第四話 食卓の作戦会議
ブルーメンフェルトの食卓にて、三人だけの作戦会議が始まった。紅茶の淡い香りが広がる。
「では、そもそもの始まりからご説明いただけますか? 推察はできますが、答え合わせもしたいので」
「私は何もわかってはおりませんので、よろしくお願いいたします」
フィロメナとルードヴィヒがパルツィファルを見据えた。パルツィファルは頷いて、語り始めた。
「最初はただの世間話だったんだ」
◇
「ブルーメンフェルト伯爵でいらっしゃいますね」
王宮の回廊で話しかけてきたのは、濡れたような黒髪で海のような青い眸の男だった。姿勢がよく、所作が洗練されている。顔立ちはひどく整っていたが、表情は控えめだ。
「失礼ながら、貴公は――?」
その男は丁寧に一礼した。
「初めてお目にかかります。ゼーベルク男爵ディートリヒと申します。以後お見知りおきを」
「噂の男爵とはあなたのことでしたか。しかし、私のことをご存じとは」
ディートリヒは少し唇の端を持ち上げた。微笑んだようだ。
「あなたのことを尊敬しております。身を削り、領民のことを考えておられる」
「いや、領主として当然のことです」
パルツィファルは首を振るが、ディートリヒは真顔で反論した。
「その当然のことのできない領主が、この国にどれだけ多いことか」
「これは手厳しい」
パルツィファルは少しだけ目を瞠った。義憤。ディートリヒの表情は確かにそう見えた。
「失礼」
ディートリヒは咳払いをする。
「貴族というだけで、その地位に胡座をかいているだけの者が許せぬもので」
「清廉な方なのですね」
「いいえ、それはあなたのような方のことだ。商人は善人では務まりません」
ディートリヒは少しだけ目を細めた。猛禽類のようだ。パルツィファルは少しだけ背筋に冷たさを感じた。
「ですから、あなたに取り引きを持って参りました」
パルツィファルは目を瞬く。突然の話題の転換に思えたのだ。
「取り引き、ですか」
「はい。――ブルーメンフェルト伯爵家は、多額の負債を抱え、困窮しておられると聞きます。そのことについて、援助を申し出たい」
取り引きと言いながらも、ディートリヒの眼は誠実で曇りがなかった。続く言葉をある程度は予想しつつ、パルツィファルは先を促した。
「そう仰るからには条件があるのですね」
「はい」
ディートリヒは頷く。
「ご息女に、求婚の許可をいただきたいのです」
◇
フィロメナは眉を寄せた。
「求婚の許可ですか。それは何とも――」
言葉を探すが、丁度良いものが見つからない。ルードヴィヒが憤慨した。
「何ですか、許可って!」
「いや、確かにそう言われたんだよ、ルードヴィヒ。私も驚いたけれどね」
パルツィファルは肩をすくめた。
「それから続くだろう言葉は聞けなかった。クローネンベルク侯爵が現れたからね」
◇
カツンという杖の音が、大きく回廊に響いた。
「会話に割り込む無礼を許されよ。――いささか聞き捨てならぬ言葉を聞いた」
白髪混じりの黒髪に、冷徹な灰色の眸。どこか鷲を思わせる容貌。
「クローネンベルク侯爵」
パルツィファルが会釈し、ディートリヒは目を細めた。空気が一気に圧を増した気がした。
「ブルーメンフェルト伯爵。ご息女には、相応しい相手が望ましい。我が甥など如何だろうか」
◇
「クローネンベルク侯爵の甥というと――ヴィンフリート様、ですか」
フィロメナが吐息した。
そもそもヴィンフリートはこの縁談を知っているのだろうか。フィロメナと同じように、今頃は寝耳に水で驚いているかもしれない。
「ヴィンフリート殿とは親しいのか?」
「いいえ。何度か宴席でお会いした程度です。ですが父上もご存じのように――」
パルツィファルは頷いた。
「クローネンベルク侯爵家のヴィンフリート殿といえば、誠実な人柄で知られているな」
「はい」
頷くフィロメナに、ルードヴィヒが視線を向ける。
「そうなのですか?」
「ええ。良い方よ。いつも麗しい花々の視線を集めていらっしゃるわ」
「では、姉上はヴィンフリート殿を慕っておられる……?」
フィロメナは苦笑した。
「良い方なのは確かだけれど、そういう風に考えたことはないわね」
フィロメナは目を細め、ヴィンフリートのことを思い出した。鳶色の髪、黒に近い緑色の眸。
かつて一度だけ、踊ったことがある。
「確かヴィンフリート様は、クローネンベルク侯爵の弟夫妻の息子で、幼い頃に両親と死別なさったのでしたね」
「そうだ。それから伯父である侯爵殿に引き取られ、養育されてこられた。侯爵家の血筋にして騎士。それでいて容姿端麗で誠実。彼に多くの縁談が寄せられていることは、王都に住む年頃の娘ならば誰でも知っていることだな」
「随分と大仰な方ですね。私は知りませんけど」
「ヴィンフリート様ならば、私よりも条件の良い相手などいくらでもおられるでしょうに……」
溜め息を吐くフィロメナに、ルードヴィヒが鼻息荒く反論した。
「姉上に相応しい素晴らしい男など、そうそうおりません!」
フィロメナとパルツィファルは、顔を見合わせて苦笑した。
「嫁き遅れの、しかも借金まみれの娘を貰ってくれる酔狂な殿方、の間違いではないかしら?」
「どう足掻いても、我が家は没落寸前だからな」
「だとしても!」
ルードヴィヒは卓を叩いた。カシャンと食器が音を立てる。
「姉上に不幸な結婚を強いるなど、私には許せません!」
泣きそうなルードヴィヒに、フィロメナはそっと微笑んだ。
「ルーイ。不幸になると決めつけないで」
愛称で呼ばれ、ルードヴィヒは口を歪めた。子供っぽいからやめてくれと言っているのに。
「私は私の力で幸せを勝ち取ってみせるわ。それに貴族の婚姻は多かれ少なかれ、家同士の思惑が絡むのは、あなたも理解しているでしょう?」
ルードヴィヒの眸が揺れた。
「ですが……! 納得いきません……!」
理解できることと、共感できることは違う。ルードヴィヒは、まだ潔癖な少年だった。
「私がこの年齢まで婚約もせず、自由にしてこられたのは父上のおかげよ。感謝しているの。だからこそ――」
フィロメナはパルツィファルを真っ直ぐに見た。
「ブルーメンフェルト伯爵家が最大の利益を得る道を選びたいと、私は思っています」
ゼーベルク男爵か、クローネンベルク侯爵家か。どちらを選んだ方が得なのか。フィロメナは知恵を振り絞り、よりよい道を選ぼうとしている。
資源をどう配分すれば、自分たちの立場がより強固になるかを常に計算している戦略家。――その点で、貴族と商人は、よく似ているかもしれないとパルツィファルは思った。
「――今宵はひとまずここまでにしましょうか。ゼーベルク男爵も、クローネンベルク侯爵も、すぐに返答を求めることはないでしょう」
フィロメナの言葉にルードヴィヒは首を傾げた。
「なぜそう思うのですか?」
「急いては事をし損ずると昔からいうからね」
パルツィファルが頷いた。
だが、好機逸すべからず、という言葉もある。
ブルーメンフェルト伯爵家の三人は冷静に見えて、やはり動転していたのだろう。そのことわざを、すっかり失念していたのだ。




