第5話 10分間、生き残れ
翌朝。
いつものように大岩まで走り終えた4人を、アルドが呼び止めた。
「今日は、この後の訓練はなしだ」
「休み?」
ミナの顔が明るくなる。
「違う。試験をする」
「試験?」
ルークが食いついた。
「何の?」
「お前たちが4人だけで村を出ても大丈夫かどうか、その試験だ」
4人の表情が変わった。
冒険者になると言い出してから4年。
いつかは村を出たいと思っていた。
だが、先生たちからはまだ何も言われていなかった。
「合格したら……」
エマが聞く。
「冒険者になっていいの?」
「ああ」
「本当に!?」
「合格したらな」
ルークが拳を握った。
「やる!」
「私も!」
「もちろん!」
ノアも頷く。
アルドはそんな4人を見てから、森を指した。
「場所はいつもの森だ。時間は10分」
「何するの?」
「逃げろ」
「……え?」
ルークが聞き返す。
アルドは自分たち4人を順番に指した。
「俺、バルク、レイ、セリア」
そして告げた。
「俺たちから10分間、生き残れ」
4人が固まった。
「無理だよ!」
最初に叫んだのはミナだった。
「アルドたち4人でしょ!?」
「そうだ」
「4人全員!?」
「そう言っただろ」
「勝てないよ!」
「勝てとは言ってない」
アルドは即答した。
「10分間、生き残れ。それだけだ」
「攻撃してもいいの?」
エマが聞く。
「好きにしろ」
「隠れても?」
「ああ」
「森のどこまで使っていい?」
「いつも訓練してる範囲なら全部」
「4人が別々に逃げても?」
「それも自由だ」
ノアが手を挙げた。
「先生たちは、本気?」
「お前たちを殺す気ではやらない」
アルドが答える。
「でも、捕まえるつもりではやる」
4人の顔が引きつった。
「捕まったら?」
「その時点で、その1人は失格」
「全員捕まったら?」
「もちろん不合格だ」
「誰か1人でも残れば?」
ルークが聞く。
「合格」
「え?」
4人が顔を見合わせた。
エマが確認する。
「4人全員じゃなくていいの?」
「ああ」
「なんで?」
「冒険者になったら、全員無事では済まないこともある」
アルドの声から、少しだけ軽さが消えた。
「誰かが動けなくなることもある。魔物に囲まれることもある。依頼に失敗することだってある」
4人が黙って聞く。
「そんな時でも、全滅するな」
アルドは言った。
「1人でも生きて帰れ」
ルークが小さく息を吐いた。
「……分かった」
「作戦を考える時間をやる。開始は30分後だ」
4人はすぐに集まった。
「どうする?」
ルークが小声で聞く。
「まともに戦うのは無理」
エマが即答した。
「レイに4人で行っても勝てないもん」
「バルクも無理だよ」
「アルドも無理」
ミナが言う。
ノアが付け加えた。
「セリアも」
4人が黙る。
先生たち全員、無理だった。
「じゃあ逃げるしかない」
ルークが言う。
「でも、ただ逃げても追いつかれるよ」
「分かれる?」
ミナの提案に、ノアが首を振った。
「先生たちも4人いる」
「あ……」
「1人ずつ追われたら終わる」
「じゃあ一緒に逃げる?」
「それも捕まったら全員終わり」
再び沈黙。
4年間、何度も教えられてきた。
相手を見る。
地形を見る。
できることを考える。
勝つことだけを考えない。
エマが顔を上げた。
「最初は一緒に動こう」
「その後は?」
「先生たちを分ける」
「どうやって?」
「考える」
「そこからかよ」
「ルークも考えてよ!」
4人は森の地図を地面に描き始めた。
30分後。
森の入口に8人が立っていた。
「準備は?」
アルドが聞く。
「できた」
ルークが答える。
「じゃあ、お前たちが先に入れ。5分後に俺たちが行く」
「分かった」
4人が森へ入っていく。
姿が見えなくなった。
バルクが腕を回す。
「さて」
「楽しそうね」
レイが言う。
「そりゃ4年教えたからな」
セリアがアルドを見る。
「本当に1人残れば合格にするの?」
「ああ」
「甘くない?」
「逆だよ」
アルドは森を見る。
「4人全員を助けようとして全滅する方が怖い」
レイが頷いた。
「それはそうね」
「それに――」
アルドは少し笑った。
「どうせ、あいつらは1人だけ逃げるつもりなんてないだろ」
5分が経った。
「行くか」
4人の英雄が森へ入った。
最初に子どもたちを見つけたのはレイだった。
足跡が残っている。
「雑ね」
しゃがんで確認する。
4人分。
北へ向かっている。
レイはそのまま追った。
