第4話 勝てる魔物とは戦わない
森へ入る前に、アルドは4人を止めた。
「まず確認するぞ。森で魔物を見つけたら、最初に何をする?」
ルークが手を挙げる。
「倒す!」
「違う」
「早いな!」
「即答する方が悪い」
エマが考える。
「種類を確認する?」
「そうだ」
「数も」
ノアが続けた。
「正解」
「逃げ道も見るんじゃない?」
ミナが言う。
「それもだな」
アルドは頷いた。
「相手の種類、数、位置。周囲の地形。逃げ道。それを確認してから、近づくか離れるか決める」
「戦うかどうかじゃないの?」
ルークが聞く。
「そもそも近づく必要がなければ、戦わなくていいだろ」
「でも、冒険者って魔物を倒すんじゃないの?」
「そういう依頼もある。でも薬草を採りに来たのに、関係ない魔物と戦って怪我したらどうする?」
「……損?」
「大損だ」
バルクが笑った。
「剣が折れるかもしれない。薬を使うかもしれない。怪我して依頼を続けられなくなるかもしれない」
「それに、1匹に見えても近くに仲間がいることもあるわ」
レイが森へ視線を向ける。
「勝てる相手だから安全、とは限らない」
「分かった」
ルークが真剣な顔で頷いた。
「見つけても、すぐ戦わない」
「よし」
アルドが歩き出した。
「じゃあ行くぞ」
森へ入ってしばらくは、何も起こらなかった。
ただ歩くだけ。
それでも、普段の訓練とは違った。
「止まれ」
突然、レイが言った。
4人が足を止める。
「何かいる?」
エマが声を落とす。
「いるわ。探して」
4人が周囲を見る。
木。
茂み。
落ち葉。
何も見えない。
「分かんない」
ルークが小声で言う。
「目だけで探さない」
レイが答えた。
「音。匂い。地面。枝の揺れ。見るものはいくらでもあるわ」
4人がもう一度周囲を探す。
最初に気づいたのはノアだった。
「あそこ」
指さしたのは右手の茂み。
「葉っぱが動いてる」
風は吹いていない。
エマが目を凝らす。
「……いた」
茶色い耳が見えた。
やがて、茂みから小さな魔物が姿を現した。
額に短い角を生やした兎。
「角兎だ!」
ルークが嬉しそうに声を上げる。
「声」
「あっ」
慌てて口を押さえる。
角兎はこちらを見た。
しばらく固まった後、森の奥へ逃げていく。
「ああ……」
ルークが残念そうに見送る。
「逃げちゃった」
「それでいい」
アルドが言った。
「追わないの?」
「今日は見るだけだ」
「でも、あれなら倒せそう」
「そうだな」
「じゃあ――」
「倒す理由がない」
ルークが黙る。
「さっき言っただろ」
「あ……」
「見つけた魔物を全部倒してたら、目的地に着く前に疲れるぞ」
「そっか」
ルークは逃げていった角兎の方を見た。
少し残念そうだったが、追いかけなかった。
さらに奥へ進む。
今度はバルクが足を止めた。
「お前ら。これ分かるか?」
地面に大きな足跡が残っていた。
4人が集まる。
「猪?」
ミナが言う。
「何の?」
「普通の猪……じゃないよね」
ルークが足跡の横に自分の手を置いた。
「でかい」
エマが周囲を見る。
「木にも跡がある」
幹の低いところ。
樹皮が大きく削れていた。
ノアがしゃがむ。
「新しい?」
「どうしてそう思う?」
バルクが聞く。
「土がまだ崩れてないから」
「他には?」
4人が考える。
ミナが鼻を動かした。
「……臭い?」
「そうだ」
バルクが頷く。
「近くにいる可能性がある」
ルークが少し嬉しそうになる。
「岩牙猪?」
「たぶんな」
「アルドが畑から追い返したやつ?」
「同じ個体かは分からん」
「探す?」
「なんで?」
バルクに聞き返され、ルークが止まった。
「……倒すため?」
「だから、なんで倒すんだ?」
「えっと……」
答えが出ない。
「今日は魔物の見分け方を覚えに来ただけだろ」
「そうだった」
「だったら、近くに危ない魔物がいると分かった時点で十分だ」
バルクは足跡を指した。
「こういう痕跡を見つけたら、避ける。それだけで戦わずに済む」
ルークが頷く。
「なるほど」
