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第7部 赤いチューリップ 〜ウィニフレッド・ブレイクムーアの花伺い〜②

◆ ◆ ◆


「まず、私が今日ここへこの赤いチューリップを持参したことで、セラフィタ様に計画の成功をお知らせしたかったのです」


「ええ。この真っ赤な花束を拝見した時、すぐに確信いたしました」


 セラフィタ様は、嬉しそうに口元を綻ばせました。


「おめでとうございます、ウィニフレッド様。――ゆくゆくは、ウィニフレッド・ブレイクムーア女四爵、でしょうか」


 女四爵?


 私はひたすらに首を右へ左へ傾げたい心境となっておりました。


「まあ、セラフィタ様。お気が早いですわ。誰かに聞かれましたらば、コト、ですわよ」


「ふふ。前回にも申し上げましたが、このガゼボ一帯にはヴェルディエの魔道具の効果がかかっておりますの。ここで交わされたお声は、外へは届きませんわ」


「…………」


 そんなお話、初めて知りました。


 そういえば。


 中庭のずいぶん奥にあるとはいえ、このガゼボは決して誰も立ち入れない場所ではありません。


 生垣をいくつも通り過ぎて、ずんずん奥へ入りさえすれば、誰にでもひょいっと覗くことは可能なのです。


 そんな場所で、秘密の打ち明け話である花伺いをなさっているのですから、当然、きちんと対策がされていたのですね。


 今日の今日までまったく思い至らなかった私に、少々しょんぼりです。


 ですが、落ち込んでばかりもいられません。


「もっとも、音が聞こえなくとも、口元を見られて読唇術で読み取られる可能性までは消せませんけれど」


 ウィニフレッド様がご自身の口元へ指先を添えました。


「まあ、もうその心配もないでしょう。ようやく、ゆっくり耳を伸ばせますわ」


 そのお言葉通り。


 ウィニフレッド様の長い黒耳が、ぴくぴく、と動きました。


 ……今まで縮めていらしたのでしょうか。


「そういえば」


 ウィニフレッド様が、ふと私の方をご覧になります。


「セラフィタ様の従者の方……エンヴィアさんは、最初からずっといらっしゃいましたからご存じでしょうけれど。トコヨ五爵令嬢は、出来事の順序をご存じありませんのね」


「そうですね」


 セラフィタ様も私へ目を向けました。


「トコヨさんにとっては、モールデン様の花伺いが初めてのお給仕でしたもの」


「…………」


 どうやら私は、頭の上に疑問符達を浮かべている顔つきをしていたようです。


 それも、一つや二つではありません。たくさんです。たぶん、顔面いっぱいです。


 そんな私を見て、ウィニフレッド様が少しだけ面白そうに笑いました。


 どこか、揶揄うような色も混じっています。


「では――」


 テーブルの上で、ウィニフレッド様が両手をそっと合わせました。


「すべての始まりから、お話しいたしますわね」


「始まり……ですか?」


「ええ」


 黒い宝玉のような瞳が、まっすぐ私を見つめます。


「モールデンをここへ花伺いに向かわせたのも」


 一つ。ウィニフレッド様が指を立てられました。


「アルバを花伺いに向かわせたのも」


 二つ。更に二本目の指が立てられました。


「すべて、私の計画の内ですわ」


「…………」


 はい?


 ウィニフレッド様は、そんな私の反応などお構いなしに、にこりと笑みを溢しました。


「そして、それよりも以前に」


 赤いチューリップが、卓上で鮮やかに咲いています。


「一番初めにセラフィタ様の元を訪れた、一番手の花伺い人」


 細い指先が、ご自身の胸元へ添えられました。


「それが、私です」


「…………」


「つまり」


 ウィニフレッド様は、少しばかり誇らしげに顎を上げました。


「この一連の出来事の発起人は、私でしてよ」


「…………」


 …………。


 あら。


 あらあら。


 あらあらあらあら。


 私は今、人生で一等混乱した顔になっていたに違いありません。


 モールデン様と、アルバさんの花伺いが。


 ウィニフレッド様の計画通り?


「…………」


 そろり。


 私はエンヴィアさんの方を窺いました。


 最初から事情をご存じだったという歴戦の従者は、いつもと変わらぬ涼しげなお顔で目を伏せています。


 何ひとつ驚いていらっしゃいません。


 知らぬは私ばかり!


