のお花へ添えて向きを変えられます。
曲がった茎が束の外側へ回ると青い顔がすっとこちらを向きました。
「あら」
先ほどまでのお辞儀はどこへ行ったのでしょう。
ほかのお花より少し横へ張り出して、今はこちらがいちばんよく見えます。
「この向きでしたら」
「……なるほど」
私は真っ直ぐにすることばかり考えておりました。
お花にしてみれば、ようやく居心地の良い向きに置いてもらえたのかもしれません。
先ほどは申し訳ございませんでしたね。
何度も頭を起こされては落ち着かなかったでしょう。
店主が戻ってこられるまで、エンヴィアさんはその位置に花を添えていらっしゃいました。
「こちらもお包みしてよろしいですか?」
「ええ。このまま外側へ」
私は少しだけ嬉しくなって花束を覗き込みました。
曲がったお花もセラフィタ様のお部屋へまいります。
窓辺へ飾られたらどちらを向くのでしょう。
できればお部屋の方へ向いていただけると、お勤めの合間にもご挨拶ができます。
店主が濡らした布を茎の切り口へ巻き、淡い色の紙で包み始めました。
広げられた紙の上では幾分寂しく見えた花が、裾を絞られるにつれてひとまとまりの青になります。
私はその様子を眺めながらセラフィタ様の窓辺を思い浮かべました。
淡紅の髪のそばへ置かれたら、きっと今とはまた違う色に見えるのでしょう。
「セラフィタ様はこのお花がお好きなのですね」
「ええ」
「いつもこちらでお求めになるのですか?」
「入っていれば。時季や届くものにもよりますので」
エンヴィアさんはお代を用意しながら答えてくださいました。
店主が紐を結ぶ手を止めずに言葉を添えます。
「花の様子をご覧になって選んでくださるので、こちらも包みがいがございますよ」
「長く飾れるものをと思っているだけです」
「ええ。それがいちばんですとも」
手早く蝶の形に結ばれた紐が紙の上へ収まりました。
エンヴィアさんが受け取ると花束は黒い翼のそばへ移り、青い花弁の端がひときわ明るく浮かびます。
私はつい反対側へ顔を回しました。
さっきのお花が向こうを向いてしまったのです。
包まれてもちゃんと外側にいるのを確かめて顔を戻すと、店主と目が合いました。
「そちらのお花がお気に入りですか?」
「はい。あの、皆さん素敵なのですけれど」
慌ててつけ足しました。
店主は可笑しそうに口元をほころばせました。
「お部屋でゆっくりご覧になってくださいね」
「ありがとうございます」
私の部屋へ飾るお花ではないのですが、窓辺を通るたびに少し長く立ち止まることになりそうです。
帰ったら花器にお水を用意するお手伝いくらいはできるでしょうか。
そう考えながらエンヴィアさんに続いて店先へ出ました。
外の光を浴びると青い花はまた少し淡く見えました。
通りを抜ける風に包み紙の端がはためき、エンヴィアさんの指が花に触れないところを押さえます。
「お持ちしましょうか」
「ありがとうございます。さほど重くありませんので」
たしかに重さはあまりなさそうです。
私は花束へ袖が触れないように半歩だけ離れました。
店の鈴がもう一度鳴りました。
その澄んだ余韻へ硬い物の割れる音が重なります。
私は耳をそちらへ向けました。
続いて聞こえたのは車輪が石を叩く音と、道を空けろという怒鳴り声でした。
通りの先で人の列が崩れました。
大きな木箱を積んだ荷馬車が店の軒すれすれを走り抜け、追いかけようとした男の方が石畳へ手をつきます。
「泥棒だ! 誰かその馬車を止めてくれ!」
荷台の後ろで一人の男が振り返りました。
御者台には手綱を握る男がいて、その脇でもう一人が何かを怒鳴っております。
馬車は橋へ続く通りへ向かっていました。
道を避けた人々がぶつかり合い、先ほど倒れた男の方を助け起こす声が聞こえます。
荷馬車はそれにも構わず、ますます速度を上げておりました。
胸の内では何かが騒いでおります。
けれど、四本の脚を踏み直すと、不思議と身体は落ち着きました。
モチヅキの家で叩き込まれたのは、刀を振るうことばかりではありません。
危険を前にして立ち竦まないことも、その一つです。
私は腰の炬へ手を掛けました。