「よし。じゃあ進路を変えるぞ」
誰も岩牙猪を探そうとは言わなかった。
昼前。
4人は小川の近くで休憩していた。
「森歩くだけなのに疲れた……」
ミナが木にもたれる。
「ずっと色々見ないといけないからね」
ノアも水を飲んでいた。
ルークだけはまだ元気そうだった。
「俺、もうちょっと魔物見たい」
「見るだけよ」
エマが釘を刺す。
「分かってるって」
「さっき角兎追いかけそうだったじゃん」
「あれは最初だから」
「本当に?」
「本当!」
そんな話をしながら、持ってきたパンを食べる。
その時だった。
レイが顔を上げた。
アルドもほぼ同時に気づく。
「静かに」
4人が口を閉じる。
ガサッ。
少し離れた茂みが揺れた。
今度は子どもたちにも分かった。
何かがいる。
しかも、角兎より大きい。
ガサッ。
再び枝が揺れる。
ルークが立ち上がろうとする。
「そのまま」
バルクの一言で止まった。
茂みから魔物が出てくる。
犬に似た姿。
灰色の毛。
口元から鋭い牙が覗いている。
1匹。
続いて、もう1匹。
「灰牙犬……」
エマが小声で言った。
昨日、図鑑で見たばかりだった。
「何匹?」
アルドが聞く。
「2匹」
ルークが答える。
「本当に?」
「え?」
4人の視線が動く。
ノアが後ろを見る。
「もう1匹いる」
木の陰。
わずかに尻尾が見えた。
「3匹」
「他は?」
4人が探す。
しばらくしてエマが答えた。
「……分からない」
「それでいい」
レイが言った。
「分からないなら、いないと決めつけない」
灰牙犬たちは、こちらを警戒していた。
まだ襲ってこない。
「どうする?」
アルドが4人に聞いた。
ルークは少し考えた。
「戦う?」
エマが首を振る。
「今日の目的じゃない」
「でも、向こうが来たら?」
「その時は戦う」
ミナが周囲を見る。
「でも今なら、離れられるかも」
ノアが来た道を見る。
「後ろにはいない」
4人で顔を見合わせる。
ルークが頷いた。
「戻ろう」
アルドは何も言わない。
子どもたちはゆっくり立ち上がった。
灰牙犬から目を離さず、距離を取る。
走らない。
背中を向けない。
少しずつ。
少しずつ。
やがて灰牙犬の姿が木々の向こうへ消えた。
それでも4人はしばらく歩き続けた。
「ここまで来れば大丈夫だ」
アルドが言った瞬間。
「はぁぁぁ……」
ミナが大きく息を吐いた。
「怖かった……」
「俺、戦えると思ったけどな」
ルークが言う。
「3匹いたよ?」
「俺たち4人いるし」
「他にもいたかもしれないじゃん」
「……それはそうか」
エマがルークを見る。
「それに今日は見るだけ」
「分かってるって」
口ではそう言いながらも、ルークは少し悔しそうだった。
バルクがその顔を見る。
「逃げたのが悔しいか?」
「……ちょっと」
「じゃあ、それは早めに直しとけ」
ルークが顔を上げる。
「戦わなかっただけで、逃げたわけじゃない」
「同じじゃないの?」
「全然違う」
バルクは森の奥を指した。
「目的もないのに戦って、怪我する方がよっぽど駄目だ」
「でも、強い冒険者なら倒せるんでしょ?」
「倒せるだろうな」
「じゃあ――」
「俺でも戦わない」
ルークが目を丸くした。
「バルクでも?」
「ああ。腹減ってるし」
「そこ?」
「それも大事だ」
バルクが笑う。
「倒す必要があるなら倒す。ないなら放っとく。それだけだ」
ルークはしばらく考えていた。
「……分かった」
今度の返事は、少しだけ真剣だった。
帰り道。
アルドたちは、来た時とは違う道を選んだ。
4人に帰路を考えさせるためだ。
「村はこっち」
ミナが指す。
「理由は?」
「太陽があっちだから」
「それだけ?」
「あと……川がこっちに流れてた」
「いいな」
アルドが頷く。
少し進むと、エマが突然止まった。
「待って」
「どうした?」
「何か聞こえない?」
全員が黙る。
遠く。
かすかな音がした。
ガサガサと草を踏む音。
先ほどの灰牙犬より重い。
そして速い。
こちらへ近づいている。
「何?」
ミナが小声で聞く。
