第二話 ゼーベルク商会
道中は快適だった。
ブルーメンフェルト領都から王都ヴァイスブルクまでは舗装された大きな街道が続いていることもあるが、何しろフィロメナが同道を願ったのは、ゼーベルク商会の商隊だったのだ。
ゼーベルク商会はレーヴェンライヒ王国一の豪商である。噂では国家予算をしのぐ資産を有し、諸国の王侯貴族とも交流があるという。
昨年、ゼーベルク商会総帥となったばかりのディートリヒはまだ若いが、先代にその才を見出され、養子に迎えられたのだという。才気煥発、眉目秀麗と褒め言葉には事欠かない人物らしい。
そしてついに先日、レーヴェンライヒ王国の男爵位をも得た。今や時の人である。
「旦那さん、ブルーメンフェルト伯爵家の関係者なんだろう?」
御者がにこやかに話しかけてくる。まさか伯爵本人とは気付いていない。
パルツィファルもにこやかに返した。
「はい。遠縁にあたります」
御者はうんうんと頷く。
「ブルーメンフェルト伯爵は由緒ある七大貴族のお一人だというのに篤志家で、うちの旦那様も一目置いておられる方だよ。素晴らしい方だそうだね」
パルツィファルは一瞬言い淀み、フィロメナが横から口を挟んだ。
「ええ、本当に。素晴らしい方です。尊敬しています」
「私もそう思います」
ルードヴィヒも続いた。パルツィファルは何とも言い難い表情で黙る。子供たちに手放しで褒められては、どんな顔もしにくいものだ。
「でも、うちの旦那様だって負けちゃいないよ」
「ええ。今やレーヴェンライヒで、ゼーベルク男爵ディートリヒ殿の名を知らぬ者はいないでしょう」
パルツィファルの台詞に、御者は満足そうに頷いた。
◇
六日間の旅程で、一度だけ野営があった。
パルツィファルとルードヴィヒは天幕を張るのを手伝っている。フィロメナは焚き火のそばに呼ばれた。
「お嬢さんは料理を手伝ってくれ」
パンとスープだけの簡素な食事。簡単で、けれど大層美味しかった。
「うちの旦那様が職員割引にしてくれるから、俺らは野営でも、香辛料の効いた美味いスープが飲めるんだぜ」
「ゼーベルク商会万歳!」
「男爵万歳!」
笑い声が上がり、瘤材の杯が掲げられる。瘤材とは樹木の幹や根にできた、瘤の部分から採れる希少な木材のことだ。それをくり抜き杯に加工する。軽くて丈夫で、旅の食器に丁度いい。
「酒と紅茶と、どっちがいい?」
「酒に決まってる」
「俺は紅茶」
フィロメナが顔を上げた。
「紅茶があるのですか?」
「商品にならない程度の下級品だけどね」
缶を差し出され、蓋を開ける。香りを嗅ぐ。フィロメナは目を閉じた。
「東方帝国の西部、グラーブの秋摘み」
「わかるのか?」
フィロメナは目を開けた。
「はい。でもこれが下級品ですか?」
「ああ、下級品だ。香りも味も大したことない」
「まあ、いいえ」
フィロメナは首を振り、笑った。自信に満ちた灰青色の双眸が輝く。
「私に淹れさせてください。牛か山羊の乳を分けていただけたら、チャイをご馳走致します。いくつかの香辛料があれば、マサラチャイを」
◇
大鍋に湯を沸かし、茶葉を茶匙で計って投げ入れる。煮出した茶に砂糖と香辛料を加え、牛乳を注ぐ。ひと煮立ちさせて火から下ろす。玉杓子でひと掬い。瘤材の杯に注ぐ。
「どうぞ、召し上がれ」
杯に鼻を近づけた男は驚いた。芳しい香りは、まるで上等な紅茶のものだった。
口をつけ、彼はさらに驚いた。
「美味い。こんな美味い紅茶は初めてだ! いや、チャイだったか?」
「マサラチャイです。香辛料入りのチャイなので」
フィロメナは控え目に訂正を入れた。
我も我もと商隊の者たちが鍋に群がる。そして驚く。
