第三話 二つの縁談
ブルーメンフェルト伯爵家別邸。王都にある屋敷は無人だが、ひどい有様にはなっていなかった。多少埃にまみれてはいたが、蜘蛛の巣も張っていないし、調度の損壊もない。
「時々、様子を見に来てくれていたのかもしれないな」
別邸執事だったルドルフの差配だろう。パルツィファルは感謝を込め、そっと頭を垂れた。フィロメナとルードヴィヒもそれに倣う。
「さて、これから我々は家族一丸となり、半年間を無事に乗り切らねばならない。差し当たっての任務は生活必需品の確保だ。使う部屋だけ片付けたら、市場へ向かうこととする」
姉弟は決意に満ちた表情で頷く。王都ヴァイスブルクでの日々が始まった。
パルツィファルの推察は正しかった。
姿を見せぬように気遣いながらも、かつての使用人たちが王都別邸の様子を窺いに来ている。
フィロメナとルードヴィヒは感謝しながらも、気付かない振りをし続けた。苦しい様子を目にすれば、彼らは厚意で働いてくれるだろうことは、想像に容易かった。
彼らに払う給金はまだない。
フィロメナもルードヴィヒも、自分たちで生活できるのだと示すため、笑顔を絶やさず、精一杯屋敷の維持に努めた。
フィロメナはルードヴィヒを護衛に市場に出かけ、必要な物を買うことも、料理も掃除もこなした。
ルードヴィヒは鍛錬に努め、腕を磨き、また跡継ぎとしてパルツィファルの補佐として立つべく、勉学に励んだ。
生活はおおむね順調だった。ささやかだが新年を祝う事もできたし、大きな問題もなかった。
――今日までは。
王宮から帰還したパルツィファルを迎え、ルードヴィヒは眉を顰めた。父の表情が硬い。
「おかえりなさいませ、父上。王宮で何かございましたか?」
「ああ――うん、少し……ではないな。――夕食の時に話そう」
歯切れの悪い返答に、ルードヴィヒは嫌な予感を覚えた。
夕食は黒パンとシチュー。今日も簡素だ。重く沈黙した父に、姉弟は顔を見合わせる。
「――父上。そろそろ、何があったのかお話しくださいませ」
「何やら大変なことに、なっておられるのでしょう? 私たちでお役に立てることがあれば、なんなりと」
パルツィファルは匙を置き、溜め息を吐くと額を押さえた。
「――フィロメナ」
「はい」
パルツィファルはもう一度、深く息を吸い、吐く。
「お前に縁談がある。しかも二つ」
フィロメナは目を細めた。
「なるほど」
匙を置き、フィロメナはそっと口を布巾で拭った。
「困窮する我が家への縁談。――となると借金の肩代わりのお申し出が?」
パルツィファルが弾かれたように顔を上げ、ルードヴィヒは目を剥いた。
「そやつは姉上を何だと思っている!」
「落ち着きなさい、ルードヴィヒ」
嗜めるフィロメナに、パルツィファルは首を振り、頭を下げた。
「すまない。――ルードヴィヒの言う通りだ。借金の形に娘を差し出そうとする、最低最悪の父親だ……」
フィロメナは肩をすくめる。
「よくある話ではないですか。どちらの家です?」
「姉上! そんな投げやりになってはなりません!」
「投げやりではないわ、ルードヴィヒ。父上は肝心なことは何も仰っていないのよ」
冷静なフィロメナに、激昂するルードヴィヒ。対照的な姉弟に、パルツィファルは深く深く吐息した。
「順を追って話そう。本日王宮でゼーベルク男爵に会った。彼は我が家の困窮を知っていて、提案をしてきた。――フィロメナを奥方に迎えたいと」
フィロメナは小首を傾げた。
「父上。縁談は二つと仰いましたね」
「――もうひとつは、クローネンベルク侯爵からだ」
さすがのフィロメナも驚いた。
「七大貴族筆頭の、あのクローネンベルク侯爵家ですか?」
「そのクローネンベルクだ」
「宮廷の支配者……」
ルードヴィヒが呟き、フィロメナは額を押さえた。
「何がどうなってそうなりましたの? いえ、ゼーベルク男爵はまだわかります。身分を得たら、次は血統でしょう。ですが、クローネンベルク侯爵に何の益があるのでしょう」
パルツィファルは言葉を選んだ。
「侯爵は、仮にも七大貴族の一角が没落の末に身を売るような惨状を見過ごせぬとのことだ」
フィロメナは溜め息を吐いた。意図が読めた。
「クローネンベルク侯爵は、歴史ある貴き血脈を成り上がり者に与えるのを厭っておられる、ということですか」
パルツィファルは項垂れた。その通りだった。
「――父上、我が家の負債はどの程度になりましたか?」
フィロメナの言葉に、ルードヴィヒは息を呑んでパルツィファルを見た。パルツィファルは消え入りそうな声で囁く。
「三百アウルム」
ルードヴィヒが息をのんだ。金貨三百枚。黙って指を折りかけ、やめた。普通の貴族でも簡単に払える額ではないのは誰にでもわかる。
フィロメナは布巾を握り締めた。
そして考えた。
「――なるほど」
フィロメナは顔を上げた。
「父上。それらはまだ正式な求婚ではありませんね」
「ああ。ゼーベルク男爵からの内々の打診だ。まだ、何も決まってはいない。――そこへクローネンベルク侯爵が偶然通り掛かった。そして――拗れた」
「父上、何もわかりません」
ルードヴィヒは困惑した。
「結構」
フィロメナは立ち上がった。
「紅茶を淹れます」
「姉上、こんな時に何を……」
フィロメナはルードヴィヒを見た。静かな湖面のような灰青色。フィロメナの表情には焦りがなかった。
「こんな時だからこそ、冷静になりなさい。最も良い一手を打つために、一旦落ち着かなくては」
フィロメナは厨房で薬缶に湯を沸かした。茶葉を茶匙三杯、茶瓶に入れた。十分に沸騰した湯を茶瓶に注ぎ入れ、砂時計を引っ繰り返した。
茶瓶の中で、茶葉が跳ね回っている様子を思い浮かべながら、フィロメナは待った。
砂が落ち切る。
フィロメナは茶瓶から紅茶茶碗に茶漉しを通し、紅茶を注ぎ入れた。淡く澄んだ金色の水色。芳しい香りが立ちのぼる。
満足そうに頷くと盆に茶碗を並べ、食卓まで運ぶ。
「どうぞ、召し上がれ。チャンパの春摘みです」
パルツィファルは苦笑し、茶碗を傾けた。
「私には美味い茶だということしか、わからんよ」
「美味しいです、姉上」
フィロメナはにこやかに頷いて、一口飲んだ。爽やかな香りが鼻に抜け、清々しい気持ちになれる。
フィロメナは、そっと茶碗を茶皿に置いた。
「さて」
灰青色の双眸が理知的に光った。
「作戦会議と参りましょう」
「作戦会議?」
ルードヴィヒの鸚鵡返しに、フィロメナが頷いた。
「ブルーメンフェルトの益を最大限に引き出すために。何をすべきか、何をすべきではないのかを見極めなくては」




