常若の国の恋人たち 3
「怯えないで。ここへはあなたを人の姿に戻すつもりで来たの」
エーディーンに向かって心からの笑みを向けることは難しかったが、危害を加えるつもりはないと示すつもりで、魔術に使う杖を足元に置いて、口角を上げた。
「ファムナッハ……本当に——? 私を害するつもりはないと?」
「ええ、そうよ。オェングスに頼まれて来たのだもの」
そう言うと、エーディーンはおずおずとオェングスの陰から出て、私と向き合うように立った。
「だったら……どうして私を蝶にしたの? ミデールの心を奪った私を憎んでいるのではないの?」
「あなたのことは……あの時すぐに元の姿に戻すつもりだったのよ。
魔術を侮られて、その力を証明したかっただけなの。随分と長い年月……酷い目に合わせてしまって——悪かったわ。——ごめんなさい」
心の底からエーディーンには申し訳ないことをしたと思っていた。
「それは長い間心細くて大変だったけど……私のことはオェングスが見つけてくれたから、いいのよ。
それに年月は……私よりもあなたに……優しくなかったみたいだわ——。
常若の国にいたのに、まるで加護を受けられなかったように見える。
本当に——可哀想……」
私の顔を、穴の開くほどじっと見つめた彼女の顔に、憐憫の色が浮かんでいるのを認めた時、ズキンと胸がひび割れるような音がした。
彼女の言葉はどうしてこうも私を惨めにするのだろう?
彼女にとっては、美しさや若さが至上なのだろうけど、それを持たない者の傷に無神経に触れることは赦されていいというのか……?
彼女は本当に——悪意を持ち併せていないのだろうか?
もやもやした頭を振り払うように、エーディーンに訊ねた。
「オェングスからは、あなたとは互いに離れられない関係になっていると、ミデールの所に戻るつもりはないと聞いたけど、本当なの?」
その質問に彼女はピクリと身体を強張らせて、口を開きかけては噤む。私の顔色を窺うような眼差しを見て、オェングスが励ますように肩を抱いた。
「私はあなたが誰を選ぼうが、とやかく言うつもりはないわ」
私がそう口にすると、エーディーンは明らかにホッとしたように肩の力を抜いた。
「……私は——今はオェングスに惹かれているわ。
彼は私のために、あらゆる花を集めてきてくれ、何不自由のない寝床を用意してくれる。
それに、私が誰かに害されたり奪われたりしないよう、手を尽くしてくれているし、私も彼に応えたいと思っているの」
エーディーンの言葉を聞いて、満足気に頬を緩めたオェングスは彼女の頬に軽いキスを落とし、彼女の薔薇色に染まった頬から小さな鳥が生まれた。
その鳥が吸い込まれるように羽ばたきと共に彼女の口の中に消え、次の瞬間には、トクン——と彼女の胸が大きく弾んだ。
そう、オェングスは美と若さと、愛の——神だもの。その彼が恋敵になるなんて、さすがのミデールにとっても分が悪い戦いだ。
「それならそれでいいと思うけど——ミデールとはきちんと話さなくては駄目よ。
今もずっと荒野に出てはあなたを探しているんだもの。
それに——私だっていい加減に彼から解放されたい。あなたが人に戻りオェングスのものになったと分かれば、ミデールだって私のことはもう自由にしてくれるでしょう」
それは七年もの間地下に拘束されていた私にとっては明るい展望だ。
その未来のためには、彼らにちゃんとミデールと向き合ってもらいたい。
が、エーディーンは困ったように眉根を寄せて、オェングスに縋るような目を向けた。
ミデールと面と向かって話す勇気がないらしい。
不安が胸をよぎった。
私の身の上より、エーディーンにとっては自分達の未来がミデールに脅かされることが心配なのかもしれない。
オェングスはそんなエーディーンを安心させるように微笑みを向けてから、私に向き合って口を開いた。
「とにかく、早くエーディーンの魔術を解いて下さい。ミデールには——私が話をつけます」
そう話すオェングスの目が一緒泳いだことに気が付いてしまい、私の胸を不吉な予感が襲った。
オェングスの言葉をその通りに受け取っていいのだろうか?
