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第五話 一人目の求婚者

 次の日。

 厨房にルードヴィヒが飛び込んできた。

「ゼーベルク男爵から手紙が届きました! 宛名は姉上です!」

 フィロメナは朝食の用意をしていた手を止め、目を瞬く。

「――早いわね」

 包丁を持つ手元が狂った。向こうが透けて見えるほど薄い乾酪(チーズ)が一枚、皿に落ちた。

 動揺する心を抑えつつ、フィロメナは薬缶(ケトル)に湯を沸かし始めた。冷静になるには紅茶を淹れるのが一番だ。

「姉上、中を見ないのですか?」

「紅茶を淹れたらね」

 茶葉を茶匙(ティースプーン)で正確に計る。茶瓶(ポット)に湯を注ぐ。砂時計を引っ繰り返す。

 そして、待つ。

 芳しい香りが広がった。砂時計の砂が落ち切り、フィロメナはもう一つの茶瓶に、茶漉しを通して注ぎ入れた。

「姉上」

 どれだけ動揺していても、身体に染み付いた所作には狂いがなかった。

「落ち着きなさい。今、見るから」

 それはルードヴィヒにというより、自分自身に向けての言葉のようだった。

 フィロメナは手紙の封を切った。ざっと目を通し、そして何度か瞬きをした。

「何と書かれていたのですか?」

 フィロメナは黙ってルードヴィヒに手紙を差し出した。ルードヴィヒは手紙に目を走らせる。そこには丁寧な字で、礼節を守った文面で、面会を希望する旨が記されていた。

「……求婚の手紙ではないのですね」

 少しだけ拍子抜けした表情のルードヴィヒに、フィロメナは苦笑した。

「そんな一足飛びにはしないと思うわ」


 朝食の席で、パルツィファルがフィロメナを見た。

「返事はどうする? 嫌なら断ってもいいんだぞ」

「いいえ。お会いします」

 即答だった。パルツィファルもルードヴィヒも、意外そうに目を丸くした。

「彼を知り己を知れば百戦(あやう)からずと言いますでしょう」

 フィロメナは紅茶茶碗(ティーカップ)を静かに傾けた。一口飲んで、吐息した。

「まずは相手を知らぬことには何も始まりません。ですから、お会いします」

「――そうか。お前がそれで良いなら良いが……無理はしないように」

「大丈夫です。ゼーベルク男爵には興味もありますし」

 フィロメナは、王都へ同道した商隊を思い出していた。貴重な紅茶や香辛料を、優待価格で末端の職員にまで行き渡らせていた。評判も良い。

「どんな方なのかしら」

 フィロメナの表情は、まだ見ぬ求婚者に思いを馳せる令嬢というよりは、模擬戦を前にした騎士に似ていた。

「姉上、顔が(いかめ)しくなっています」

 フィロメナは黙って紅茶を一口飲んだ。



 ゼーベルク男爵を迎えるにあたり、早急に応接間を整える必要ができた。部屋中の埃を落とし、長椅子(ソファ)に掛けられたままだった白布を剥がし、(テーブル)を拭く。三人は団結して、掃除を完璧に終わらせた。

「前庭までは手が回らないが――ひとまずは人を呼べる屋敷になったかな」

「せめて馬車寄せだけでも小綺麗にしておきましょうか。それとも――困窮ぶりを見せつけた方が効果的なのかしら」

 口元に手を当て、フィロメナは呟いた。

「何の効果ですか、姉上?」

「憐れを誘って油断させるのよ」

「……フィロメナ。仮にも求婚しにくる殿方に対しての態度ではないのではないか?」

「そうでしょうか。求婚は、謂わば決闘のようなものでは?」

「姉上。さすがにそれは違うと私も思います」

 そうかしら、とフィロメナは小首を傾げた。

 求婚も決闘も、どちらも相手に覚悟ある返答を求める儀式だ。逃げ場のない個人対個人の場で、自分自身を賭ける行為。

 

「――やっぱり似ていると思うわ」


 呟きが呼び鈴の音と重なった。ルードヴィヒが走り出す。

「私が出ます」

 本来なら門衛か従僕の役目だ。間違っても次期当主たる伯爵家嫡子の仕事ではない。パルツィファルは申し訳なさに深く吐息した。

「お前たちには苦労をかけ、本当にすまないと思っている」

「いいえ、父上。私たちは父上のお役に立てて嬉しいのです。気になさらないで、と言っても無駄でしょうから、どうぞルードヴィヒを褒めてあげてください。あの子、とても頼もしくなったわ」

