第6話 帰ってこい
出発の朝。
村の入口には、思っていたより多くの人が集まっていた。
「こんなに来ると思わなかった……」
ミナが小さく呟く。
「そりゃ来るでしょ」
エマが笑った。
「ずっと村にいた4人が出ていくんだから」
ルークは背負った荷物の紐を引き直した。
「でも、冒険者になるだけだぞ?」
「それが大ごとなのよ」
セリアが言う。
その手には、まだ荷物があった。
「ノア。これも持っていって」
「え?」
渡されたのは、小さな革袋だった。
「薬?」
「止血用と、痛み止めと、解毒用。それから――」
「セリア」
アルドが口を挟む。
「もう入ってるだろ」
「予備よ」
「予備も入れたって昨日言ってたぞ」
「その予備の予備」
「多いって」
「何があるか分からないでしょう?」
セリアは真顔だった。
ノアが自分の鞄を見る。
すでにかなり膨らんでいる。
「……持てる?」
「持てます」
「本当に?」
「はい」
「無理なら置いていいからね」
「どっちなんだよ」
バルクが笑った。
セリアは気にせず、今度は袋の中身を1つずつ確認し始めた。
「傷を見てから使うのよ。とりあえず薬を塗る、は駄目だからね」
「はい」
「熱があるなら――」
「水分を取らせて、原因を見る」
「骨が怪しかったら?」
「無理に動かさない」
「意識がなかったら?」
「呼吸と脈を確認する」
セリアが満足そうに頷く。
「よし」
「それ、昨日も聞いてなかった?」
ミナが言う。
「大事なことは何度聞いてもいいの」
「ノアなら忘れないと思うけど」
「分かっていても、慌てたら抜けることがあるのよ」
「それはそうか」
ミナも納得した。
少し離れたところでは、レイがエマを呼んでいた。
「これ」
「え?」
差し出されたのは1本の剣だった。
練習用の木剣ではない。
鞘に収められた、本物の剣。
「いいの?」
「使ってないものだから」
エマが恐る恐る受け取る。
「軽い……」
「あなたに合わせて調整してあるわ」
「レイがやってくれたの?」
「柄と重心だけね。刃は村の鍛冶屋に頼んだ」
エマがゆっくり剣を抜く。
朝の光が刃に映った。
思わず息を呑む。
「きれい……」
「眺めるためのものじゃないわよ」
「あっ、うん」
「それと」
レイがエマを見る。
「抜いたからには斬る、なんて考えないこと」
「え?」
「抜いても、斬らずに済むなら鞘へ戻せばいい」
エマは少しだけ意外そうな顔をした。
「レイでも?」
「当然でしょう?」
「剣聖なのに?」
レイの眉がわずかに動いた。
「誰が剣聖なの?」
「……あ」
エマが慌てて口を押さえる。
村では誰もレイを剣聖とは呼ばない。
ただ、子どもたちの中では。
剣がものすごく強い人。
それくらいの意味で、時々そう呼ぶことがあった。
「ご、ごめん」
「別にいいけど」
レイは少しだけ笑った。
「外では変な呼び方しないでね」
「うん」
「それから、刃こぼれしたら無理に使わない。雨に濡れたら拭く。夜は手の届くところに置く」
「はい」
「あと――」
「レイも長いよ」
エマが笑う。
「……まだ3つしか言ってないわ」
「セリアと同じことになってる」
レイは黙った。
少し離れたセリアを見る。
「私はあそこまでじゃないわ」
「同じくらいだと思う」
「そう?」
「うん」
「なら、もう1つだけ」
「増えるんだ」
「無くさないこと」
エマが剣を抱きしめる。
「絶対なくさない」
「それならいいわ」
「ルーク」
今度はバルクが手招きした。
「これ持て」
渡されたのは、大きな背嚢だった。
「うわっ」
受け取った瞬間、ルークの体が少し沈む。
「重っ!」