だが、数十歩進んだところで足を止めた。
「……なるほど」
足跡が増えている。
北。
東。
西。
途中から複数の方向へ分かれていた。
しかも、一度進んだ後に戻った跡まである。
「足跡を増やしたのね」
消すのではなく、わざと増やした。
どれが本物か分からなくするために。
レイは少しだけ笑った。
「考えたわね」
それでも追えないほどではない。
レイが1本の跡を選ぼうとした時だった。
パキッ。
右から枝の折れる音。
レイが振り向く。
木々の向こうを、人影が走った。
「エマ?」
レイが追う。
速い。
4年前とは比べものにならない。
だが、レイの方がさらに速かった。
距離が縮まる。
「見つけた」
レイが木々の間を抜ける。
そこにいたのは――。
「……上着?」
枝にエマの上着が引っかけられていた。
その下では、紐に結ばれた石が揺れている。
枝を折ったのは人ではない。
仕掛けだった。
「そう来るの」
レイの口元が少し上がった。
一方。
「いたぞ」
バルクがルークを見つけていた。
「うわっ!」
ルークが全力で逃げる。
「待て!」
「待つわけないだろ!」
「それもそうだ!」
バルクが追う。
見る見る距離が縮まった。
ルークが振り返る。
「やっぱ速い!」
「捕まえるぞ!」
「ミナ!」
ルークが叫んだ。
直後。
「《泥濘》!」
地面が一気にぬかるんだ。
バルクの足が沈む。
「おっと」
ほんの一瞬。
それだけだった。
バルクは地面を蹴り、強引に泥から抜ける。
だが、その一瞬でルークは木々の向こうへ消えた。
「なるほど」
バルクは笑った。
「最初から1人じゃなかったか」
姿を見せたのはルーク。
魔法を使ったのはミナ。
近くにもう1人いる。
「面白くなってきたな」
アルドは誰も追っていなかった。
森の中央で立ち止まり、周囲を見ている。
「足跡でレイを誘導して、ルークでバルクを引っ張る」
少し考える。
「となると――」
アルドが後ろを振り向いた。
「俺にも何か来るよな」
その瞬間。
「《風弾》!」
木の陰から魔法が飛んできた。
アルドは動かない。
透明な障壁が風弾を弾いた。
「ミナ」
「やっぱり無理か!」
ミナが走る。
アルドは追わない。
「その方向は――」
視線を動かす。
ミナが逃げた先。
狭い岩場。
「罠だな」
アルドは別方向へ歩き出した。
「えっ!?」
遠くからミナの声が聞こえた。
「なんで来ないの!?」
「聞こえてるぞ」
「来てよ!」
「絶対何かあるだろ!」
アルドは笑いながら進路を変えた。
残り6分。
4人はまだ誰も捕まっていなかった。
だが、少しずつ追い詰められていた。
レイが足跡の偽装を見破った。
バルクもミナの泥を突破した。
アルドは罠に乗らない。
そしてセリアは――。
「ノア」
「うわっ!」
ノアの真後ろにいた。
「いつから!?」
「少し前から」
「全然気づかなかった!」
「周りを見るのは得意になったけど、集中すると後ろがおろそかになるわね」
セリアが手を伸ばす。
ノアは逃げた。
だが、すぐに距離を詰められる。
「速い!」
「治癒術師が足が遅いと思った?」
「思ってないけど!」
ノアは必死に走る。
前方には倒木。
飛び越える。
その瞬間、着地した足が滑った。
「あっ!」
体勢が崩れる。
セリアの手が肩へ伸びた。
「捕まえ――」
「《光球》!」
ノアの手元が強く光った。
「っ!」
セリアが一瞬だけ目を細める。
その隙にノアが転がるように逃げた。
数歩走ってから振り返る。
「ご、ごめんなさい!」
「試験中に謝らなくていいの!」
「はい!」
ノアが逃げる。
セリアは目元を押さえながら笑った。
「治癒術じゃないじゃない」
「アルドに習いました!」
「でしょうね!」
残り4分。
最初に捕まったのはミナだった。
「うそっ!」
木の陰から現れたアルドに退路を塞がれた。
「終わり」
「まだ!」
ミナが杖を構える。
風弾。
アルドの障壁に弾かれる。
次は足元へ土の術。
それも避けられた。
「くっ……!」
アルドが距離を詰める。
ミナは後ろへ下がった。
杖を構える。
だが、もう魔法を組む時間がない。
「捕まえた」
アルドの手が杖へ伸びた。
ミナは即座に杖を捨てた。
「お?」
腰から木剣を抜く。
アルドが少し目を見開いた。
ミナが踏み込む。
「やあっ!」
アルドが半歩ずれる。
木剣は空を切った。
当然だ。
剣でアルドに勝てるはずがない。
だが、ミナは2撃目を出さなかった。
そのまま横を抜けて走った。
「え?」
「逃げる!」