 フィロメナの笑顔に、パルツィファルは泣きそうに微笑んだ。


 玄関を開けたルードヴィヒは固まった。そこに立っていたのは騎士だった。濃紺の外套に銀の留め具。姿勢が良く、落ち着いた顔立ちの青年。鳶色の髪に、黒に近い深緑の瞳。

 青年は一礼した。

「突然の訪問をお許しください」

 穏やかな声だった。

「ヴィンフリート・ヨアヒム・フォン・クローネンベルクと申します」

 ルードヴィヒは顔を引き攣らせた。まさかまさか。

「……侯爵家の?」

「はい」

 ヴィンフリートは静かに頷いた。

「伯父――クローネンベルク侯爵の命で参りました」



 ヴィンフリートは、整えたばかりの応接間に通された。パルツィファルとフィロメナが迎える。ルードヴィヒは一歩下がった。だが退出はしない。

「ようこそ、ヴィンフリート殿」

 ヴィンフリートは少し申し訳なさそうに会釈した。

「先触れもなしで訪問いたしました無礼を、どうぞお許しください」

 フィロメナは一礼し、紅茶を淹れるべく下がった。パルツィファルはヴィンフリートに椅子を勧め、ルードヴィヒは父の後ろに立った。

「本日おいでの理由は、やはり娘の縁談のことでしょうか」

「はい」

 ヴィンフリートは即答した。

「伯父――クローネンベルク侯爵アルブレヒトは、フィロメナ嬢と私の婚姻を望んでいます。――そして私も」

 意外な言葉に、パルツィファルは目を(みは)った。クローネンベルク侯爵に追い立てられてのことだと思っていたからだ。ルードヴィヒも驚いた顔でヴィンフリートを見つめた。

「伯父に急かされたのは事実です。ですが――私がフィロメナ嬢を慕わしく思っていることも事実です。そしてこの婚姻に、幾つもの条件が付いていることもまた」

 誠実な青年だと、ルードヴィヒは少しだけヴィンフリートの評価を上げた。

「条件というのは、我が家の負債のことですか」

「はい。婚姻が成った暁には、ブルーメンフェルト伯爵家の借財は、すべてクローネンベルク侯爵家が負いましょう」

 フィロメナが紅茶を運んできた。話の邪魔にならないよう静かに、ヴィンフリートの前に紅茶茶碗を置くと退出すべく(きびす)を返した。

 自身の婚姻の話であっても、それは家と家の話し合いで決めるものだ。ブルーメンフェルト当主パルツィファルの都合が良いように運ぶべきだと、フィロメナは思っていた。

「お待ちください」

 ヴィンフリートが呼び止める。

「フィロメナ嬢、あなたにも聞いていただきたい」

 フィロメナはパルツィファルを見、頷いて座った。ヴィンフリートは懐かしそうにフィロメナを見つめた。

「――お久し振りです。三年前、舞踏会で踊ってくださいましたね」

 フィロメナは目を瞬く。

「覚えていらっしゃるとは思いませんでした」

「忘れません。決して」

 ヴィンフリートはフィロメナを見、パルツィファルを見た。

「改めて申し上げます。クローネンベルク侯爵家は、私ヴィンフリートとフィロメナ嬢の婚姻を望んでおります。ですが――」

 ヴィンフリートは目を細めた。

「強制するつもりはありません」

 フィロメナは、少しだけ意地悪そうにヴィンフリートを見た。

「我が家の債権者は、クローネンベルク侯爵家相手の物も多いのは、ご存じでしょうか」

「はい。伯父より聞かされました」

「ブルーメンフェルトがこの婚姻をお断りした場合、どうなると思われますか?」

 ヴィンフリートは苦笑した。

「伯父は即刻の返済を求めると思います」

 パルツィファルが頷いた。

「――でしょうな」

「矛盾したことを申し上げますが、私は強制したくありません。フィロメナ嬢には、フィロメナ嬢の意思で決めていただきたいのです」

 フィロメナは目を瞬いた。言葉を選ぶ。

「それは――なんとも珍しいことを仰いますね。家の意思でもなく、借財の形でもなく、私の意向を気になさるのですか」

 ヴィンフリートは少しだけ苦笑した。

「クローネンベルク侯爵家の総意ではありません。――私個人のわがままです。あなたに無理強いをしたくない」

 ルードヴィヒは会話を聞きながら、どんどんとヴィンフリートへの好意が上がっていくのを感じていた。

(この人なら、姉上を守ってくれるのではないだろうか)

 ルードヴィヒはちらりとフィロメナに視線をやる。だが、その横顔はやはり試合前の騎士のようだった。甘さはない。だが、凛として美しかった。

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