黒髪の男が一口飲み、弾かれたように顔を上げた。長い前髪の間から覗く青い眸が、フィロメナを凝視した。海のように不思議に揺れる。
「どうしました? お口に合いませんでしたか」
男は何度か目を瞬き、言葉を探す。
「――いや、懐かしい味だな、と」
「なら、良かったです」
男は何度か杯とフィロメナを交互に見、けれど何も言わずに飲み干した。
「美味かった。ありがとう」
「どういたしまして」
パルツィファルとルードヴィヒはその様子を見ながら、にこにこと楽しそうに笑っていた。
「クルトが味を褒めるとは! お嬢さん、あんた魔法使いだな!」
「まあ、いいえ。正確な計量で、誰もが最高の紅茶を淹れられます」
フィロメナは満足そうに笑った。
「完璧に沸騰したお湯と、茶葉の量と蒸らし時間。それを守れば誰もが魔法使いだわ」
クルトと呼ばれた男は肩をすくめ、焚き火のそばに戻っていった。
◇
王都ヴァイスブルクに到着し、ゼーベルク商隊と別れたブルーメンフェルト一家は、馬車で別邸へと向かっていた。
「良い方々でしたね、父上」
「そうだな。しかし、ゼーベルク商会は随分と羽振りがいいのだな。紅茶に香辛料が、末端にまで行き届いているとは」
「安価なものなら、今の我が家でも十分手に入りそうでした」
フィロメナの台詞にパルツィファルは苦笑する。
「フィロメナは母上に似て、紅茶が好きだな」
「はい」
亡き母から受け継いだ東方帝国の茶の本は、フィロメナの宝物だ。東方帝国の言葉で書かれていて、フィロメナは完全に読み解くことはできないが、母は流暢に読み書きができた。幼い頃から読み聞かせてもらったため、紅茶についての部分ならほぼ暗記しているほどだ。
「姉上、東方帝国について聞かせてください。紅茶は東方帝国から来た飲み物なのでしょう?」
「ルードヴィヒは東方帝国が好きなのね」
微笑むフィロメナに、ルードヴィヒは顔を輝かせた。
「私は私の知らない世界を知りたいのです。それに、姉上のお話は何度聞いても面白いです」
フィロメナは頷いて語り始めた。
「我が国での通称は東方帝国。正式名称はスナハリーグルダウディ。彼の国の言葉で、"金の菊花の国"という意味だそうよ。我が国とは、四〇年ほど前から国交を持ったわ」
王国で紅茶が知られるようになったのは、その頃からだ。
「東方帝国は茶と香辛料、絹と宝石の国として知られているわ。千年もの歴史がある古い国よ。我が国は五百年と少しだから、ほぼ倍ね」
ルードヴィヒが手を挙げる。
「姉上、茶は東方帝国の更に東、その果ての国に自生する茶の木の葉からしか作られないのですよね?」
そうよ、とフィロメナは頷いた。
「東方帝国は東の果ての国から茶の木を移植し、今や広大な茶畑を各地に持っている、世界一の茶の輸出国ね」
とはいえ、とフィロメナは頭を振った。
「私はそれを文章でしか知らない。世界地図も見たことがない。ただ言葉で知り、想像するだけよ。でも、紅茶に満ちた国なんて、きっと楽園ね」
フィロメナはうっとりと目を細めた。
ルードヴィヒはパルツィファルを見た。
「紅茶は嗜好品であり、生活に必要はありません」
ですが、とルードヴィヒは言葉を続けた。
「姉上の精神安定と我が家の士気向上のため、安い茶葉ならば無駄遣いには当たらないのでは?」
パルツィファルは苦笑した。
「私は倹約家だが、吝嗇家ではないつもりだ。それぞれが実力を発揮するには、相応の糧が必要だと思っているよ」
フィロメナの顔が輝いた。
「一段落したら、紅茶や食料など、必要な物を買いに出ることとしよう」
はい、と二人の返答が重なった。