アルドが一瞬遅れる。
その一瞬で、ミナは木々の間へ飛び込んだ。
「……なるほど」
アルドは追いながら笑った。
剣を抜いたから、剣で戦う。
そんな決まりはない。
勝てないなら逃げる。
「それでいい」
小さく呟いた。
残り2分。
4人が合流した。
「もう無理!」
ミナが息を切らしている。
「全員来る!」
ノアが後ろを見る。
アルド。
バルク。
レイ。
セリア。
4人とも近い。
「どうする!?」
エマが聞く。
ルークが前を見る。
森を抜ければ、少し開けた場所がある。
「走る!」
「でも追いつかれる!」
「分かってる!」
ルークは走りながら考えた。
10分。
あと少し。
勝てない。
逃げ切れない。
なら。
「ミナ!」
「何!?」
「煙!」
「分かった!」
ミナが振り返り、地面へ魔法を放つ。
「《風弾》!」
狙ったのは先生たちではない。
乾いた土。
大量の土埃が舞い上がった。
「目くらましか」
アルドが障壁を張る。
風で土埃を散らした時には、4人が別方向へ走り出していた。
「分かれた!」
バルクが笑う。
「俺はルーク!」
「エマは私」
レイが走る。
「じゃあノアは私ね」
セリアも続く。
「俺がミナか」
アルドが追った。
残り1分。
ルークが捕まった。
「くそっ!」
「悪くなかったぞ」
バルクが肩をつかむ。
失格。
残り3人。
エマも捕まった。
木剣でレイへ斬りかかり、かわされた瞬間に手首を取られた。
「まだまだね」
「悔しい……!」
残り2人。
ノアも捕まった。
「あと少しだったのに!」
「よく逃げたわ」
残り1人。
ミナだけだった。
「はぁっ、はぁっ……!」
ミナが森を走る。
後ろからアルドが迫る。
「待て!」
「待たない!」
「だよな!」
残り30秒。
距離が縮まる。
20秒。
ミナの足がもつれる。
それでも走る。
10秒。
アルドが手を伸ばした。
届く。
ミナが振り返った。
右手には木剣。
アルドが反射的に警戒する。
ミナは木剣を投げた。
「うおっ!?」
アルドが避ける。
ミナはそのまま走った。
5秒。
4秒。
3秒。
アルドが再び距離を詰める。
2秒。
手を伸ばす。
1秒。
指先がミナの服に――。
「そこまで!」
セリアの声が森に響いた。
アルドの手が止まった。
ミナも止まる。
「……え?」
しばらく理解できなかった。
「終わり?」
「ああ」
アルドが息を整えながら答える。
「10分だ」
ミナの目が大きくなる。
「じゃあ……」
ルークたちも集まってくる。
「合格?」
アルドは4人を見た。
泥だらけ。
汗だく。
エマは上着をどこかに置いてきた。
ミナは杖も木剣も持っていない。
ノアの髪には葉がついている。
ルークは悔しそうな顔をしていた。
「合格だ」
一瞬の沈黙。
「やったああああ!」
4人が叫んだ。
ミナがその場に座り込む。
「もう無理……」
「俺、捕まった……」
ルークが悔しそうに言う。
「でもミナが残ったよ!」
エマが笑う。
「4人で合格だ!」
喜ぶ4人を、アルドたちは黙って見ていた。
バルクが腕を組む。
「4年前なら、1分もいらなかったな」
「今でも本気で追えばすぐだけどね」
レイが言う。
「それは言わない約束だろ」
「事実でしょう?」
「でも、ちゃんと考えてたわ」
セリアが4人を見る。
「逃げることも、隠れることも、仲間を助けることも」
アルドは頷いた。
勝てない相手に剣を向け続けなかった。
武器を捨てた。
罠を使った。
魔法を攻撃以外にも使った。
仲間が捕まっても、全員で戻ろうとはしなかった。
教えてきたことを、ちゃんと使っていた。
「よし」
アルドが4人の前へ立つ。
「これなら、外へ出しても大丈夫だ」
歓声が止まった。
4人がアルドを見る。
「本当に……?」
「ああ」
「冒険者になっていいの?」
「いい」
ルークの顔が輝く。
「やった!」
「ただし」
アルドが続ける。
4人はすぐに静かになった。
「今日できたことを、外でも忘れるな」
ルークたちが聞く。
「依頼に失敗してもいい」
アルドは言った。
「魔物に勝てなくてもいい。格好悪く逃げてもいい」
4人の表情から、少しずつ笑顔が消えていく。
「生きて帰れ」
それだけは、4年間ずっと変わらなかった。
「分かったな?」
「はい」
今度の返事は、4年前よりずっと落ち着いていた。
「じゃあ、出発の準備をしろ」
アルドが笑う。
「明日、町へ行ってこい」
ルークたちは顔を見合わせた。
そしてもう一度、大きな声を上げた。
「はい!」




