13・どこまで?
「ちょっと、どこまで着いてくるつもりなの?」
トゲトゲしいと言える口調で、デルフィナ姫は護衛騎士に問いを投げた。
もう国境を越え、大半の騎士や侍女達とも別れた。女性の同伴者は、当初の予定通りエレナだけ。後は隣国の兵士と隣国の侍女達…そして、筆頭護衛アルベルト。
「そうですね…」
しかもはっきり答えない。余計にイライラする。
この護衛ともどこかの場所で別れるのだ。三年間ずっと一緒だった、外見はイケメン、中身は飾らない毒舌男と。
アサフラン国が用意した馬車は、覆いの付いた豪華なもので、足を伸ばして横になれる長さがある。乗るのはデルフィナとエレナのみ。
エレナがおずおずと言う。最初の頃より、随分と自分を出せるようになってきた。
「向こうでもご一緒かも、しれませんね?」
「その場合は、去勢が必要になるわ」
「ヒッ」
「そうよ、このイケメンがイケ元メンになってしまうのは、ね」
「…己が命の危険を感じます」
「彼の子種が欲しい女は、星の数ほどいそうだもの」
当人は聞こえているのかいないのか、どこ吹く風の面構えだ。
いつもと変わらない護衛から目を逸らす。心が痛むなんて考えない。今から輿入れなのよ?隣国の支配者の、妻のひとりになるの。そう、愛されることも愛することも求めないわ。得られなければ、きっと虚しく感じてしまうから。
大丈夫。沢山いる妻のひとりとして、手にあるもの、与えられるもので満足してみせる。
デルフィナは馬車の覆いをそっと閉めて、護衛を視界から締め出した。
それでも思い出は追い出せない。
川遊びで流されかけた、二年前のあの日を思い出す。
川底の石がぬめり、バランスを崩した。一瞬で頭まで引きずり込まれ、水を飲んだ。もがくけれど掴むものが無い、なにも見えない…。怖くてたまらなかった。助けてくれたのはアルベルトだった。
「ジッとしろ!暴れるな!」
耳元で怒鳴られ、たくましい腕で流れから引き戻された。
アルベルトを散々振り回してきた自覚はあるが、こんなにも乱暴に怒鳴られたのは初めて…いや人生で初めてだった。びっくりして、怖くて、それ以上に引き寄せられた胸元の確かさに安堵して…。川岸に戻るアルベルトの腕の中でちょっと泣いてしまったのは、一生の秘密だ。たぶん、気づかれてない、はず。
あの時から彼は特別になったのだと思う。ただの護衛から、心が惹かれていく存在に。決して誰にも悟られてはならない、特別に。
馬車は結構な速度で道を進む。それなのに揺れが少ないのは、道がきちんと整備されているせいか。馬車に特別な工夫があるのか。国力の差を見せつけられている気がする。そういえば、国境を越えたあたりから、緑の畑が増えて、見た目の暑さが少しだけマシになった気がする。それまでは茶色一色…。
ずいぶんと急いでいるのか、昼食も早めに軽く済ませて、休息もそこそこに真夏の炎天下を一行は馬を走らせる。
馬車の外から呼びかける声がする。エレナが覆いをめくると、騎馬で並走するアルベルトだった。
「あと一時間ほどで着きます。心づもりください」
「分かったわ」
あなたはどこまでーーと聞きかけてやめる。もういっそ、知らない間に帰っていて欲しいとすら思う。
だめだ、随分と心が弱っている。姿勢を正して、前を向くのよ。隙があれば、喰われてしまう。
「姫様、まだ一時間あります。今だけ、横になって休まれますか?」
優秀なエレナ。私の緊張を感じ取ったのね。
「ありがとう。そうしようかしら。なんだか…身の置き場が無くて」
出立してからデルフィナはできるだけ、エレナには本音で話すようにしていた。さすがのデルフィナも心細かったのだ。
「到着してからお着替えします。今のお召し物にシワが寄っても大丈夫です」
「…そうなの。では遠慮なく」
エレナが馬車に備え付けてあった冷えた水をガラスコップに淹れてくれた。どちらもアサフランの豊かさを表すものだ。
ひと口含むと冷たさが喉から広がって、憂鬱を少し和らげてくれた。
馬車の中で横になり、積み上げられたクッションに身を預けると、優しいハーブの香りがした。エレナが大きな団扇で風を優しく送ってくれる。
昨日の宿屋では、あまり眠れなかったのもあり、たちまち眠気が差してくる。デルフィナは考えることを放棄して目を閉じた。
デルフィナが緩やかに寝息を立て始めたのを確認して、エレナは馬車の覆いを少しだけめくる。
「眠られましたか?」
たちまち並走する騎士から声を掛けられる。エレナは黙って頷いた。アルベルトは全体に合図を出し、足を緩めさせる。
眠る姫を乗せた隊列は打って変わって、ゆったりとした足取りで目的地を目指す。
エレナは再び覆いを閉め、自身も目を閉じた。激動の三月だった…。
エレナは侯爵の愛人である母親と、本邸とは全く違う場所で隠れて暮らしていた。侯爵は毎日ではないものの足繁く隠れ家に通い、時には食卓を囲み、時には朝を迎え…。穏やかな暮らし、何不自由なく教育を受けられた幸せな日々だった。
ところが本妻に後を尾けられ、この穏やかな生活を知られてしまう。本邸に居る時より幸せそうな夫の姿に、本妻が激怒したのは言うまでもなく。
侯爵が断固として譲らなかったおかげで、今までの暮らしは維持出来るかに見えた。が、エレナの母が倒れたのは、そのすぐ後。母は本邸の敷地内にある別邸で療養という監視下に置かれ、エレナは本邸で令嬢教育の名目で働かされるようになった。もちろん、侯爵の目を盗んで。
慣れない重労働と罵りに、エレナはたちまち疲弊した。だが反抗することなど出来ない。だって愛人の子、確かに後ろめたい存在なのだから。
そんな絶望の中、デルフィナ姫は彗星のごとく現れ、自分と母の命を救い出してくれた。
あの昼食会の後、エレナは王宮に留められ、ヘノベバ親娘から保護された。デルフィナ姫は王宮で勤務中のエクトル侯爵を捕まえ事情を説明し、希望を押し通した。
エレナの母は別邸での扱いを暴かれ本邸で丁寧な世話を受け、ヘノベバの息が掛かった召使いはヘノベバと一緒に別邸へ追いやられた。愛人の下剋上である。
ただ、何をどうしようと愛人の娘という出自は消えない。どこへ行っても肩身が狭いだろう。だからあの国から真っ当な立場で連れ出してくれたデルフィナ姫には感謝しかない。どんな困難にも耐えて、ハーレムでデルフィナ姫に仕えるつもりだ。
馬車が止まった。覆いの外で、人や馬の賑やかな物音がする。
どうやら、着いたらしい。




