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第1部 赤いスイートピー 〜モールデン・ブレイクムーアの花伺い〜②

「アルバも俺を愛してくれている。俺は、真実の愛を貫きたいんです」


 真実の愛。


 ――この方、少々酔っておられるのでは?


 もちろん、お酒にではありません。


 この恋に。いえ、ご本人のお言葉を借りるなら――真実の愛とやらに、です。


 主人は、続きを促すようににこやかな笑みを浮かべていらっしゃいます。


 その傍らでは、エンヴィアさんも、褐色の肌を持つ美しいお顔の表情筋ひとつ動かす様子がありません。


 どうやら、モールデン様を少々生暖かい目で見ているのは、この場では私だけのようです。


 ……私がおかしいのでしょうか。


「父は、俺の意志などお構いなしにグッドファロウ家との縁談を取り決めて、家の発展のために俺とウィニフレッドを結婚させようとしている……。うんざりなんです、こんなことは」


 モールデン様は、苦しげに頭を振りました。


 どこか芝居がかったようにも見える、その大仰な仕草。


 真実の愛とは、それほどまでに人を狂わせるものなのでしょうか。


「俺は、父のように、どんな悪辣な手を使ってでも家を繁栄させようなんて気概はない。もとより、貴族なんて俺には向いていないんです」


 それは、そうでしょうね。


 ――と、私は思いました。


 ブレイクムーア家の現当主様が、実際にどのような悪辣な手腕を振るっていらっしゃるのかは、私には見当もつきません。


 ですが、モールデン様が貴族というものにあまり向いていらっしゃらないらしい、ということくらいなら、門外漢の私にもなんとなく分かります。


 お顔を拝見するのは今日が初めてですが、どこか頼りなげで、気の弱そうな方だなというのが、私の彼への第一印象でした。


「それでは、貴方はウィニフレッド様と婚約を破棄されたあと、どうなさるおつもりなのです?」


 もっともな問いです。


「それは……」


 モールデン様は、すぐには答えませんでした。


 しばし言い淀んだあと、ようやく口を開きます。


「……家から、出奔することを考えています」


 出奔!? 本気で!?


 素っ頓狂な声を上げそうになりましたが――これで何度目でしょう。


 今回もどうにか、喉の奥へ押し戻しました。


 飲み込む言葉の多いこのお茶会の洗礼を浴びている最中ですが、まだまだお話は続きます。


「家からどうにか逃げて、アルバと二人で仲睦まじく過ごすんです。父や家とは何の関係もないところで、静かに、穏やかに」


 ……果たして、それは実現可能なお話なのでしょうか。


 モールデン様の語りようだけを聞いていると、その未来にはずいぶん夢が詰まっているようです。


 けれど、その夢へ辿り着くための具体的な道筋となると、どうにも見えてきません。


 私は内心、少しばかり肩を落としました。


「具体的には、どうなさるおつもりで?」


 主人は薄紅色の長い髪を片手で払い、さらりと背へ流しながら尋ねました。


 対するモールデン様はといえば、


「それは……その……」


 と、もごもごと言い淀むばかりです。


 お客人に対して失礼なことを考えてはいけません。


 もちろん、分かっています。


 分かってはいるのですが。


 ――これは、少々駄目な感じの方なのではないでしょうか。


「ふむ……それは大変なことですね。グッドファロウ家もブレイクムーア家も、ひいては社交界までも大騒ぎになることでしょう。……そのご覚悟は、おありで?」


「……俺は、アルバを真に愛している! それだけは違わない! 俺はアルバに、この身を捧げるつもりでいるんです!」


 意気込みだけは、大変ご立派です。


 ただ、なかなか信用するのは難しそうな方だなあ、というのが、今のところの私のモールデン様評でした。


「ウィニフレッド様の方は、なんと?」


「まだウィニフレッドには告げていないんだ。どのような手順を踏んで話すべきか……それが、悩ましくて」


 それはまあ、悩ましいでしょうとも。


 ウィニフレッド様ご本人の知らないところで婚約破棄を勝手に考えられ、そのうえ婚約者モールデン様はウィニフレッド様の家のメイドと真実の愛を貫こうとしているのです。


 ウィニフレッド様、真実の愛の出汁とかフォンドボーとか、何やらそういうものにされようとしているような気がしてなりません。


 だいぶヘビーなことになっていらっしゃる……!


