14・ハーレムの女になるために
デルフィナが起こされて体裁を整え終わるのと、馬車の車体がノックされるのは、ほぼ同時だった。
エレナは長旅の疲れなど感じさせない優雅さで覆いを開き、周りを確認する。
「お疲れ様でした。姫様、お手を」
聞き慣れた声。まだいるの、お前。
なんておくびにも出さずに、余裕の顔でアルベルトに手を預けて降りる。
「やはり、暑いわね」
「日が落ちれば、それなりに涼しくなりますよ」
わけ知り顔でアルベルトが言う。デルフィナは心の中だけで返事した。
そうなの。どうして詳しいの?
目の前には頑丈な扉と石造りの壁。預けた手は離されることなく、そのまま中へ連れて行かれる。背後でエレナが降りて、着いてくるやり取りが聞こえる。
「ここが、そうなの?」
「ええ」
案内の小姓を先導に、複雑な彫刻や色合いが華やかな、迷路のように入り組んだ廊下を通り抜ける。いくつもの中庭も横目に見るが、緑豊かで涼しげだ。
アルベルトはさっきから黙っている。
もうすぐお別れだから愛想の一つくらい、振りまけば良いものを。
…この男、一体どこまで一緒なのかしら。いくらなんでも、もうハーレムの中でしょう?妙にひと気が無いけれど。
まさか…アルベルトは実は、宦官だったとか?え、いつから…!?夜明け前に叩き起こしに行ったのは、いつだったかしら…。あの時は確かに男性…。
「我が姫君、着きましたよ」
アルベルトの低い声に、デルフィナはハッと我に返る。
宦官て低い声出せるのかしら…?
それに、いつまで手を繋いでいるのかしら…??
目の前にはそびえ立つ城ではなく、庭園の一部のような二階建ての館があった。
これは確かに、長い階段は無さそうね。
浮き彫りの彫刻が刻まれた大きな両開きの扉の前に、女たちが膝を着いて並び待っていた。
その中のひとりーー恐らく侍女長みたいなーーが声を上げる。
「ようこそ我らの麗しい主、隣国より舞い降りし姫君様。本日よりお支えさせて頂く者たちでございます。エレナ様ともども、末永くご愛顧賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
デルフィナはゆるゆると息を吸い、優しく微笑んだ。
「デルフィナよ。今日から世話になります。あなたたちが私の頼り、道を彩る宝石たち。これからの日々を共に過ごせること、嬉しく思います」
「もったいないお言葉、恐悦至極にございます。長旅のところ、お疲れと存じます。まずは中で湯浴みからお受け頂きたく存じます」
堅い言葉遣いとは裏腹に侍女長の目付きは柔らかい。
まずは湯浴みからですって?
「ええ、よろしく」
侍女達は素早く立ち上がり、扉は開かれた。
ここでお別れね。
いまだに手を握ったままのアルベルトに向き直る。
「アルベルト、今までご苦労でした」
別れの言葉を口にするのが辛い。
ところがアルベルトは、ニヤッと笑うと握った手に軽く唇を寄せ、ささやいた。
「また後ほど」
なんですって!?
アルベルトの唇が触れた手が、猛烈に熱い。イケメンの一連の動作に心乱されてからの、また?後で!?
「姫様、参りましょう」
問い詰めようとした矢先に、エレナと侍女達に流されるようにして扉の中へ連れて行かれた。
邸宅は池のある中庭を取り囲む造りで、空が見え開放感があり、明るい。ハーレムというものは、もっと淫靡で憂鬱な薄暗い建物かと思っていたが…。
湯殿は地上の楽園だった。
貴重な水をふんだんに使い、ゆったりと浸かれる広さ。揺れる馬車旅で凝った体は優しく解され、合間にひと口飲む果実水の爽やかなこと。汗をかき、また流すことがこんなに心地良いことだと初めて知った。
程よい疲れと高揚感の中、汗が引くのを待ちながら軽く食事をつまむ。果実油や酢で漬けたあれこれ、祖国では高級品だった砂糖が惜し気もなく使われた菓子。何を食べても身体に染み込む美味しさ。
館群は少し高台にあるのか、窓から街がよく見える。太陽はすでに傾いて、温かい色味で家々を彩っていた。
「さぁ、お髪から整えて参ります」
濃い茶色の長くて豊かな髪は梳られ、油で艶々にされ、真珠の髪飾りが一番映えるよう、結いあげられた。
同時進行で化粧も施される。やや濃い気がするが、周りの侍女達を見るに薄めにしてくれたように思う。
今夜の婚礼のために用意した、スラリとしたチュニックドレスを着る。純白の生地に金糸と磨かれた水晶で刺繍が施されていて、動くたび煌めいて、まるで光を纏っているように見える。
たっぷりと長さがある袖のおかげて、さらに華やかさが増している。
王妃手ずから刺繍した特別な帯紐を締めると、デルフィナの美しい曲線がことさら際立つ仕上がりになった。
侍女達が感嘆するのも当然ね。
次は宝飾品。揺れる水晶の耳飾りと、大きな宝石をあしらった金の首飾りを着けられる。
この宝石…すごく見たことのある青ね。
ドレスの仮縫いは王宮で披露したが、その時は手持ちの他の首飾りだった。こんな豪華で手の込んだもの、初めて見るわ…。
首元ばかり見ているのに気づいた侍女長がニコニコして教えてくれる。
「こちらはこの館の主からの贈り物です。婚礼の時、必ず身につけて欲しいとの仰せです」
なるほど。つまりこの青は、その主とやらに所縁のある色味なのね。まぁ、いいでしょう。
これで完成かと思いきや、頭から薄めのベールを被せられる。ドレスと同じ白地に金糸の刺繍、足元に届きそうな長さ。こちらの水晶は縁を飾る。
ベールの上から花冠が被せられる。良い香りのする白い花が繊細な金細工の冠に絡めてある。
支度をしながら侍女達が口々に説明してくれた。
「ここの男たちは皆、嫉妬深いのです。自分の妻を他の男に見せることを好みません」
「結婚式こそ開きますが、後は奥に隠し込むのです」
「ですので、姫様の美しさもベールで覆わせて頂きました」
「後は初夜の床にて、夫になる方にお披露目してくださいませ」
「主様は本当に幸せな方。こんなにも美しい花嫁をお迎えになられるとは」
あとは感嘆のため息の唱和。
入ってきた扉が開かれ、輿に乗せられる。クッションに片腕を乗せ、半分寝そべるようにして乗るとのこと。
これが本当の輿入れね…。
すでに日は落ち、夜の帳も降りた。だが明るい。周りの侍女達みなが、手に明かりを持って控えているからだ。
来た道かどうかも分からない石畳の道を通り、外に出てまた城壁の中に入る。かなりの距離を歩いている気がするが、周りの侍女達は歌いながら遅れることなく着いてきていた。もちろん、エレナも。
先ほどの館がハーレムではなかったの?
疑問を感じつつも、運ばれていく。
確かに、暑さはマシになったわね。
ふいに、手の甲に口付けた護衛の表情がよみがえる。
あんなこと、されたこと無かったわ。どういうつもり…いえ。忘れるのよ、デルフィナ。彼に心を残しては、駄目。
一行は特別美しく飾られた回廊へ入った。いくつものアーチが連なり、別世界へ入って行くような心持ちになる。
人のざわめきや、行き来する召使いの数がどんどん大きくなり、輿は大広間と見える扉の前で止まった。
いよいよね。
今からわたくしは、ハーレムの女になるのです。




