第八話 クローネンベルク
クローネンベルク侯爵王都別邸は、他のどの貴族の屋敷よりも重厚な品格に満ちていた。
書斎では一人の男が淡々と書類をめくっていた。動きが速い。だが記された文言はすべて目を通している。アルブレヒト・コンラート・フォン・クローネンベルク。宮廷の支配者と渾名される、この屋敷の主だ。
規則正しい、そして力強い足音が近付いて来たことに気付き、アルブレヒトは書類をめくる手を止めた。急いたノックが三回。こんな風に扉を叩く者はこの屋敷に一人しかいない。
「入れ」
「失礼しますわ、お父様」
長い黒髪を揺らして入ってきたのは予想通り、彼の娘だった。華やかで人目を引く姿だが、いささか気迫に満ちすぎている。
他者を圧倒する紅薔薇。そう噂になっているのを、アルブレヒトは知っていた。
「アーデルハイド。淑やかに歩けといつも言っているだろう」
アーデルハイド・フェリツィア・フォン・クローネンベルクは腕を組み、鼻息荒く言った。
「フレッドをブルーメンフェルトに差し出すおつもりですか」
アーデルハイドはヴィンフリートをフレッドと呼ぶ。兄妹のように育った間柄であり、彼を慕っていた。恋愛感情ではなく、兄に対する愛情だ。
「逆だ。ブルーメンフェルトの娘をクローネンベルクに組み込む」
「没落した伯爵家の娘など、彼に相応しいはずもありません」
「ヴィンフリートは乗り気だ」
「お父様に逆らえないだけでしょう?」
激しく言い募るアーデルハイドに、淡々と答えるアルブレヒト。火花が散りそうだった。
慌てて追いかけて来たヴィンフリートが、書斎の入り口で畏まる。
「失礼いたします、伯父上」
アーデルハイドが勢い良く振り返る。
「フレッド、お父様に言ってお上げなさい。没落寸前の伯爵家の娘などと結婚だなんてありえないと!」
アルブレヒトは甥に静かな視線を向けた。
「そうなのか、ヴィンフリート」
ヴィンフリートは溜め息を吐いて首を横に振った。
「いいえ、伯父上。私は私の意思でフィロメナ嬢との婚姻を望んでおります」
きっぱりと言い切ったヴィンフリートに、アーデルハイドは眉を吊り上げた。
「フレッド!」
「アデル、だから落ち着けと言っただろう。それにフィロメナ嬢は聡明な女性だ」
アーデルハイドの眉間に皺が寄った。
「もう籠絡されたの?」
「その言い方は止せ。彼女を侮辱するな」
ヴィンフリートが珍しく険しい表情を向け、アーデルハイドはますます不機嫌になった。
「とにかく、私はブルーメンフェルトの娘を我が家に迎え入れることを、断固として拒否します」
足音高く。後ろを振り返ることなくアーデルハイドは去って行った。
アルブレヒトは溜め息を吐いた。
「あの気性の激しさは誰に似たのやら」
伯父上でしょう、と言いたいのをヴィンフリートはなんとか堪えた。
「ヴィンフリート」
「は」
「――ゼーベルクが動いたな」
アルブレヒトの言葉は、問い掛けではなく確認だった。
「――そのようです」
アルブレヒトは両手を組み、顎を乗せた。
「あの男は危険だ。モノの価値をわかっている」
「と、仰いますと?」
「富は一代でも築けるが、家格は血が積み上げるものだ。ゼーベルクには金がある。国家予算をも凌駕するほどに」
だが、とアルブレヒトは続けた。
「歴史がない。だがブルーメンフェルトの血統を得れば――」
「更に力を増す……?」
「ゼーベルクは国家の在り方を変えるだろう。それだけの力を持つ、新しい貴族となる」
ヴィンフリートは少し考えた。
「ですがそれは――王国にとって、悪いことではないのでは?」
アルブレヒトはまっすぐに甥を見据えた。
「王国の骨格は貴族が作った歴史の上にある。ゼーベルクの台頭はそれを揺るがしかねない。善悪の問題ではないのだ。秩序を乱す嵐は、生み出してはならない」
ヴィンフリートはごくりと喉を鳴らした。アルブレヒトは重々しく、言った。
