表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第八話 クローネンベルク

 クローネンベルク侯爵王都別邸は、他のどの貴族の屋敷よりも重厚な品格に満ちていた。

 

 書斎では一人の男が淡々と書類をめくっていた。動きが速い。だが記された文言はすべて目を通している。アルブレヒト・コンラート・フォン・クローネンベルク。宮廷の支配者と渾名(あだな)される、この屋敷の主だ。

 規則正しい、そして力強い足音が近付いて来たことに気付き、アルブレヒトは書類をめくる手を止めた。()いたノックが三回。こんな風に扉を叩く者はこの屋敷に一人しかいない。

「入れ」

「失礼しますわ、お父様」

 長い黒髪を揺らして入ってきたのは予想通り、彼の娘だった。華やかで人目を引く姿だが、いささか気迫に満ちすぎている。

 他者を圧倒する紅薔薇。そう噂になっているのを、アルブレヒトは知っていた。

「アーデルハイド。淑やかに歩けといつも言っているだろう」

 アーデルハイド・フェリツィア・フォン・クローネンベルクは腕を組み、鼻息荒く言った。

「フレッドをブルーメンフェルトに差し出すおつもりですか」

 アーデルハイドはヴィンフリートをフレッドと呼ぶ。兄妹のように育った間柄であり、彼を慕っていた。恋愛感情ではなく、兄に対する愛情だ。

「逆だ。ブルーメンフェルトの娘をクローネンベルクに組み込む」

「没落した伯爵家の娘など、彼に相応しいはずもありません」

「ヴィンフリートは乗り気だ」

「お父様に逆らえないだけでしょう?」

 激しく言い募るアーデルハイドに、淡々と答えるアルブレヒト。火花が散りそうだった。

 慌てて追いかけて来たヴィンフリートが、書斎の入り口で畏まる。

「失礼いたします、伯父上」

 アーデルハイドが勢い良く振り返る。

「フレッド、お父様に言ってお上げなさい。没落寸前の伯爵家の娘などと結婚だなんてありえないと!」

 アルブレヒトは甥に静かな視線を向けた。

「そうなのか、ヴィンフリート」

 ヴィンフリートは溜め息を吐いて首を横に振った。

「いいえ、伯父上。私は私の意思でフィロメナ嬢との婚姻を望んでおります」

 きっぱりと言い切ったヴィンフリートに、アーデルハイドは眉を吊り上げた。

「フレッド!」

「アデル、だから落ち着けと言っただろう。それにフィロメナ嬢は聡明な女性だ」

 アーデルハイドの眉間に皺が寄った。

「もう籠絡(ろうらく)されたの?」 

「その言い方は止せ。彼女を侮辱するな」

 ヴィンフリートが珍しく険しい表情を向け、アーデルハイドはますます不機嫌になった。

「とにかく、私はブルーメンフェルトの娘を我が家に迎え入れることを、断固として拒否します」

 足音高く。後ろを振り返ることなくアーデルハイドは去って行った。

 アルブレヒトは溜め息を吐いた。

「あの気性の激しさは誰に似たのやら」

 伯父上でしょう、と言いたいのをヴィンフリートはなんとか堪えた。

「ヴィンフリート」

「は」

「――ゼーベルクが動いたな」

 アルブレヒトの言葉は、問い掛けではなく確認だった。

「――そのようです」

 アルブレヒトは両手を組み、顎を乗せた。

「あの男は危険だ。モノの価値をわかっている」

「と、(おっしゃ)いますと?」

「富は一代でも築けるが、家格は血が積み上げるものだ。ゼーベルクには金がある。国家予算をも凌駕(りょうが)するほどに」

 だが、とアルブレヒトは続けた。

「歴史がない。だがブルーメンフェルトの血統を得れば――」

「更に力を増す……?」

「ゼーベルクは国家の在り方を変えるだろう。それだけの力を持つ、新しい貴族となる」

 ヴィンフリートは少し考えた。

「ですがそれは――王国にとって、悪いことではないのでは?」

 アルブレヒトはまっすぐに甥を見据えた。

「王国の骨格は貴族が作った歴史の上にある。ゼーベルクの台頭はそれを揺るがしかねない。善悪の問題ではないのだ。秩序を乱す嵐は、生み出してはならない」

 ヴィンフリートはごくりと喉を鳴らした。アルブレヒトは重々しく、言った。

