第八章 「乙女」とは、何歳までですか
第八章 「乙女」とは、何歳までですか
ある雨の日。
一本の電話が鳴った。
「六十二歳ですが、入会できますか。」
穏やかな男性の声だった。
乙葉は少し間を置いて答えた。
「もちろんです。年齢による制限は設けておりません。」
電話を切ったあと、乙葉は窓の外を見つめた。
開業以来、「乙女婚」の会員は二十代から四十代が中心だった。
ホームページにも若い男女の写真が並び、「新しい人生を始めよう」という言葉を掲げている。
そこへ五十代、六十代、あるいは七十代の人が入会したいと言ったら、この相談所の雰囲気に合うのだろうか。
「乙女婚」という名前が、かえって入りづらくしていないだろうか。
その夜、乙葉はノートに書いた。
『乙女とは、何歳までなのだろう。』
翌週、六十二歳の男性が面談に訪れた。
穏やかな笑顔の元高校教師だった。
三年前に妻を病気で亡くし、一人暮らしを続けているという。
「もう一度、誰かと食卓を囲みたいんです。」
その言葉に、乙葉は胸を打たれた。
数日後には、五十八歳の女性も訪れた。
子育てを終え、定年後の人生を考え始めたという。
「恋愛なんて年齢じゃないと友人は言ってくれるけれど、どこへ行っても若い人ばかりで……。」
その笑顔には、どこか寂しさがあった。
面談が終わったあと、乙葉は壁に掛けた理念を見上げた。
「みんなを幸せにする結婚相談所。」
「みんな」と書いたのは、自分だった。
なのに、いつの間にか心のどこかで年齢の線引きをしていたのではないか。
そのことに気づき、少し恥ずかしくなった。
翌日、ホームページのトップページを書き換えた。
恋を始めるのに、年齢はありません。
二十代でも、七十代でも。
人生を共に歩む人を見つけたいという気持ちを、乙女婚は応援します。
さらに、会員規約の案内にも一文を加えた。
「当相談所は、成年であれば年齢を問わず入会できます。一人ひとりの人生と価値観を尊重し、ご縁をお手伝いします。」
数か月後。
六十二歳の男性は、五十九歳の女性会員と穏やかな交際を始めた。
初めてのデートは、高級レストランではなかった。
川沿いの遊歩道をゆっくり歩き、小さな喫茶店でコーヒーを飲んだ。
「若い頃の恋とは違いますね。」
男性は照れくさそうに笑った。
「急がなくていいんです。」
女性も笑顔で答えた。
その報告を受けた乙葉は、ノートに新しい一文を書き加えた。
『乙女とは年齢ではない。誰かを大切に思い、もう一度幸せになりたいと願う心のことなのだ。』
その日から、「乙女婚」は若い人だけの結婚相談所ではなくなった。
人生のどの季節にいても、新しい一歩を踏み出したい人を迎える場所へと、少しずつ成長していった。




