第三章 恋の相談室
第三章 恋の相談室
開業して一か月。
会員はまだ十二人。
経営としては決して順調とは言えなかった。
それでも、相談室には毎日のように誰かが訪れるようになった。
最初にやって来たのは、二十六歳の女性だった。
「三年間付き合った人に、結婚する気はないって言われました。」
彼女は笑おうとしていた。
けれど、その笑顔は震えていた。
「私の三年間って、何だったんでしょう。」
乙葉は答えを急がなかった。
ただ、温かい紅茶を差し出し、静かに話を聞いた。
人は答えより先に、誰かに話を聞いてほしいことがある。
彼女が帰る頃には、涙は止まっていた。
「また来てもいいですか。」
「もちろんです。」
乙葉は笑顔で送り出した。
翌日は、三十二歳の男性だった。
「彼女に振られました。」
開口一番、そう言った。
「仕事ばかりで、気づいたら彼女の気持ちが離れていました。」
机の上には、婚約指輪が入った小さな箱。
渡すこともできなかった指輪だった。
「もう恋愛は向いてないのかもしれません。」
乙葉は首を横に振る。
「恋愛に向いていない人なんて、いません。」
「でも……。」
「うまくいかなかった恋は、次の恋を大切にするための経験になります。」
男性はしばらく黙っていたが、小さく笑った。
「そんなふうに言われたのは初めてです。」
相談室には、毎日違う人生がやって来る。
婚活がうまくいかない女性。
結婚に踏み切れない男性。
親から結婚を急かされる人。
離婚を経験し、もう一度幸せになりたい人。
恋愛経験がなく、自分に自信を持てない人。
誰一人として、同じ悩みはなかった。
乙葉は、いつもノートの最後に一行だけ書き残していた。
「今日も、一人の心に寄り添えた。」
結婚相談所の仕事は、条件を比べて相手を紹介することではない。
傷ついた心が、もう一度誰かを信じられるようになるまで、その人の隣を歩くこと。
乙葉は少しずつ気づいていた。
自分がつくったのは、結婚相談所ではない。
恋に傷ついた人たちが、もう一度前を向くための、小さな相談室だった。