「ブルーメンフェルトの血は貴族の中に残す。それが最良だ」



 自室に戻ったアーデルハイドは苛々(イライラ)と部屋の中を歩き回った。憤慨しながらも、頭の中は冷静だった。

 立ち止まり、呼び鈴を鳴らした。すぐに侍女が現れ一礼する。

温葡萄酒(グリューワイン)を用意して。それと――ブルーメンフェルト伯爵令嬢の身辺調査を」

「畏まりました」

 侍女が下がり、すぐに女中(メイド)が温葡萄酒を持って来た。言い付ける前に用意してあったのだろう。クローネンベルクの使用人は有能だ。

 アーデルハイドは頷いて(カップ)を受け取った。香辛料(スパイス)が甘く薫る。少しだけ、心が落ち着いた。

 

 一口飲んで、アーデルハイドは深く息を吐いた。

 

 七大貴族の一角が没落するなど、ブルーメンフェルト伯爵は無能にも程があると怒りさえ湧く。歴史ある家名を汚すなど大罪だ。

 そんな無能な家の血など、七大貴族であっても価値はない。成り上がり者にくれてやればいい。

 だが、その無能な伯爵の娘は、まるで白百合だと噂されている。純粋で気高く、凛とした美しさを持つ人なのだと。

 華やかな舞台に滅多に出て来ないことも相まって、話に尾ひれが付いたのだ。己の見せ方が上手いのだろうとアーデルハイドは思っていた。

 没落の理由も、その娘の浪費のせいかもしれない。

 だいたい、領民に尽くし過ぎて身代を潰す貴族など、いるわけがない。

 確かにブルーメンフェルト伯爵家は代々の篤志家、奇特な家として名高い。だが、普通に考えて、有り得ない。きっととんでもない浪費家か、詐欺師に騙されるような無能者だ。

 そんな娘が、ヴィンフリートの妻になるかもしれないだなんて。

 アーデルハイドは奥歯を噛んだ。許せなかった。

 有能で、見目も良く、性格も良い。あんなにも素晴らしい従兄妹(いとこ)に、ブルーメンフェルトの娘が相応しいとは、とても思えなかった。

「フレッドの相手は、私以上の女性でなければ認めない」

 きっと尻尾を掴んでやる。アーデルハイドは決意を固め、温葡萄酒を飲み干した。



 書斎を辞したヴィンフリートは自室に戻り、深く溜め息を吐いた。

「アデルは何をそんなに怒っているんだ……」

 昔から急に怒り出すことが多い従兄妹ではあったが、あれほど凄まじい険相は滅多にない。何が彼女の逆鱗に触れたのか、ヴィンフリートにはわからなかった。

「フィロメナ嬢は素晴らしい女性なのに」

 初めて会ったのは何年前になるだろうか。他の女性のように媚を売ったり、言い寄っても来ないし、くだらない噂話に興じることもない。クローネンベルクの名におもねることもない。それでいて聡明で、芯が強い。

 ヴィンフリートは思い出して少し笑った。

 フィロメナが、どこかの令嬢に厭味を言われていた時だ。割って入ろうかと思った。だが、フィロメナは静かな顔でその令嬢をやり込めて――。顔を真っ赤にし、猿のような形相になっていた令嬢に一礼すると、何事もなかったかのように去って行った。

 その所作の美しいことといったら。

 今でもヴィンフリートの記憶に残っている。

 フィロメナが、自分を選んでくれたらいいと思った。だが、相手はゼーベルク男爵。手強い敵だ。

 彼が有能なことは誰もが知っている。そして見目が良く、品格もある。ヴィンフリートが勝てるのは、血筋くらいなのではないかと、少し落ち込みもする。

「――いや、剣ならば勝てるか」

 曲がりなりにもヴィンフリートは騎士だ。縁故採用ではなく、実力での入団だ。

 しかしヴィンフリートは溜め息を吐いた。

「決闘するわけでもないしな」

 何より、フィロメナに披露する場がない。例えば騎士団の訓練場に招待して、模擬戦を見てもらう――まで考えて、ヴィンフリートは頭を振った。

「あんなむさ苦しい場所にお呼びするなど、とんでもない」

 何より騎士団の面々に、フィロメナを会わせたくはない。ヴィンフリートはこれ以上、恋敵を増やしたくはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