「食料、縄、予備の水袋、簡単な工具、火起こし、布、釘」
「俺の荷物より多いぞ!」
「当たり前だ」
「なんで!?」
バルクがルークの背嚢を指した。
「お前が一番持てるから」
「……まあ、持てるけど」
「なら持て」
「すごい理由だな」
「4人で同じ重さを持つ必要はないだろ」
ルークが止まった。
「ミナにこれ持たせたらどうなる?」
「遅くなる」
「ノアなら?」
「たぶん途中で疲れる」
「エマは?」
「剣振るなら軽い方がいい」
「じゃあ、お前が持てばいい」
「ああ……」
ルークが納得する。
「でも」
バルクが続けた。
「お前が疲れたら分けろよ」
「大丈夫だって」
「そういう意味じゃない」
「え?」
「持てるやつが全部持つのと、無理して全部持つのは違う」
ルークが黙る。
「速く歩けなくなったら荷物を渡せ。足を痛めたらもっと早く渡せ。恰好つけて倒れるな」
「……分かった」
「よし」
バルクが背中を叩く。
「あと、腹減ったら食え」
「それは分かる」
「水も飲め」
「分かるって」
「でも飲みすぎるな」
「細かいな!」
「大事だぞ」
最後に、アルドがミナを呼んだ。
「俺からはこれ」
小さな革袋を渡す。
「何?」
「魔石」
「え?」
ミナが袋を開く。
中には、小粒の魔石がいくつか入っていた。
「いいの!?」
「安いやつだ」
「でも魔石でしょ?」
「練習用に使え」
ミナが1つ取り出す。
小さい。
それでも、魔力を蓄えていることは分かる。
「魔力が足りなくなった時に使っていい?」
「駄目ではないけど、最初から頼るなよ」
「どうして?」
「残ってると思ってた魔石が空だったら困るだろ」
「確認すればいいじゃん」
「割れることもある」
「じゃあ予備を――」
「そうやって持ち物を増やすと、最後はセリアみたいになる」
「聞こえてるわよ」
少し離れたところから声が飛んできた。
アルドは気にせず続ける。
「自分の魔力で足りないなら、使う術を減らす。逃げる。休む。それでも必要なら魔石を使え」
「分かった」
「それと、威力だけ上げるなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「4年間ずっと言われた」
「なら大丈夫だな」
ミナが袋を大事そうにしまう。
「ありがとう」
「ああ」
準備が終わった。
4人は村の入口に並ぶ。
家族たちもいる。
泣いている者はいなかった。
まだ遠くへ行くわけではない。
まずは近くの町。
冒険者ギルドへ登録し、そこから依頼を受ける。
危なくなれば帰ってくればいい。
そう分かっている。
それでも。
「じゃあ、行ってきます!」
ルークが言った瞬間。
少しだけ空気が変わった。
アルドは4人を見る。
小さかった背中。
毎朝、息を切らして大岩から戻ってきた子どもたち。
木剣に振り回され。
魔力が出ないと悩み。
丸太が動かないと騒ぎ。
森で初めて魔物を見つけて喜んでいた。
それが今は。
装備を身につけ、自分たちの足で村を出ようとしている。
「アルド?」
ルークが首を傾げる。
「どうした?」
「いや」
アルドは一度だけ息を吐いた。
「最後に1つだけ」
「また?」
ミナが笑う。
「先生たち、今日そればっかり」
「これで最後だ」
4人がアルドを見る。
アルドは少し考えた。
色々言いたいことはあった。
知らない相手を信用しすぎるな。
依頼書は最後まで読め。
報酬だけを見るな。
野営地は慎重に選べ。
酒は飲むな。
怪我を隠すな。
でも。
結局、一番言いたいことは4年前から同じだった。
「帰ってこい」
4人が黙った。
「失敗してもいい」
アルドは続ける。
