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第九話 調子が狂う

 その日。興奮して帰ってきたフィロメナは、かつてない熱量でゼーベルク商会の紅茶倉庫について語っていた。

「そして、聞いてください! そこにはなんと、あの皇帝献上茶があったのです!」

 パルツィファルは、こんなにも感情を露わにする娘を、いまだかつて見たことがなかった。ルードヴィヒは若干引いている。

「パリジャート地方の紅茶ですよ! それはもう、厳重に管理なされておりまして――」

 ルードヴィヒには、フィロメナの言っていることの半分もわからない。だが、こんなにも生き生きと楽しそうに語る姉に、胸が熱くなった。

「姉上は――」

 うっとりと目を細めるフィロメナを見て、ルードヴィヒはパルツィファルに囁いた。

「本当に紅茶が好きなのですね」

「――そうだな」

 ブルーメンフェルトが困窮していなければ、思う存分紅茶を楽しむことができただろうに――。パルツィファルは溜め息を飲み込んだ。

「それで姉上、ゼーベルク男爵はどうでした?」

 フィロメナは一旦口を閉ざした。

 しばらく何かをごにょごにょと呟いて、視線を逸らせた。ルードヴィヒが半眼になる。

「……男爵そっちのけで紅茶に興奮していて、ほとんど覚えてないとか言いませんよね?」

「そんなことは……。そう、玄関ホールに世界地図が飾ってあったわ。初めて東方帝国の形を知って、どこがチャンパでどこがグラーブなのか、少し掴めたのよ。母上の本の通りの位置だったわ」

「姉上。それも紅茶の話です」

 パルツィファルは苦笑した。

「失礼をして、迷惑を掛けたのでなければいいさ。楽しかったようで、何よりだ」

「ご迷惑は、掛けておりません。……たぶん」

 フィロメナは、ディートリヒの表情を思い出した。

 

 ――ますますあなたをゼーベルクに迎え入れたくなりました。


 その言葉と柔らかな微笑みを思い出し、フィロメナは少し頬を染めた。

(だから、嫌われてはいないわ。たぶん)

 こんなにも胸が高鳴っているのは、紅茶倉庫の素晴らしさのせいだ。そして、紅茶のことを理解しているディートリヒに感銘を受けたから。それだけだ。

 両手で軽く頬を叩いて、フィロメナは浮ついた心を押さえつけた。



 それから数日。

 ブルーメンフェルト邸の呼び鈴が鳴った。応対に出たルードヴィヒはしばらく固まった。

 派手な美女がそこに立っていた。

「私はクローネンベルクのアーデルハイド。フィロメナ嬢に取次ぎを」

「――少々お待ちくださいませ」

 慌てて引っ込んだルードヴィヒに、アーデルハイドは溜め息を吐いた。

「あの侍従、客を小応接室で持たせるくらいのこともできないのかしら」

 付き従っていた侍女が、言い難そうに口を開いた。

「お嬢様……今の方は侍従ではなく――若君です」

 アーデルハイドは目を(みは)り、侍女を振り返った。

「何ですって」

「ですから先だって申し上げましたように――今のブルーメンフェルト伯爵家王都別邸に、使用人はおりません。……誰一人」

 アーデルハイドは扇で口元を押さえた。

「まさか――本当に、自分たちだけで生活しているというの……?」

「お(いたわ)しいことですが、報告書に記されたことはすべて、事実でございます」

 アーデルハイドが口を開いた。何かを言う前に、扉が再度開かれた。

「お待たせいたしました。ご案内いたします」

 ルードヴィヒが畏まり、一礼した。完璧な貴族の子弟の所作だと、アーデルハイドは思った。


 応接間に通されたアーデルハイドは、さりげなく周囲を観察した。趣味の良い(カーテン)に、丁寧に手入れされた長椅子(ソファ)(テーブル)はきれいに磨かれている。浪費家の気配はひとつもない。

(いいえ。娘が出て来たら、化けの皮を剥いでやるんだから)

 静かに扉が開いた。

 亜麻色の髪に灰青色の眸の娘が紅茶を運んできた。

「どうぞ。お口に合いますかどうか」

 (トレイ)を横に置き、娘は丁寧に一礼した。

「フィロメナでございます。本日お越しくださいましたのは、どういったご要件でしょうか」

(地味なドレスね。それに袖口が傷んでいるわ)