「まだ分からない」
アルドは答えた。
だが、手は出さない。
「お前たちで考えろ」
4人の表情が変わった。
遊びではない。
ルークが周囲を見る。
「隠れる?」
「どこに?」
エマが聞く。
「あの岩の後ろ」
「4人入れない」
「じゃあ木の向こう?」
ミナが音の方向を見る。
「待って」
ノアが言った。
「こっちに来てるんじゃないかも」
「え?」
「音が……少し横に動いてる」
4人が耳を澄ます。
確かにそうだった。
近づいてはいる。
だが、一直線ではない。
エマが地面を見る。
「私たちの匂いに気づいてない?」
「分からない」
「だったら、見つかる前に離れよう」
ルークが言った。
全員が頷いた。
音とは反対方向へ移動する。
しばらくすると、木々の隙間から大きな影が見えた。
岩牙猪だった。
だが、こちらには気づかない。
そのまま森の奥へ消えていった。
「……よし」
ルークが小さく拳を握った。
戦っていない。
魔物を倒してもいない。
それでも、少し嬉しかった。
村へ戻った頃には、夕方になっていた。
「今日、1匹も倒さなかったね」
ミナが言う。
「ああ」
アルドが答える。
「それでいいの?」
「全員無傷で帰ってきただろ」
「うん」
「なら今日は満点だ」
4人の顔が明るくなる。
「満点!?」
「やった!」
ルークが喜ぶ。
アルドはそんな4人を見ながら続けた。
「ただし、明日から覚える魔物を増やすぞ」
「え?」
「足跡だけじゃない。糞、食べ跡、縄張りの印、鳴き声。毒を持つやつもいる」
ルークの笑顔が消えていく。
「いっぱいあるな……」
「冒険者になるんだろ?」
「なる!」
「なら覚えろ」
「はい!」
4人が元気よく返事をする。
アルドは満足そうに頷いた。
それからも、訓練は続いた。
走る。
剣を振る。
体を鍛える。
魔力を操る。
傷を診る。
森を歩く。
魔物を覚える。
食べられる植物を覚える。
野営する。
逃げる。
隠れる。
そして、必要な時だけ戦う。
春が過ぎた。
夏が来た。
秋になり。
冬を越えた。
それを何度も繰り返した。
そして――4年後。
「エマ、右!」
「分かってる!」
森の中を、4つの影が駆けていた。
もう、幼い子どもではない。
14歳になったルークが、前方から飛びかかってきた魔物の爪をかわす。
横からエマが踏み込んだ。
一閃。
魔物の足元の地面だけが斬れた。
「外した!」
「わざと!」
体勢を崩した魔物へ、ルークが飛び込む。
「ふっ!」
肩が魔物の胴へ入った。
鈍い音。
巨体が横へ吹き飛ぶ。
その先に、すでに魔法が待っていた。
「《風縛》!」
ミナが杖を振る。
風が魔物の四肢へ絡みつき、地面へ押さえ込む。
「ノア!」
「まだ! 左前脚が動く!」
ノアが魔物を見つめている。
「3秒待って!」
ルークとエマが距離を取った。
魔物が暴れる。
1秒。
2秒。
3秒。
「今!」
4人が同時に動いた。
少し離れた木の上。
アルドたちは、その戦いを眺めていた。
「どう思う?」
アルドが聞く。
レイは腕を組んだまま答える。
「まだ甘いわね」
「エマか?」
「最初の踏み込みが大きい。あれなら相手によっては読まれるわ」
「ルークも力を入れるのが少し早いな」
バルクも言う。
「ミナも術を作るまでが遅い」
「ノアも、もう少し早く異常を見つけられると思うわ」
セリアが続ける。
「だよな」
アルドも頷いた。
4人の意見は一致した。
まだまだ教えることは多い。
それでも。
アルドは、森の中で戦う4人を見た。
「そろそろ、試してみるか」
「何を?」
バルクが聞く。
「4人だけで外へ出しても大丈夫かどうか」
3人がアルドを見る。
「冒険者になりたいって言ってから、もう4年だ」
アルドは少しだけ笑った。
「卒業試験だ」
その言葉に、バルクも笑う。
「いいな」
「何をさせるの?」
レイが尋ねた。
アルドは少し考えた。
そして答えた。
「簡単だ」
森の下では、何も知らない4人が戦いを終えようとしている。
「俺たちを相手に――10分間、生き残ってもらう」