 私の顔面をブンブンと蜜蜂のように飛び交っているであろう大量の疑問符を、セラフィタ様はきちんと読み取ってくださったようです。


「では、事情を交えて最初からお話しいたしましょうか」


 いつものようにセラフィタ様は優しくそう仰ってくださいました。


「お、お願いします……」


「ふふ。まず――」


 セラフィタ様は膝の上のネイコさんをゆっくりと撫でながら、ウィニフレッド様へ視線を向けました。


「一番はじめにこの場所へいらしたのは、ウィニフレッド様でした」


「ええ」


 ウィニフレッド様が頷きます。


「まだモールデンもアルバも、こちらへ参る前のことですわ」


「その時、ウィニフレッド様は私に、あるご相談をなさいましたの」


 セラフィタ様は、赤いチューリップへ目を向けました。


「幼い頃から大切にしているお二人のお友人について」


「……モールデン様と、アルバさん」


「ええ」


 ウィニフレッド様の黒い耳が、わずかに私の方へ傾きました。


「モールデンとアルバは、ずっと昔からお互いを想い合っていました」


「やはり……」


 それは、これまでのお話を聞いていれば、さすがの私にも分かります。


 二人は真実の愛を育んで、そしてその愛に包まれて、雁字搦めになっておられたのですから。


「ですが」


 人差し指を立てて、セラフィタ様が続けます。


「モールデン様はブレイクムーア家の御嫡男。そしてアルバ様は、かつては貴族の御令嬢であっても、今は平民としてウィニフレッド様のお家にお仕えする身です」


 二人の身分は貴族と平民に分かたれてしまった、それが悲劇だったはずでした。


「ブレイクムーア家ご当主――ブロデリック様は、お二人の仲を認めてはいらっしゃらなかったのですよね」


「その通りですわ」


 ウィニフレッド様の笑みが、ほんの少し薄くなりました。


「父君はモールデンを、嫡男として御自分の望む通りに扱いたがっていらっしゃいました。交友も、行動も、婚姻も」


 眉根を寄せながら、ウィニフレッド様が吐き出すように呟きました。


「平民に落ちたような女を愛するなど家の恥、そう、モールデンに怒鳴りつけたそうよ」


 セラフィタ様も、まあ……と穏やかではない発言に眉を下げました。


「そして、平民ではない女性、貴族女性――モールデン様のその正式な婚姻のお相手が……」


「私ですわね」


 ウィニフレッド様は、あっさりと仰いました。


「ブロデリック様にとって、私の家との縁組は都合がよかったのでしょう。御自身のお身体が以前ほど思わしくないこともあり、モールデンの婚姻を急いでいらっしゃいました」


 私は以前聞いたお話を思い出します。


 モールデン様のお父様。ブロデリック・ブレイクムーア四爵。


 息子であるモールデン様のお気持ちなど、あまり考えてはいらっしゃらないようだった方。


「ですが」


 ウィニフレッド様が紅茶のカップをそっと持ち上げました。


「私、モールデンと結婚して幸せな家庭を築きたいなどとは、一度も、一切、思ったことがありませんの」


「…………はい?」


 思わず珍妙な発音のお返事が口から出ました。


 ウィニフレッド様はさらりと紅茶を一口含みました。チューリップフレーバーのアップルティーの香りを楽しむように、わずかに息をつきました。


「モールデンは大切な友人です。アルバも同じく」


「は、はい」


「ですが、私はモールデンに恋をしておりません」


「…………」


「勿論、アルバにも、恋をしておりませんわ」


「…………」


 あら?


 では。


 あの。


 真実の愛は?