彼の油断のならない目に浮かぶ冷徹な光が不安呼び起こし、キリキリと胸を締め付ける。
この予感が当たっていたとすれば——私はどうすれば難を逃れられるだろう……?
もし、オェングスが私を……。
オェングスよりも表情が出やすいエーディーンの顔を覗き込んでみたけれど、彼女は私と目を合わせず僅かに逸らし唇を噛み締めた。
疑いがより強く、濃厚になった。
もしや二人して私を諮ろうとしているのではないだろうか?
そうだとしたら——許せない。
できるだけすばやく頭を働かせ、これから起こる事を想定して備えなくては。
オェングスとエーディーンの目をくらませるためには——どうすれば?
「……何をもたもたしているんです? 早くして下さい」
手を腰の後ろに伸ばしたまま立っているオェングスが、苛立ったように催促した。
そしてそんな彼の肩に、エーディーンが手を置いた。その仕草はまるで彼がこれからする行為を励ますようにも見える。
オェングスは、私に向けるのとは違った温かみのある眼差しを彼女に向けた——。手は変わらず腰の後ろに回したままで。
そんな彼から目を離さず、ゆっくりと屈む。
屈んで足元に置いていた杖を拾いながら、最速で魔術を展開する。
——その一瞬が勝負だった。
「急かさないで——分かったわよ。では……」
私は、エーディーンにかけた術を解く振りをしたけれど、実際はそうではない。
どうせなら彼女が実体のない蝶のままでいてくれた方が都合がいいからだ。
「——術は解いたわ。もうこれで大丈夫……」
魔術を発動しながらそう告げた。
——次の瞬間、オェングスの瞳が冷たく細められた。
——来る。
オェングスが隠し持っていた神剣を振り上げた。
——銀光の閃き。
血飛沫が飛ぶ。
闇色の髪を散らしながら、女の首が刎ねられ、転がる。
全てが一瞬のこと——。
その鮮烈な映像が、見守る三者の脳裏に刻まれた。
——エーディーンが悲鳴を飲み込む。
彼女のそんな姿は、まるで予告なく行われた斬撃にたまたま居合わせたようにも見える。
だけど、私は見た。
事前に交わした恋人達の目配せを。
後ろめたそうに目を伏せたエーディーンを。
そして——その意味を悟ってしまったのだ。
——やはり。
分身の術で、身代わりにすり替わることができて、助かった。
本当の私はエーディーンの影に潜んで、首が刎ねられるその凄惨な場面を見守っていた。
私の魔術で造られた首も、身体も——形をとどめていることが、私の優れた魔術の優位性を証明している。
喜んでもいいところかもしれないが、私は今、怒りに支配されている。
夫に裏切られ、養い子には殺されたのだ。
復讐できるものなら……。
しかし最高神ダグザの子である二人には、まともにぶつかったところで勝てはしないだろう。
それでも……これからすることは一矢報いることになるはず。
それに、私の命を保障してくれる担保にもなる。
エーディーンの術を解くまでは、オェングスもミデールもきっと私を死なせはしないだろうから。
彼らがいくら探し求めても届かないほど遥か遠くへ——彼女がまた去ってしまえば……。
そこまで考えて、私はエーディーンの陰から躍り出た。
殺したはずの私が、もう一人現れて——さしもの男神オェングスも目を見開いて後退った。
エーディーンは恐怖して、絶叫した。
そして、私は驚愕している二人の間に立つと、不敵に笑いながら暴風を起こす。
「——残念でした。術を解いたというのは嘘よ。
エーディーン、あなたもオェングスが私を口封じするつもりだと知っていたのでしょう?
そして、それを止めなかった」
そう言ってエーディーンを吹き飛ばした。