「ブルーメンフェルトの血は貴族の中に残す。それが最良だ」
◇
自室に戻ったアーデルハイドは苛々と部屋の中を歩き回った。憤慨しながらも、頭の中は冷静だった。
立ち止まり、呼び鈴を鳴らした。すぐに侍女が現れ一礼する。
「温葡萄酒を用意して。それと――ブルーメンフェルト伯爵令嬢の身辺調査を」
「畏まりました」
侍女が下がり、すぐに女中が温葡萄酒を持って来た。言い付ける前に用意してあったのだろう。クローネンベルクの使用人は有能だ。
アーデルハイドは頷いて杯を受け取った。香辛料が甘く薫る。少しだけ、心が落ち着いた。
一口飲んで、アーデルハイドは深く息を吐いた。
七大貴族の一角が没落するなど、ブルーメンフェルト伯爵は無能にも程があると怒りさえ湧く。歴史ある家名を汚すなど大罪だ。
そんな無能な家の血など、七大貴族であっても価値はない。成り上がり者にくれてやればいい。
だが、その無能な伯爵の娘は、まるで白百合だと噂されている。純粋で気高く、凛とした美しさを持つ人なのだと。
華やかな舞台に滅多に出て来ないことも相まって、話に尾ひれが付いたのだ。己の見せ方が上手いのだろうとアーデルハイドは思っていた。
没落の理由も、その娘の浪費のせいかもしれない。
だいたい、領民に尽くし過ぎて身代を潰す貴族など、いるわけがない。
確かにブルーメンフェルト伯爵家は代々の篤志家、奇特な家として名高い。だが、普通に考えて、有り得ない。きっととんでもない浪費家か、詐欺師に騙されるような無能者だ。
そんな娘が、ヴィンフリートの妻になるかもしれないだなんて。
アーデルハイドは奥歯を噛んだ。許せなかった。
有能で、見目も良く、性格も良い。あんなにも素晴らしい従兄妹に、ブルーメンフェルトの娘が相応しいとは、とても思えなかった。
「フレッドの相手は、私以上の女性でなければ認めない」
きっと尻尾を掴んでやる。アーデルハイドは決意を固め、温葡萄酒を飲み干した。
◇
書斎を辞したヴィンフリートは自室に戻り、深く溜め息を吐いた。
「アデルは何をそんなに怒っているんだ……」
昔から急に怒り出すことが多い従兄妹ではあったが、あれほど凄まじい険相は滅多にない。何が彼女の逆鱗に触れたのか、ヴィンフリートにはわからなかった。
「フィロメナ嬢は素晴らしい女性なのに」
初めて会ったのは何年前になるだろうか。他の女性のように媚を売ったり、言い寄っても来ないし、くだらない噂話に興じることもない。クローネンベルクの名におもねることもない。それでいて聡明で、芯が強い。
ヴィンフリートは思い出して少し笑った。
フィロメナが、どこかの令嬢に厭味を言われていた時だ。割って入ろうかと思った。だが、フィロメナは静かな顔でその令嬢をやり込めて――。顔を真っ赤にし、猿のような形相になっていた令嬢に一礼すると、何事もなかったかのように去って行った。
その所作の美しいことといったら。
今でもヴィンフリートの記憶に残っている。
フィロメナが、自分を選んでくれたらいいと思った。だが、相手はゼーベルク男爵。手強い敵だ。
彼が有能なことは誰もが知っている。そして見目が良く、品格もある。ヴィンフリートが勝てるのは、血筋くらいなのではないかと、少し落ち込みもする。
「――いや、剣ならば勝てるか」
曲がりなりにもヴィンフリートは騎士だ。縁故採用ではなく、実力での入団だ。
しかしヴィンフリートは溜め息を吐いた。
「決闘するわけでもないしな」
何より、フィロメナに披露する場がない。例えば騎士団の訓練場に招待して、模擬戦を見てもらう――まで考えて、ヴィンフリートは頭を振った。
「あんなむさ苦しい場所にお呼びするなど、とんでもない」
何より騎士団の面々に、フィロメナを会わせたくはない。ヴィンフリートはこれ以上、恋敵を増やしたくはなかった。