 私の頭の上へ、新しい疑問符が更に追加されました。


 セラフィタ様が楽しそうに告げます。


「ウィニフレッド様は、お二人のご友人が互いを愛し合っていることを、よくご存じだったのです」


「それどころか」


 ウィニフレッド様がカップを置きました。


「私はどうしてさっさと二人でどこかへ行ってしまわないのかと、昔から思っておりましたわ」


「そんなに」


「そんなに、ですわ」


 きっぱり。


「けれどモールデンは、あれで責任感がありますの。家を捨てることへの罪悪感もありましたし、アルバを連れて行った先で本当に暮らしていけるのかという不安もありました」


「……確かに」


 モールデン様は、駆け落ちしたいと仰りながら、どうしたらよいか分からない、とも仰っていました。


「一方のアルバ様は」


 セラフィタ様が口を挟みます。


「ずいぶん現実的な方でしたね」


「そうなのです!」


 私は思わず力強く頷いてしまいました。


「お掃除も、お洗濯も、お料理も! 帳簿も読めて、簡単な商いの計算もできて!」


「っふふ」


 ウィニフレッド様が吹き出しました。


「あの子は強かで賢い子ですもの」


 随分と信頼のおける評価です。


「アルバは、モールデンと違って、平民として生きていくということがどういうものかを多少は知っています。あの子がいれば、まあ、モールデンも餓死はしないでしょう」


「餓死」


「最初のうちは役立たずでしょうけれど」


「役立たず」


「生き方など覚えれば良いのですわ」


 容赦がありません。


 けれど、ウィニフレッド様のその表情は、なんだか、優しさ……いえ、慈しみで満ちているように私には映りました。


「ですから私は考えましたの」


 ウィニフレッド様は、卓上で軽く手を広げました。


「二人が一緒になれて」


 一つ。彼女は指を立てられました。


「ブレイクムーア家からモールデンを切り離せて」


 二つ。もう一つ指を立てます。


「私も望むものを得られる方法を」


 三つ。更に追加で立てられたその指を私は見つめました。


「……ウィニフレッド様の、望むもの?」


「ええ」


 夜の水晶色の瞳に、鋭い光が瞬きました。


「私は、家を治める立場が欲しいのです」


 赤いチューリップの向こうで、美しい黒の双眸がまっすぐにこちらを見ていました。


 鮮烈な赤と、喪の黒。


 その対照によって引き立てられたウィニフレッド様は、不思議なほど生き生きとして見えました。


「領地を持ち、人を使い、決定を下す立場。できることなら、爵位も」


 あらあらあらあら。


 なんだか急にお話の規模が大きくなってきました。


「グッドファロウ家に生まれた娘として、与えられた役目――嫁ぐ事を果たすだけではなく、自分自身の名で立ちたかったのですわ」


 静かな声でした。


 けれど。


 ネイコさんを前にして「まああああ!」と奇声を上げていた時とはまるで違う、強い芯の通った響きがその声にはありました。


「そこで」


 セラフィタ様が、愉快そうに続きを引き取ります。


「ウィニフレッド様は、ブレイクムーア家へ嫁ぐことそのものを、計画に組み込まれたのです」


「…………嫁ぐことを?」


「ええ」


「モールデン様と結婚なさりたくないのに?」


「結婚したくないとは申しておりませんわ」


「えっ」


「恋愛結婚をしたいとは申していないだけです」


「…………」


 た、確かに?


 とても大切な違いのような気がします。


「私がブレイクムーア家へ嫁ぎ、モールデンの妻になる。そして――モールデンには、そのあとアルバといなくなってもらう」


「…………」


「…………」


「あら?」


 いなくなってもらう。


 随分と軽やかに仰いました。


「もちろん、二人がただ駆け落ちするだけではいけませんわ」


 ウィニフレッド様が片目をパチリと閉じました。


「ただの駆け落ちでは、ブレイクムーア家はいつまでもモールデンを追うでしょう。ブロデリック様も、嫡男を簡単には諦めません」


「だから……」


 胸の奥が、どくりとしました。


 新聞。


 崖崩れ。


 川へ流れた馬車の破片。


 見つかった所持品。


「……死んだことに?」


「ええ」


 あっさり。


「死んだことにしました」


「あらあらあらあら!?」


 出ました。


 ついに出ました。


 今日一番の「あらあらあらあら」です。


 ついに声となって表出してしまいました。不躾です! 修行が足りません!


 でも致し方ないとも私は思います!


 ご友人二人の死の偽装を行ったということですか!?


 雨の日に読んだ新聞の文字が、脳裏へ鮮明に蘇ります。


 崩れた土砂。


 濁った河。


 失われたお二人。


 あの日、枯れていませんようにと願った花。


「ま、待ってください! ではモールデン様とアルバさんは――」


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