 まだお顔も存じ上げない方ですが、同情を禁じ得ませんでした。


「ウィニフレッド様とご結婚なさって、アルバさんをお妾になさる、という案はお考えになりましたか?」


「そんなことはできない。二人に不誠実だ」


 今の状況も、そこそこに不誠実であるように見えるのですが。


 とはいえ確かに、モールデン様のこのご気性では、お二人の女性とそれぞれ関係を築いていくというのも、なかなか難しそうではあります。


「モールデン様は、ただお一人の女性を一途に愛することこそが誠実であると、そうお考えなのですね」


「……そう、考えます」


 婚約者に隠れて、そのお家のメイドとこっそり恋仲になること。


 婚約者の了承を得たうえで、そのメイドを妾として迎えること。


 さて、どちらがより誠実なのか。


 貴族のお家についてまだまだ勉強不足の私には、なんとも判断のつきかねる問題でした。


 ただ、たいへん率直な感想を申し上げるならば。


 ――どちらも嫌だなあ。


「俺は、ウィニフレッドの計算高くて、頭の回転が速くて、聡明で、凛としたところが好きです。でも、それはあくまで友人としてで、彼女のことを恋愛的な意味で好ましいと思っているわけではないんです。彼女には、俺よりも相応しい――彼女が手にするに相応しい何かがあると思っています」


「ご親友なのですね」


「……はい。打ち明けられない気持ちをアルバに抱えていることは、申し訳なく思っています。それでも俺は……アルバが、アルバが好きなんです」


 アルバさんを大切に想う気持ちと、ウィニフレッド様を大切に想う気持ち。


 どうやら、モールデン様はその両方をきちんと持っていらっしゃるようでした。


 それは少し意外です。


 私はてっきり、アルバさんへの恋にすっかり目を奪われて、ウィニフレッド様のことなど蔑ろになさっているものとばかり思っていました。


 世の恋物語には、そういうろくでもない男性のお話も少なくないと聞きますから。


 ……少し、穿った目で見すぎていたのかもしれません。


 もっとも。


 アルバさんがお好きだ、というところで思考がぴたりと止まってしまっているような、かなり不器用な方だという印象までは、まだ変わりませんでした。


「アルバは、優しい女性です。父の望むような理想の嫡男でなくてもいい、そのままの俺が好きだと言ってくれます。そのままの俺を受け入れて、支えてくれるんです」


「そんな方だからこそ、貴方は愛してしまったのですね」


「そうです。俺も、彼女が貴族の女性でなくてもいい。アルバだからこそ、愛しているんです」


 モールデン様は、ご自分の固く握った拳へ視線を落としました。


 その瞳は、真剣そのものです。


 さまざまな問題はいったんさておくとして。


 たとえ真実の愛とやらに酔っていらっしゃるのだとしても、モールデン様がアルバさんを想うお気持ちそのものは、本物なのだろうなあと思えました。


 ……実際には、さておいてはいけないことばかりなのでしょうけれど。


 お気持ちが本物であることと、それをどう実現なさるかは、まったく別のお話です。


 さておけないから『問題』なのでしょうとも。いったいどう駆け落ちなさるおつもりなのでしょうか。


「父は、このところ体調を崩していて……。俺とウィニフレッドの結婚を早く実現させようと、ますます苛烈になっています。最初から、あの人にとって俺は家のための駒でしかない。けれど、俺は一人の人間なのに」


 モールデン様は、言葉を噛みしめるように続けました。


「貴族家の駒じゃなくていい。俺はアルバと……ただの人間になりたいんです」


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