 だが、所作が洗練されている。確かにフィロメナは美しかった。

「クローネンベルクのアーデルハイドと申します。突然のご訪問をお許しください」

 フィロメナは頷いた。アーデルハイドは目を細める。

「本日は、あなたを見定めに参りましたの。何しろ上がってくる報告が、まるで信用ならないものばかりでしたので」

 フィロメナは目を瞬いた。

「従兄妹のヴィンフリートとの縁談のことです。失礼ながら調べさせていただきました」

 まっすぐに見据えてくるアーデルハイドに、フィロメナは静かな視線を返した。別に睨まれたわけでもないのに、アーデルハイドの方が気圧された。

「我が家の状況をご存知でしたら、無理からぬことと存じます」

 淡々と。フィロメナは頷いた。

(調子が狂う)

 アーデルハイドは立て直すべく、紅茶を一口飲んだ。そして目を(みは)った。

「……困窮しているというのに、紅茶だけは上等なものをお使いなのね」

 フィロメナは少しだけ微笑んだ。

「チャンパの春摘みです。三級品ですが、我が家にはそれしかございませんもので」

 アーデルハイドは少し乱暴に紅茶茶碗(ティーカップ)を置いた。カシャンと音が鳴った。

「これが三級ですって? 嘘よ。一級品の味だわ」

「お褒めいただき光栄です。紅茶を淹れることだけは得意としております」

 嘘を言っている顔ではなかった。これがはったりなら大したものだ。

 アーデルハイドは侍女を振り返る。彼女は静かに頷いた。驚きを隠せない顔で、アーデルハイドはフィロメナに向き直った。

「ブルーメンフェルト伯爵家が困窮したのは、家財を削ってまで領民に施しを与えたからというのは、本当なの」

「――そればかりが原因ではありません。事業に失敗いたしました」

「その事業、冷害に強い小麦の開発だというのは?」

「本当です。……よくご存じですね」

 少し驚いた表情でフィロメナが目を瞬いた。

「――あなたが、ご家族の食事を作っているというのも、掃除や洗濯までしているというのも……」

 フィロメナは少し吐息した。

「――本当です」

 アーデルハイドは眉を寄せた。

「戻ってきたいという使用人たちを、呼び戻さないのは何故」

 フィロメナは目を伏せた。

「――給金が、払えませんもので」

 アーデルハイドは深々と溜め息を吐いた。

「呆れた。――まさか、本っ当に、領民に尽くし過ぎて、身代を潰す貴族がいるだなんて!」

 身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある。しかし、それは身分に相応しい振る舞いをせよというだけのことで、身を削って民に尽くせと言うことではないはずだ。

 フィロメナは少しだけ(けん)のある表情になった。

「私は父を尊敬しております」

「ああ、ごめんなさい。(けな)した訳ではないの。言い方が悪かったわ。訂正します。ブルーメンフェルト伯爵は領主の(かがみ)よ。――やりすぎだとは思うけど」

「――何事も、突き詰めてしまうのは事実です」

 軽く溜め息を吐いたフィロメナに、アーデルハイドは少し微笑んだ。

「お互い、父親には苦労させられるわね」

 フィロメナは目を瞬いた。

「アーデルハイド様も?」

「頑固な父親よ。貴族の秩序を守るためなら、甥でも躊躇(ためら)わずに駒にするわ」

 アーデルハイドは溜め息を吐いた。

「そう、そのことよ。あなたゼーベルク商会には男爵に会いに行ったのに、ヴィンフリートは放って置くのはどういうことかしら」

「ええと……?」

「不公平だと言っているの。ヴィンフリートを袖にするだなんて、信じられないわ」

「そんな、とんでもないことです。ですがヴィンフリート様は――その、クローネンベルク邸にいらっしゃいます」

「それはそうよ」

 フィロメナは少しだけ俯いた。

「お伺いするのに、相応しい服を持って参りませんでしたので――」

 アーデルハイドはフィロメナを見た。地味なドレスだ。しかもだいぶくたびれている。

 確かに、この服でクローネンベルク邸に来いとはいえない。アーデルハイドは溜め息を吐いた。

「あなた、誕生日はもう過ぎた?」

「はい。つい先日」

「なら、一着贈るわ」

「は?」

「ここに呼んでもいいかしら。贔屓の店があるの」

「アーデルハイド様?」

「施しではないわ。誕生日の贈物(プレゼント)なら、受け取ってくれるでしょう?」

 唖然とするフィロメナに、アーデルハイドはにやりと笑った。

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