「依頼を途中で投げてもいい。格好悪く逃げてもいい」
ルークたちは真っ直ぐ聞いている。
「帰ってきたら、またやり直せる」
アルドは4人を見た。
「だから、4人で帰ってこい」
ルークが笑った。
「うん」
エマも。
ミナも。
ノアも。
「行ってきます!」
4人が村を出た。
最初は何度も振り返っていた。
村が見える。
アルドたちが見える。
家族が手を振っている。
少し歩く。
また振り返る。
まだ見える。
「いつまで振り返ってるの?」
エマが笑った。
「エマだって振り返ってるじゃん」
「私はみんなが見てるか確認しただけ」
「同じだろ」
「違う」
「同じだよ」
言い合いながら歩く。
しばらくすると、村は丘の向こうへ隠れた。
4人とも立ち止まった。
もう見えない。
「……行こうか」
ノアが言う。
「ああ」
ルークが前を見る。
ここから先は、4人だけだった。
最初のうちは、楽しかった。
何度も通った道だ。
町までも遠くない。
「冒険者になったら最初何する?」
ミナが聞く。
「魔物討伐!」
ルークが答える。
「絶対違うと思う」
エマが言う。
「なんでだよ」
「最初から強い魔物なんて任せてもらえないでしょ」
「角兎とか?」
「それくらいじゃない?」
「薬草採取もありそう」
ノアが言う。
「それ得意」
ミナが胸を張る。
「毒草と間違えないでよ」
「もう間違えないって!」
「去年間違えたじゃん」
「あれは似てたの!」
「葉の裏が全然違ったでしょ」
「ちょっと似てた!」
「全然違ったよ」
4人の声が街道に響く。
やがて。
ルークが足を止めた。
「待って」
3人も止まる。
「どうした?」
エマが聞く。
「音」
全員が黙った。
草むら。
何かが動いている。
ガサッ。
道の横から、角兎が姿を現した。
1匹。
その後ろから、もう1匹。
「角兎」
ミナが小声で言う。
ルークの手が剣へ伸びる。
エマも腰を落とした。
だが。
角兎はこちらを一度見ただけで、街道を横切ろうとした。
4人は動かなかった。
角兎たちはそのまま反対側の草むらへ消える。
「行ったね」
ノアが言う。
「ああ」
ルークは剣から手を離した。
「追わなくていいよな?」
「依頼じゃないし」
「向こうも襲ってこなかった」
「じゃあ行こう」
4人は再び歩き出した。
初めて、先生たちのいない場所で魔物に出会った。
それでも、何も起きなかった。
倒さなかった。
戦わなかった。
それでいい。
4人とも、そう思えた。
昼を少し過ぎた頃。
丘の向こうに町の外壁が見えてきた。
「あれだ!」
ルークが指さす。
4人の歩く速度が自然と上がった。
門を抜ける。
人が多い。
荷車。
商人。
旅人。
鎧を着た者。
杖を持つ者。
武器を腰に下げた者。
「冒険者だ……」
エマが呟いた。
本物の冒険者がいる。
4人は思わず目で追った。
「すごい剣」
「あの人、弓だ」
「杖も大きい」
「鎧、重そう……」
「お前ら」
門番が笑った。
「観光か?」
「違います!」
ルークが答える。
「冒険者になりに来ました!」
「おお、そうか」
門番は慣れた様子で町の奥を指した。
「ギルドなら大通りを真っ直ぐ行って、噴水を右だ」
「ありがとうございます!」
4人が揃って頭を下げる。
歩き出してから、ミナが小声で言った。
「ついにだね」
「うん」
エマが剣の柄に触れる。
「緊張する?」
ノアが聞いた。
「ちょっと」
ルークは前を見る。
大通りの先。
剣と杖が交差した看板が見えた。
冒険者ギルド。
「行こう」
4人は扉の前に立つ。
ルークが取っ手を握った。
そして――。
初めて、4人だけで外の世界へ足を踏み入れた。




