第九章 企業からの依頼
第九章 企業からの依頼
開業から一年。
「乙女婚」の会員は二百名を超え、成婚したカップルも十組を数えるようになっていた。
ある日の午後、一本の電話が入った。
「株式会社東都精密の人事部です。代表の神崎様はいらっしゃいますか。」
乙葉は受話器を取り、静かに応じた。
「はい、神崎です。」
電話の相手は意外な話を切り出した。
「実は、当社には仕事一筋で結婚の機会を逃している社員が少なくありません。」
「福利厚生の一環として婚活を支援できないかと考えております。」
乙葉は思わず姿勢を正した。
「具体的には、どのようなご相談でしょうか。」
「社員限定では出会いが限られます。他の企業で働く独身の方との交流の場を設けていただけないでしょうか。」
電話を切ったあとも、乙葉はしばらく考え込んでいた。
結婚相談所として個人を支援してきたが、「企業」と協力するという発想はなかった。
数日後、東都精密の会議室で打ち合わせが行われた。
人事部長は率直に話した。
「社員には真面目な人が多いのですが、仕事が忙しく、出会いがありません。社内恋愛を望まない人もいます。」
さらに続けた。
「同じような悩みを抱える他社の社員と、安心して出会える機会をつくれないでしょうか。」
乙葉は慎重に答えた。
「私は賛成です。ただし、参加はあくまで本人の自由意思であること、会社が結婚を促したり、参加を評価の対象にしたりしないことが前提です。」
人事部長は深くうなずいた。
「もちろんです。私たちも、それは最も大切なことだと考えています。」
その後、乙葉は複数の企業と話し合いを重ねた。
メーカー。
IT企業。
金融機関。
医療法人。
公務員団体。
どの組織にも共通していたのは、
「誠実に働いているのに、出会いがない。」
という社員たちの現実だった。
乙葉は新しい企画を立ち上げた。
「企業交流マッチングプログラム」
同じ会社の社員同士ではなく、異なる企業で働く独身男女が出会える場を提供する取り組みである。
参加条件は明確にした。
・本人が独身であること。
・結婚を真剣に考えていること。
・入会審査と本人確認を受けること。
・参加は完全に自由意思であること。
・勤務先や役職だけで相手を判断しないこと。
企画書の最後に、乙葉は一文を添えた。
「会社と会社を結ぶのではありません。人と人を結ぶのです。」
企業名や肩書は、その人の一部にすぎない。
大切なのは、その人がどんな人生を歩み、どんな家庭を築きたいと願っているかだった。
新しい挑戦は、「乙女婚」にとって大きな一歩となる予感がしていた。




